第13話

発見?


とんでもない。


死体で見つかるより前に、俺が探し出さなくては。


俺は片っ端から路地のゴミ箱をこじ開け、カラスのように路上にゴミをぶちまけた。


次々に空っぽの店内を覗いては、走り回った。


下郎がエタっていれば、髪の毛をつかんで顔を仰向けて、確認した。


しまいには塵芥の溜まったドブ川に飛び込んだ。


俺は気が狂いそうになるのを懸命にこらえて、冷静に考えた。


これは夢を見ているのではないだろうか。


そうでないなら、どうやれば、自分の命と引換えに、あの二人をこの危険な状況から分けられるのか。


結論は単純だった。俺はまだ生きている。

俺の直感力と思考の柔軟性によって、彼女たちが行方不明になってしまった何らかの理由を探ることだ。


俺は、何が起きたのか正確に思い出そうとしたが、無理だった。


日中なら連中も表立っては動けまい。


落ち着いて、一から当たろう。


例えば、四人組のビルだ。四人組は四人組とだけ呼ばれていて、誰と、誰と、誰と、誰なのかを知っているのは彼ら自身だけだ。下郎作家の元締め、ではないかもしれないが、下郎作家たちと深い関係があるのは確実だ。塔には地下があり、駐車スペースになっている。最上階に本拠、その直下をフロント企業のオフィスが固め、さらに下層は居住空間のフロアになっている、らしい。フロント企業の職種は町金融と債権の取り立てで、フロント企業自体がヤクザを偽装して、人目を避けている。


居住空間に住んでいるのは無関係を装った関係者だ。おそらくそうだろうと思い、管理人の目を避け、三階に向かう外部の非常階段を伝って慎重に進んだ。


残念ながら、窓からわずかに内部が覗けるだけで、中には入れない。


逆に、高所に登って見えたのは路地裏のゴミの溜まり場で、そこには見知らぬ死体が、折り重なるように倒れていた。動かなくなった人造人間なのかもしれないが、遠目にはわからない。あんなの、そうそう転がっているはずがない……。生々しい裸の死体……。下郎ならもっと目立つところでエタっている。たいていは服を着たままだし。四つの死体は、ゴミ捨て場とゴミ溜まりの間のあたりの放置されていた。


ビルの中には清掃員がいて、怪しい薬を使用して、床や壁を磨いている。奴らが何かを隠しているのか?


朝早く、清掃員たちがゴミ捨て場に大量に捨てていたのを俺は見たことがある。例えば、路上犯罪、コンビニ強盗、ひったくり、ヤクの密売、強姦、殺人などの証拠品を請け負って、ごちゃまぜにして処分するのが清掃員の仕事なのだ。大量に混ぜてしまえば警察には分別できない。最も安上がりな証拠隠滅。


『混ぜるな! 危険』


そんな言葉を使う奴がこのゴミ捨て場に住みついている可能性は大いにある。


人間と下郎、人造人間とヤク中、現実と夢……。麻薬や銃などの危険物、アルコールと武器の製造方法など、雑多な情報と現物が入り交じるカオスなゴミ捨て場……。ここは、そんな場所だ。


それが、大阪だ……。


せやかて、しゃあないやん。


生も、死も、終わってしまったことはすべて、同じ言葉を用いて片付けられる。


クソっ! これが夢だったら、と俺は儚い望みを抱いた。珠希と、マリヤ……。マリヤのやつ、目が覚めて、この俺を見たら驚くだろうか。


「まだ居ったんか。もう、とっくに行ってもうたと思ったわ」


俺は非常階段から跳び下りた。


足が痛む。


かまわず俺は走り出した。


今なら帰れるだろうか? あのアパートに。……いや、駄目だ。まだ、だ。懐かしい匂いを嗅いでいっぱいの部屋を思って、俺は首を振った。


俺は賭博場に乗り込んだ。昨晩の部屋は覚えている。食料品店も、賭場も、テーブルも、窓も、裏庭も、そこにそのままだったが、誰もいない。


もぬけの殻だ。


部屋の隅に、脱ぎ捨てた二人の衣服がまとめておいてあった。


あの時、マリヤと珠希がプレイしていたのはキリング・ザ・ストリッパーというゲームだった。それは相手の得点を剥ぐのであって、実際に服を剥ぎ取るわけではない。


これはメッセージだ。警告か、目眩ましか知らないが……。


どちらにもせよ、連れてゆくのは難しいだろう。おとなしくなんか、していたわけがない。俺は思った。俺は、何を考えているんだ――と。よせ、もうそんな暇はない。


俺は賭けに出た。


俺は『カヌレ』の裏口にそっと忍び寄った。


路地はまだ薄暗い。店の外は見えない。俺が路地の突き当たりまで来た時、後ろから男の悲鳴が聞こえた。野良猫にきんたまを踏まれた酔漢の叫び声だった。酔いつぶれてこの暗がりの見えない所で寝ていたのだろう。


そして耳を澄ますと……。『マリヤ姉ちゃん……おらへんようになってもうた?!』……珠希の声が聞こえてきた。


空耳か?


猫が……、しゃべった?


朝早く、アンダーグラウンドバーの内部は音もしない。


頭上で、二度ほどカラスが鳴いた。


不眠の夜明けの悪夢はまだまだ続く。


狭い階段を降りて、ステージ裏の小さなドアをこじ開ける。


フロアには、マリヤが待っていた。


「なんや、どないしたの。何があったん?」


マリヤはカウンターに陣取り、最初に会った夜に着ていたようなイブニングドレスを着て、グラスを傾けていた。


「珠希は?」


俺は訊いた。


「珠希? あー、珠希は、今日は帰らんかなぁ。なんでやねん?」


マリヤは不思議そうにそう言った。


俺は突然、珠希とはもう会えないだろうと、自分が思っているのを知った。


何だ、この奇妙な胸騒ぎの正体は……。


俺はマリヤを正面から見つめた。


「昨夜は、どうしたんだ?」


「珠希は、昨日『カヌレ』にいたん?」


マスターがいつのまにかマリヤの後ろに立っている。


マリヤが振り向いてそう尋ねると、マスターは大柄な体を折り曲げるようにしてマリヤを抱きしめ、荒々しくキスした。


まるで俺の目の前で、家畜に刻印を押すように、だ。


この馬鹿は! 何だ、この馬鹿は! 俺の中でこのマスターは、精悍な肉体と知性を兼ね備えた男で、マリヤがいつも着ていたドレスと同じ白いTシャツとズボンを着て俺といた頃と、同じ顔をして、それでもお目当てはやっぱりマリヤで、俺を睨みつけるように視線を這わせ、マリヤの胸をつかむ手に力を込めた。


「……何の話だ?」


マスターはしらばっくれてそう訊く。マリヤはわずかに俺を見て、囁きながら、それから、にやけながら言った。


「んー分からん? ……あ、昨日あそこにいたお嬢さんなんよ。覚えとる?」


俺は、一瞬、頭の中が真っ白になり、それから、あっと思った。あの時、このバーに……って、俺をここにつれてきた「お嬢さん」が珠希だって、マリヤは言うのか?


マスター、この女をどうしてくれよう。マリヤの瞳の奥は光の原型のような底知れぬ闇をたたえている。俺には分かるんだ、こいつはマリヤじゃないんだ。女だ。見知らぬ他人だ。だが、やっぱりマリヤだ。この数日を一緒に過ごした、あのマリヤなのが、俺には分かるんだ。


俺は思わず、マスターの脇腹を蹴飛ばし、マリヤの手を引いた。


「おまえ! よくそんな冗談いうてくれるな!」


マスターは一発で俺を殴り飛ばした。


椅子が転げ、グラスが割れて、氷とともに飛沫が飛んだ。カクテルの甘い滴が……。


俺が腕を掴んだまま床に転がされたせいで、女がのけぞる。


マスターは脇腹を抱える格好で女を支え、マリヤはきょとんとして目を丸くして、そして、にぱっと笑った。


胸をそらして、ドレスの一方が肩からずり落ちた。それを、ゆっくりと直す。


銀髪も、瞳も、日蝕みたいに翳る、宿命の女ファム・ファタルになったからって、この自信。


俺はダウンした。目が回る。手足に力が入らない。何か掴もうとする手も、立とうとする足も、床を空しく滑るだけだ。喋ろうとすると、鼻血があふれて唇を濡らした。


マスターは何も言わない。口は半開きで、目には明らかな苛立ちがちらついていた。


マスターの手が俺を掴み、俺の体がカウンターの向こうのテーブルの上に叩きつけられた。また酒瓶が割れ、アルコールの匂いが立ち昇る。俺はよろめきつつ立ち上がり、マリヤに走り、腕をつかんで、俺は言った。


「俺は、片端野獣かたわの・けものだ!」


俺は、珠希と、そしてマリヤが、そう名付けた存在だ。人間か。人造人間か。そんなことは知らないが、大したことじゃあない。


そうだ、俺は、『片端野獣』らしく生きる。


彼女らが付けた名にふさわしく――、だ。


マリヤの眼は揺れていた。驚き、また怒り、そして悲しみ……俺はもう戻らないと思ってここに立ったのに、マリヤの瞳は俺を離さない。


その視線から逃げ出したいが、体が動かせない……どうして、そんなことになってしまうのか、マリヤ自身にもわからないのかもしれない。俺は彼女の胸ぐらを掴む手にさらに力を込めた。


激情がマリヤの瞳を真ん丸に開く。


そのままマリヤがすすっと前に進んで、カクテルのボトルを掴み、俺の顔面に投げ上げた。


ボトルが、短い放物線を描いて飛ぶのを見た記憶はある。


その後のことは覚えていない。


気がつくと、俺は下郎のように道端に放り出されていた。


辺りを見回す。


壁だ。どこも同じただの壁。閉じた裏窓。錆びた雨樋の下の、汚い水たまり。ゴミだらけの、黒い染みのついたアスファルトだ。つまりよくある眺めの、どこにでもある路地だった。


俺は歩き出した。


日差しからするともう午後のようだ。


マリヤのアパートに寄った。


部屋の中は何もかも元のままだった。乱雑に散らかった服やゴミ、その中に、珠希が落とした写真が一枚だけ残っていた。写真の表面はまだ濡れている。色はあざやかだが、ちょっとピンボケ気味の、珠希の顔が写っていた。写真を拾ってポケットに突っ込むと、肌色の紙のメモが指に触れた。


ああ……。俺にはまだこれがある。


くしゃくしゃになった紙を広げて、綺麗に折りたたんで、写真を挟んでポケットに戻した。

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