第11話
歓楽街の一画。小さな食料品店の奥の目立たないドアの向こう側に、賭博場があった。
そこに下郎作家が出入りするそうだ。
『まぐろ亭』のウェイトレスが言っていた。
下郎作家はたいてい平凡な生活を続けていて、一般人と見分けがつかない。人前で狂気を晒すことはほとんどない。ただ特定の場所に集まる習性があって、それがこの秘密の賭場だという話だ。
俺は、『カヌレ』のマスターの他にも、俺たちのまわりに少なくとも10人くらいはいるであろう俺たちの敵を、このへんで退散させたいと思ったのだ。このへんで俺はようやく冷静になってきて、改めた考えてみた。敵が、敵として振る舞うのは理由がある。その理由を知ることだ。そのためには、俺は確かに下郎作家を見つける必要がある。
彼らはなぜ次々と人造人間を作り出すのだろうか。
不完全な、違法の人造人間を、……いや、いくら完璧に仕上げても、所詮は人造人間、その場限りの命しか持たない存在だ。そんなものを、飽くことなく作り続けて、一体何になるというのだ!
下郎作家の手がかりになる特徴は知られていない。
自ら口に出すこともない。
俺は思った。賭博場では、もしかすると、お互いが正体を打ち明けずにコミュニケーションをとっているのかも知れない。
俺がマリヤと珠希を連れて、その賭博場へ、入ったのは、そういう理由だった。
ベルを押して3分近く待っただろうか、ドアが開くと、俺の目の前にマリヤが、珠希が、そして珠希を肩に乗せたマリヤよりも、もっと小柄な少女が立ちはだかった。
歪んだミラーに映る影。俺たちの姿と、ひと目で人造人間と分かる賭博場のボディーガードだ。
ロリータファッションに身を包んだ少女は、幼女の縮尺のまま、身長は2メートルを超えていた。
承知のように十年前、大規模なハッキングを受けてシステムが壊滅して以来、日本の戸籍は不完全なままだ。データはぶっとび、絶えず流入する誤情報を遮断できない。
だからこそ、日本人の生い立ちの記録がほとんど無い。俺たちが、もし仮に、この時代に生まれたことに気がついたところで、今の自分は、もはや他の誰にも価値を見出せないだろう。そして結局、俺たちの場所は、今の日本に存在しない者で埋め尽くされる。そう、誰もが言い渡されるのだ。俺たちの本当の生きる道を。だからこそ、俺たちは、これまで通いなれなかったはずの道に足を踏み入れざるをえなくなる。
そうだ、日本人も、外国人も、人造人間も、下郎も、誰も自分を証明できない。
ただ、そこにいるだけで、そこにいることを証明するだけだ。身元も、職歴も、お望みなら犯罪履歴も、気軽に作成できる。その分ヘマをすれば「消される」ことも簡単だった。人間の死体だって防腐剤を打って転がしておけば、エタった下郎と区別がつかない。ヘリコプターでも墜落しなければ、殺人なんてニュースにもならない。
身分の照合なんてお笑い草だ。強力な用心棒を雇っておくのが一番手っ取り早い。
天井に頭がぶつかりそうだが、覗き込むように身を屈めて、
「ごめんなさい、お待たせいたしました。どうぞお入りください」
少女はにっこり微笑んできた。
まるで小学生、目はくりくり、眉毛を高くして、鼻がツンと上を向いて、だが、その肩幅が、俺の3倍もある。腕の筋肉が異様に発達しており、それがフリルの姫袖から突き出しているのが、童顔なのとあいまって、ますますアンバランスに際立っていた。
ケンタウルスだ、まるで――。アンダースカートの膨らみに隠れて、馬の下半身があるのではないか。
そう思った一瞬の後、俺は我に返って思った。馬鹿馬鹿しくなるほど馬鹿げている。ボディーガードが怪物である必要などない。
ここは、客にとっては普通の賭場だ。
そして、俺たちはその賭場へ飛び込んだ。そして俺は、そこにいた二人に会った。
関東王と、『まぐろ亭』のウェイトレスだ。
俺はそいつを見て――。一瞬、呆気にとられた。が、二人は知り合いではなかった。
関東王は酔っていないらしい。蝶ネクタイを締めて、ライトブルーのスーツ姿のその優雅な手さばきは、この俺に、女の好みというのを教えているのだ。そのテーブルには、椅子が四脚と、その椅子に腰かける女たちの、合計6人しかいなかった。それも、普通の卓とはだいぶ違う席だ。座敷席と言うらしい。そして、彼の前に並ぶ女たち。衣装こそ違え、容姿は鏡に映ったようにそっくりだった。
窓を背に彼が座っていたのが、その窓側の席から斜め正面に位置して、一人、それに向き合ってもう一人、女が座り、関東王の左に一人、右にも二人の女が座り、関東王の座っていた席が、向かいの鏡に女の席と一緒に映り込み、これまた向かい合わせに二組並んで並んでいた。
三角系の蜃気楼(Mirage triangulaire)という賭博で、席の間を絶えず行き交うチップの流れは早く、追うのは難しい。鏡に映り込むイカサマを見破りながら、正確に数を数えねばならない。
そのうちに、誰かが消えて、誰かが増えて、7枚目の黄金のチップを持っているものを
賭金はチップの総流通量に応じて払い戻された。
関東王は女遊びの
ケンタウルスの少女は、俺に向かって言ったのだ。
「こんばんは。あちらでお時間を頂戴いたします」
俺が案内されたのはトリニダース賭博の席。
「どうぞごゆっくり!」
マリヤと珠希の姿はなかった。しかし女はそこにいる。
『Mirage triangulaire』は、蒸留された幻の女を見つけるゲームだ。もっぱら上級者向けの――。トリニダース賭博は初心者に向いている。
『まぐろ亭』のウェイトレスが幻の女でないことは確かだ。
「ご存知かと思いますが、『まぐろ亭』では、お子様向けに『カレーパン』などをつくるように躾けてあります」
と笑顔で言った彼女も、今は賭けに夢中で、他のことは見向きもしない。
俺は、まず隣の席から盗み見たことで、彼女が強運の持ち主であることを確信した。この女は、チップの中身を承知しても逃げないだろう。
深紅のビロードが敷かれたテーブルの上に並ぶカード。
トリニダース賭博は二十四羽の鳥の札を使って遊ぶ。二十二枚は極彩色の熱帯鳥の絵柄だが、二枚はジョーカーで、鳥ではない。鳥に似た何か、だ。だから、正確に言えば鳥は二ダースに足りていない。
最初の場ではチップは一枚三ポンドで、チップが倍になった場合、四枚の羽は一枚まで勝負することができる。一四枚の鳥は、一ポンドが五十四枚まで増えたらアウトだが、一ポンド強、いや一ポンドマイナスのチップを全て一四枚で使い切る確率は、鳥が何羽いるのかで変わる。
つまり、女は鳥か、鳥に似た何かに賭け、男は女を鳥と誤認してチップを積むことがゲームの目的なのだ。
一に八、二に九、三に七。七七に、だ。女が鳥と誤認した瞬間、チップは一枚増える。女は鳥でも女でもない。チップの上限は十ポンドで、五枚で四ポンドまでは増えない。女にも鳥を、と女の友人が男のカードをかどわかしたら面倒なことになる。
この場合の男女は配られたカードで決まるペルソナで、実際のプレイヤーの性別ではない。俺の後ろに座っている女は関西風の派手な美人なのだ、が、男なのが鳥のような何かにバレて、たちまち手札を没収になった。
ことさらに性差を強調するのがアンダーグラウンドな賭博のルールである。純粋な賭け事ではなく、風俗店で発達したギャンブルであるからだろう。
カードは徐々に増えていく。一組、また一組。女が手に持つカードが消えて、男の持つカードが増える。チップが女の前に積み上がる。
「何にします? トリニダース、トリニパン、ネズニチュー?」
夜のオウムはカジノディーラーが板についている。
そうだ、言い忘れたが、ディーラーは昼間のオウムだった。昼間見た巨大な体躯を首のない人造人間の体に据えて、時々翼を大きく広げ、頭を傾けたりしながらカードを切っている。
「なにを見たかね。まあまあの年だからねえ。それしきのことはごまんとあるだろうから、用意はいいかね、儲けたら、あたしの分も取っておいてくれるかな」
オウムは流暢にお喋りしながら、ゲームを差配する。
全ての賭けが行き着く果てである死を避けて、娯楽に徹すること。
つまりこの店には似つかわしくないものなど何もないってことだ。
さて、カードを並べ替え、一の鳥とカードを確認しあっている女はどんな格好なのだろう。薄絹で肩が露出した、チャイナドレスを着ているのか。
「あんたさあ。きょうびギャンブルなんて珍しいでなあ。うちらが子供の頃は競馬のレースみてはしゃいどったけど。ギャンブルやなんて知らへんかった」
女が言い、男の顔を窺う。
「いや、まあね。昔はもっとギャンブルのタネがいっぱいあったんだけどね」
極楽鳥は男の子だ。
男の子は、まだ男ではない。
オウムは女の声に振り向いた。
「何を言うとんのや。あたしゃ鳥なんです。馬に乗るとでも? 競馬に付き合うと、羽が汚れます。それこそあたしゃ嫌ですよ」
女とオウムの声は重なった。これはどういうことだ。俺は女の声を聞くつもりで喋ったはずではないか。オウムが女になった? こんな。こんな冗談は信じないぞ。
女は、ああ、とため息を吐いて目を逸らした。俺はその仕草を黙って眺めていた。そう、これでいい。俺の心は女の中で目覚める。これは俺の非なのだ。女は、俺の腕の縄を外しはじめた。
「ほんまや。鳥さん。あんたの言ってたおまじないね。ごっつ鳥らしいな。あんたが鳥やからな。あんたのおまじない、口笛ではマネでけへんて」
俺が縛られていたのはいつからだろう? そうだ、確か……。女は縄を解いてしまうと、その縄が断ち切れたことをいいことに、俺の腕に噛みついた。俺はようやく自由になったのだ。
俺が鳥でなければ、俺は何者だっただろうか? 鳥のような翼、人間のような胴体、人間のような尻尾。
女の声は俺の耳元で囁く。
「ご協力ありがとうございます」
しかし、俺がカードを切ろうとすると、オウムに止められた。
「え? もう終わってるって、本当ですか!?」
俺は驚いて訊き返した。
ギャラリーの喧騒が、競馬場の遊園地にいるように、後ろからどよめく。
女は縄などなくても男の手の届くところにいる女になった。
「あちゃあ……」
「鳥さんだね! おつかれさま」
俺を餌食にしてくれた女がそう言った。俺たちは、鳥を捕まえ損ねたことを謝った。鳥という生物は、本当に俺の憧れなのだ。しかし、オウムが王様になっているのには驚いたな。
関西風の派手な美人はコンパニオンらしく、ほとぼりが冷めれば普通に親切だ。
彼女は、女になってからというものの、毎日性器をかっさらわれるが、俺のせいだという。さらうのも、さらわれるのも鳥だからだ、と。こいつは鳥である。この体は女の体だ。だから自由だ。俺は女の背中で眠ることになる。
俺は酔っているのか?
何も飲んでいないのに?
賭博はカクテルよりも強烈だ。アルコールどころではなく人格を崩壊させる。どうもそれは本当らしい。
ねえ、あの翼は何だい?
「あたしは『ももたろう』。もぐらや! あんたのお腹の子やな」
女は言った。
関東王がスピリタスのように笑う。彼が座っている窓の向こう側は裏庭になっていた。手入れがあった時の逃げ道になる。とはいえコンクリートの高い塀に囲まれた半地下の空間からは、ハシゴがなければ脱出できない。
俺は窓の横の戸口をくぐって裏庭に進み、塀の陰に座っていた。
建物の背中ばかりよく見える場所だった。賭場のあるビルの背中に、薄っすらと月の光がさしかかる。
関東王はグラスを空にし、煙草をくわえている。彼は空になったグラスを、無造作に投げ捨てた。
それが、窓越しにはっきり見える。
「何が、『あんたの女も人造人間だぜ』だい!」
俺は吐き捨てた。
ビルの裏側には街灯が少ないので、俺が街灯の近くまで歩いても、高い塀の陰になって、影の中に入ると、明かりがければ彼からは何も見えないのだった。
その夜遅く、鳥の羽音が、鳥たちが鳴き立てるように響き渡った。俺は、女に、
「鳥になれ」
と言った気がした。
オウムである鳥は、女になり、もぐらになってしゃべるようになり、鳥として俺を食べてしまう。
このゲームの脳が芯から痺れるような無意味さは下郎作家の現実に対する無関心の現れなのか?
「あんたの趣味に付き合ってなんかいやしないよ」
俺には、どうしてもそういうふうに聞こえてしまう。
だとしたら男が女になり女が鳥になるというのは、下郎作家の現実への逃避か? その夢から覚まされるのが怖くて、しかたがなくて、人造人間を作り出すゲームを始めたのか?
関東王は、俺に煙草を投げてくれてやり、窓から身を躍らせて外へ出て行った。俺の脳と心の平穏に取り憑いて安らぎを求めようとする鳥の声が、この空に溶けてゆく。
にしても、この遊びはいつになったら終るのだろう?
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