第6話
俺は、ベッドとドアに挟まれたような格好で、身動きが取れなかった。あー……。俺、どうしてここまで、来てしまったのかなあ。はしたないというか、男にしては、女にしては。いや、むしろ、男のそれだったのかもしれんが、まあ、それはそれで、いいか。
俺は夢から覚めて、懐かしいような、寂しいような、清々しいような、複雑な気持ちだった。なんとも言えない、それでいても、どこか、不安になるような、そんな思いで、まだ半分眠りの中にいた。いや、そうだよな、とにかく、ベッドの脇に、マリヤが横になって、眠っていた。マリヤの寝顔を横目に、俺は言った。
「昨日も今朝も、何て綺麗なんだろうって、ずっと思ってた」
「……もう、かなんな」
マリヤが薄目で俺を見た。マリヤは、俺の裸をじっと見つめている。
「そやけど、嬉しいな」
くしゃくしゃの髪の毛の下で、青灰色の薄目を閉じて、マリヤが寝言でこたえる。全然、起きては、いなかったようだ。
「よかった」
白い朝日が、部屋を照らし出していた。もう、朝なのだろう。カーテンはすり切れて、幻のように、向こう側が透けて見えた。
隣家の屋根がはっきり見える。庭の木も。
道路に面した一階なので、人が顔を出したら、びっくりするだろう。通行人が、通りかかるかもしれない。朝露かと思って、顔を上げると、朝っぱらから寝起きの俺を見つけて、どう思うだろうなあ。俺は夢の続きを思い出して、笑った。
なんだか、不思議な感じだ。目が覚めても、俺の頭の中は、この夢の続きに支配されていた。
「……夢、だったよな、俺」
でも、昨夜は、ちょっとだけ面白かった。
隣にはマリヤが、その向こう側には珠希が、大口を開けて眠っている。布団からはみ出して、寝相が悪い。珠希が俺を見て、俺も珠希を見るが、珠希は何も見ていない。マリヤが眠い目を開けて、寝言でこたえた時もそうだった。
俺を、夢の中の、もう一人の俺が、揺すっている。でも、朝勃ちが夢とは、俺は思わない。俺はもう眠れない。
ヘリコプターの爆音が通り過ぎた。
すぐ近く、それも低空だ。
部屋と、窓ガラスが、激しく振動する。
珠希が、いきなり、パチリと目を開けた。
「イチ、ニ、サン、シ、……」
数を、数え始めた。
「5、6、7、……」
腕を伸ばし、
「8、9、……」
半身を起こして、
「
珠希が、叫んだ。
「目が覚めた……」
珠希は、勢いよく、起き上がった。それは、朝の挨拶にしては、少々、やかましすぎた感があった。
「……おはよう、……ございます」
俺は、彼女に声をかけた。
「あんたさあ」
彼女は、俺を見て、口をあんぐりと開けたまま、固まった。
「誰や」
「俺だ」
珠希は、6時5分の時計の針のように首を傾げて、
「俺って、誰や」
と言った。
「俺は、俺だ」
そう言うと、珠希は、6時10分の時計の針のように斜めになって、
「ちゃうんねん。あたしが言うとんのは……、あんたが……」
「俺が……、どうかしたのか?」
「もう、ええわ。なんや。その顔。呆れとるんか」
避雷針のように、垂直に立ち直って、珠希が言い返した。
「寝ぼけとるんや、ないで」
珠希は、顔を真赤にして叫んだ。マリヤは、まだ、眠っていた。珠希の手が、マリヤの目や肩をこすった。彼女の手の中で、マリヤの頭が揺れる。布団がずれて、はだけたマリヤの胸が、大きく揺れた。
「姉ちゃん、さっさと起きいな」
珠希は、目をしばたたいた。唇が尖る。そして、俺を見て、顔をしかめた。
「なんやねん。あんた。そんな顔、してえか」
俺は、自分の頭を掴んで、額に爪を立てた。珠希は慌てて飛んできて、その手を両手でぎゅっと握って押さえた。
「そんな。あんたかて、寝てなんかおらいねやったらあ」
後で知ったが、あのヘリは、村上少年刑務所からヘリコプターで脱獄した人造人間だった。
村上少年刑務所は、人造人間が収監されていて、珠希は、その少年囚人たちの世話をしたことがあるのだ。人造人間は、マリヤの相棒だった。ヘリの音も、マリヤの相棒だった彼女の恋人がヘリコプターのパイロットをしていたから、珠希には、見慣れていたのである。そういう事を話しながら、俺を見て、あっちを向いたりこっちを向いたり、して。彼女は、いつも、俺を見て、それから、目をそらした。ヘリの爆音が、恋人との思い出を掻き立て、それが、彼女を著しく挙動不審にしたのだろう。
珠希は、少し泣いた。
脱獄犯は逃亡も虚しく、カルカッソンヌの城壁か、あべのハルカスか、と謳われるヘリコプターゲートを抜けられずに、大阪湾に墜落した。
少年刑務所の矯正がもたらす末路は暴発と、相場が決まっている。「人間を教育しても更生しないので、無駄である」と、専門家委員会の結論が出て、少年院が廃止されて以降、村上少年刑務所は人造人間の矯正施設となっていた。
天下りの公安委員長が所長に就任して、その後は民間の委託機関が刑務所の管理管理と教育の支援を行っている。
1993年に、警察が人造人間に関する調査を行うよう警察庁に働きかけ、1994年のオウム真理教による地下鉄サリン事件を機に、強化されたテロ対策の一環として、警察庁の人造人間犯罪対策課(人造人間検査課)が、1996年(平成8年)に日本人の身体検査を解禁したのをきっかけに、警察庁による人造人間検査の本格的な解禁となり、その後、警察庁による人造人間犯罪対策の強化工事により、2000年(平成12年)3月に人造人間検査を全国展開し、全国に拡大し、再開し、2005年(平成17年)3月までに計1716回の検査結果を受けて、2007年(平成19年)には検査結果によって人造人間犯罪の犯罪性・重大性を検証した。
人造人間犯罪を捕まえた者が、自らの意志を持った人造人間に似る事については「人造人間に似れば違法な事件が起こる」というように、自らの意志を持った人造人間に似て無許可で人造人間を製造することは、犯罪行為ではあるが取り締まりに関するものとしては違法でないとされていたが、人造人間の逮捕に関しては法律上の違法性があり、違法な人造人間の存在自体を犯罪行為として取り締まることはできないと考えられている。
また、人造人間や人造人間検査の厳格化を目的として、2016年(平成28年)、法執行部門を分設して犯罪組織犯罪課(警察庁人造人間犯罪課監督及び犯罪課監督管理)を新設し、法執行部門を新設するにあたって「人造人間の刑事責任強化に関する緊急法」が制定されるとともに、2017年(平成29年)11月には人造人間検査法にも科学捜査研究所の手が入って警察庁による人造人間検査の取り締まり強化が行われるようになった。
人造人間事件を起こした犯罪を捜査する警察は、「捜査対象事件」に属する犯罪を、人造人間検査によって検挙することが出来るが、それに当たる犯罪者と逮捕することが出来るのは人造人間検査で検挙された犯罪者に限定される。これらについての人造人間検査は、特に2007年(平成19年)から実施されてきた人造人間検査法の第14条に定められている、人造人間検査の検査対象者と検査条件で「審査対象者に不利になり得るもの」を逮捕することに関しては厳密に限定されている。特に逮捕する行為や検査条件は警察庁法第20条に定められている。また、「検挙されて裁かれなければならない緊急かつ重大な不正行為は、人造人間検査に依ることなく検挙することが出来る。人造人間検査の結果、犯罪を行った当事者と被疑者、逮捕された犯罪者と被疑者の中を流れる人造人間に対する異常な感情や疑いを理由に認めることが出来ないものは、人造人間検査によらないで取り締まれないもの」と位置づけられており、法の下でその不正行為を検挙することが出来ないなど、以上の項目に該当しない犯罪者は人造人間検査によらずに逮捕すること、または活動不能に至らしめることが可能である。
刑罰の場合は、人造人間検査に係る犯罪の罪の程度によって「死刑」「無期懲役」「懲役」といった、分類や基準を定め、適用を定めた刑罰執行機関から判決を受けた後、速やかに執行される。
珠希は、携帯もろくに見ていないのに、その後の事も、それからの出来事も、全部知っていた。
3時間後、橋の欄干や、ビルの屋上に、野次馬の無数の顔が、晒し首のように並んでいるだろう。
いつもなら退屈しのぎに、晒し首を標的にして、次々と撃ち落とすピストルの名手がそろった警官の群れも、墜落現場近くの港に集まって、今日は静かだ。
事故は、速やかに処理される。
タグボートに囲まれて、クレーン船に持ち上げられて運び出され、そして、スクラップにされる。俺たちが人間か眠る機械になる頃。残骸は死体と共に海に帰され、海の底へと消えていくのだけれども。
それが、この事件が解決した最後の映像となった。俺はその時、まだ、そんな事を考えていた。
珠希が、テーブルの上に、何かを投げた。
濡れた写真の束だ。ビニールケースから飛び出した何枚か。一番上は、どこかの遊園地で撮った一枚だ。
そこには、女が、写っていた。俺は、写真を手に取った。この写真の男は、写真の中では、確かにそこに居た。
女の顔ははっきりと分かった。俺は彼女のことを、よく知っている。そして、その写真の男のことも、俺は知っていた。彼女の正体は……。俺は、写真の中の彼女のことを、知っていた。それは、珠希に、似ているから。
……俺は顔をそらした。それは、珠希に違いなかったからだ。
デジタルに対抗して作られた肉感写真。
濡れた写真は濡れたまま、乾くことも、貼り付くこともない。いつまでも、撮った時そのままに新鮮だった。珠希は、底抜けの笑顔を見せている。
「俺たちは、昔からの知り合いなのか」
俺がそう尋ねると、
「
珠希は、さも心外という様子で、胸を張った。
「ネットワーク上に、共有の記憶スペースがあってな。人造人間をこさえる時、皆んな、そっから記憶を持ってくるんや。なにせ安上がりやし、違法製造やと、よけいにな。記憶には誰でもアクセス可能やから、つぎたしつぎたし、まぜこぜに、ごっちゃになって、秘伝のタレみたいなもんや。誰の記憶やら、捏造やら、アジテーションの刷り込みなのかも、わからんことになっとるんよ。禁止やて? やばい記憶は封印しとけって話やろが、そうは行かへん。下郎作家なんて、端っから違法なもんや」
珠希はけらけら笑っている。そして、それが自分の笑いとわかっているくせに、俺はわざと、俺に向かって、笑ってやっているんだというように見えた。俺に対しては、それが正しいことなんだ。俺は思った。
珠希が、自分が人造人間だとわかってからのことを全部喋ってくれたとしても、それが嘘かどうかは、彼女にもわからない。
突然、窓から突風が吹き込んだように、俺の手の中の写真の束は、散り散りなって飛んでしまい、蒸発したかのように、部屋のどこかに姿を消した。
「さがさんでもええよ。あの写真、もういらんようになる。そうせな……、あかん」
俺は、珠希そっくりで……。それが何なのだ。
「ほんま、ええんか?」
と自問する、そんな珠希の表情を見ると、俺は、
「すまん」
と謝るしかなかった。
「ええんや。人造人間は、今どき、オリジナルな記憶なんて、誰ぁれも持っとりゃせん。うちかてそうや。あの人は有名人やったさかい、あんたも知っとるんやろ。連中も、そや。ヘリで脱獄する連中が跡を絶たんのも。だから……、何ヶ月かにいっぺんはこんな事が起こるんや」
俺をにらんで、珠希は言った。俺は、自分がその犯人のような気がした。
「あんたが何者やったとしても、あんたが、どっかうちに似とることだけは間違いあらへん」
それが、楽しい。だって、そうやもの。だって、そうやさかい。
それが何であれ。それがどうしてであれ……。
「でも……、せやな、うちも……ええことやった思う。あんたが思うような、そんな自分らみたいになれるんだったら、ええことや」
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