第5話

それが昨日のことだ。

深夜のバーで、スピリタスの強烈な酔いにやられた関東王を床に放り出したまま、俺たちは、マリヤのアパートに帰った。


関東王は、人間だろう。人造人間なら、スピリタスにあんなに酔わない。


俺はどうなんだ?


長い夢。


そうだ。俺は夢を見ていた。


俺は、まだ酔って、ぐねぐねと、うねぐねと痙攣していた。


そして、俺の体がまだ動いてるのを見て、マリヤが呆れて言った。


「……もう」


そして、マリヤが俺の頭を優しく撫でると、マリヤの足が、その俺の股の間に入り。そのまま、俺の股の間に手を入れて、俺の頭を、また撫でた。


「ほれ、早く、こおら……」


「お、おい」


俺がそう言いかけ、口を「むふぅ」と開けると、マリヤの唇が俺の口に吸い付いてきた。


マリヤがにやつきながら、俺の唇を唇でふさいでいる。……や、やべえ。マリヤが。俺の喉もとが濡れて熱くなっていた。マリヤは俺の口を咥え、喉の少し下あたりを舌で舐めた。そして、俺の口とマリヤの口のちょうど間とを、指でなぞっている。


「……もう、いいだろう」


俺が、小さくつぶやいた。


「……なにがやねん」


「……よし、じゃあ、行く」


だが、マリヤは俺の腰に、腕を回して俺の体を抱き寄せたまま、言った。


「なあ? どこへや?」


ん、かくれんぼか――。えっ? マリヤが俺に耳打ちした。


「待て待て待て、マリヤ、待て」


説明してくれようとしたことを、俺はもう遮った。


「……あ、おい、マリヤ」


いや、しかし――。と、その時。突然、俺たちの前に、一人のスーツ姿の男があらわれた。


俺たちとは、服装から違う。そいつは、俺たちを一瞥して、また、一瞥して、また、一瞥して、また、一瞥した。男は俺のことを見つけると、


「……ああ、あんたも人造人間でしたか」


そう言って、『みみずかはし』のみたらし団子を奢ってくれた。『みみずかはし』のみたらし団子はタレがたっぷりで、タコ焼きの味がする。


「へえ。で、今日はなんの話なん? あたしがあんたの話をしてやるから、話してくれんね」


珠希が言った。男は、ちょっと笑って頷いて言った。


「……まあ、それ、そないなとこでしょな。いつかは、言わなにゃならんことは、言わにゃあかんけど、可能性としては、ちょっとは、ありうるわな、きっと」


「今日は、あんたの話をさせたるって、言うたやろう」


珠希は、そう言った。


男は、口ひげをしごきながら、ニュッと白い歯を見せて笑った。


「人間」


俺は、男の顔を見る。俺は、男の言葉に、目を見張った。


「そうか、やっぱり。お前がその想いで、俺を殺そうとしたんじゃないか」


あいつが、スピリタスを飲むのを俺は今まで見たことはなかった。


俺の顔は、相変わらず、青白い。その青白い顔の、窓に映った目を見て、俺はやっと気づいた。今、自分の目が、「人間」を見ていることを。そして、男は真剣な顔をして、


「お前は、あのスキュマの、奴らとは、違うだろう?」


と、俺に言った。


スキュマ? スキュマって……。


「……違う」


たぶん、スピリタスやコーヒーは「違う」……。スキュマ。俺を殺そうとしていたのは、あいつなのだろう。しかし何故……。なぜ俺は、いつも同じ目に逢わなければいけないのだ。


「はよ、行かんと」


店員の恰好をした珠希が、言った。


「よし、行こう。今、お前たちのスキュマに、会いに行ってやろう!」


俺は、はっとした。そうだ。俺は、あいつに……。俺は、珠希を見て、もう一度、はっとした。


「……行く?」


男のスーツの背中が黒くなって、潮の香りがした。あいつは、関東王じゃない。俺を殺すことが目的ではなく、大阪で、女の子を捜しに来たのだ。路上で声をかけて、スカウトしまくって、関東王が、帰っていく。関西遠征の分捕品をたくさん抱えて、新幹線で東京へ。スキュマのお荷物が、鞄からこぼれそうだ。

さすが関東王、東京王の、さらに上……。


俺はただ、それを横目に、マリヤが座っていた窓辺へと目をやった。


そこは、このビルの最上階の一室。マリヤの顔が、見下ろす下には、大阪の繁華街の中の寂れた一画。煤煙に曇った空の向こうに、かすかに、海が見える気がした。


俺は、窓のむこうへ視線を移した。


海が、新幹線の座席を汚したら困るだろう。あいつは、俺のお荷物の扱いに、幻の海と大阪とで、とばっちりを食わせる気なのだ。海が匂うのは、座席に漏れているせいじゃないのか?


「大阪弁を歌いながら来れればよかったのに……。ああ、これ、どうしよう……」


スキュマのダンスは、俺の歌と、マリヤの大阪弁に、すっかり翻弄されている。


関東王はラジオを切った。


「おい、ちょー、待てや」


俺は、大阪弁で言った。俺が言うと、関東王が振り返った。


「今ごろ、お前、どういう顔してんね。びっくりした顔してからに」


「別にー。お前のお荷物は死んじまったんだからさあ」


そう言って、関東王が、にやりとした。


「大阪の女か。女、大っ好き……」


関東王は。携帯の電源が落ちてもまだ動くラジオを、いつも持ち歩いていた。いざという時、台風の友は、彼の分捕品を、楽しませ、踊らせることもできたのだ。


菅首相の息子が逮捕されたそうだ。体からでた多すぎる管が絡まって、挟まれた間の人間が、窒息してしまったのだ。ラジオによると、その管は、この度、警察庁によって、皇居の門に繋がっているという。


「ああ、やだやだ」


もちろん、彼は、大阪弁が苦手だということで、俺の話す大阪弁を、正しく判断できるかは、俺は知らない。俺は、身を乗り出しすぎて、手すりから落ちそうになった。


「今、大阪のヤクザ共が大暴れしよってよ、なまはげみたいな奴らが、ひっきりなしに、逃げ帰る連中を追い掛け回してるんや」


怖いわけではないが、足元がびしょ濡れだ。凸凹が付いていても鉄板の踏み面が滑る。


「大丈夫か、こら。えらい格好やなあ」


「珠希には関係ない」


俺が強がると、珠希が笑った。


「そやなあ」


珠希が、鼻でため息をついた。


「そんなことより。あんた、大阪弁喋っとる暇があんなら、仕事せんと」


「そうかい。でもまあ、こら。あー、くそ、ほんま、大阪は、どんだけ台風来てんねん。こんな、びしょびしょにしやがって」


俺たちは非常階段を降りて、地下倉庫の前にでた。鉄条網に覆われた倉庫に、俺は足を踏み入れた。


スキュマが噛む。スキュマがうなだれる。死んだスキュマの灰皿が燃える。


調子に乗りすぎたんだ! 俺は、眉をひそめた。これはひどい。


スキュマの工場では、解剖図が展開された。マーケティングに則った生体に機械を貼りつけるという、なんとも奇妙な仕事があったそうだ。スキュマのメーカーは機械専門らしい。なのに手作業で、俺は、スキュマの部品を移植したのだ。スキュマが、スキュマにコピーされ、スキュマの深層心理と、スキュマの肉体が、一体化してしまう。俺も、スキュマにコピーされた。自我が希薄になる。スキュマは、俺なのだ。


「珠希……俺……」


この衝撃は、一体なんだ! 俺は自分の身体を抱きしめた。


「そら、スキュマと融合した人間は、スキュマになるんや」


俺は、瞼の裏に広がった、自分の生体解剖図に頭を抱えた。


「あんまりだな!」


泣き叫ぶ俺に、俺は、思わず叫んだ。実験室に、意味不明の言葉が、響く。

珠希は俺の肩をつかみ、無理やりに揺さぶった。


やがて俺は、俺の肉体と結合し、俺は俺として再調整された。


突然、あちこちで爆発音がした。バクチクではない。生体解剖されたスキュマの細胞が、火花をだして、爆ぜていた。ウルトラ・スキュマどころか! カエルの卵のように累々と、スキュマの、スキュマが無残に散らばってゆく。それは、倉庫一帯を埋め尽くして、導火線のように繋がったスキュマのクーデターだ。


俺たちは、急いで逃げ出した。俺は走った。俺の意識の中では、音もなく、ビルが倒れ、瓦礫になったビルを後に、俺と、真っ赤な制服をきどる、女子高生が駆け抜ける。


倉庫をでると、もう夕方だった。夕日に溶けて押しつぶされたビルが、公園に不定形の影を落としていた。駅に近いためか、電車が遠くないところで、ガタゴト、キッ、キーーーッと、ブレーキを軋ませる音がする。

道沿いの並木の間から、学校のような建物が見えた。


そこで珠希は、立ち止まった。


どうやら、珠希は、あの場所へと赴こうとしているらしい。


俺たちは歩いた。公園の中で、子供たちが、「わあ、わあ」と、気のない声を上げて遊んでいた。


いつまでたっても、辿り着かない気がした。しかし、路地に入り、ビルとビルの隙間に入り込んだ時、俺の目に映ったのは、見たことがあるような、無いような、その場所だった。ドブ川の小さな橋を渡り、近づくと、門は閉まっていた。彼女は、なんの躊躇もなく、金網を乗り越え、敷地へ入った。


そこは、コンクリートに囲まれた、小さな学校だった。体育館の、屋根はガラス張りで、日没の最後の光を反射して、校舎は、大きな窓から、光が漏れているようにも見えた。校庭は、真新しい駐車場みたいに、敷きたてのアスファルトの上に、白線が目立つ。


「この教室」


校舎の中は、俺と、彼女と、二人っきりだった。俺たちは、小さな机を囲み、彼女は、俺を見返した。机には、少女が突っ伏したまま、動かなかった。


「かれこれ三年、エタったきりや」


珠希がそう言った。


「ああ」


俺は、呆然と、彼女を見て、言った。


「三年だ」


「下郎作家がなんとかせんことにゃ、ずうーっと、このまんま」


彼女は、うっと、言葉を飲み込んだ。そして、


「うーん、いつになったら、朽ちるのやろな」


少女の服は、色あせていた。毎日の、教室の掃除のついでに、綺麗にされていたが、目を瞑った、頬や、肘の下には、少々、ずさんな掃除のせいで、ホコリが積もっていた。


少女は、俺の、隣の席の子だったのかもしれない。俺は、思った。もしかすると、やっぱり、珠希だったのかもしれない。袖も、襟も、皺だらけになった、その服は、いつか彼女が身に纏った、白いワンピースのようにも思えた。


灰色熊が、ピアノを弾き始めた。


ピアノに奏でられた音が空気を撫でると、俺は思わず目を閉じて、彼女の演奏に聞き入った……。壁が消え、空間に、無数の光の粒のようなものがこぼれ落ちた。


廊下は、しんとした。


「さて、ここらには、もう、なんぞもんが、いらんなあ」


ふと、その時、彼女の髪が、風になびいた。風には、彼女の髪の毛も、はらはらと、流れた。


俺が着ていたTシャツに、長い髪が、風に揺れていた。裾から、下着が見えそうなほどだった。


「ねえ、あんた、どないしぇ……、たんや……」


彼女は、俺を見返した。俺は、思わず言葉を飲み込んだ。彼女は、俺を見たのだ。……彼女は、俺を、見返した。


もう一度、その後のことを、ゆっくりと思い出した……なあ、昨日の俺に、その記憶が本当にあるか。それで、俺には、あの日のことが、もう、ない。夢だった、……のか? いいのか? 


それで、ええやん。マリヤは俺を抱えあげると、ベッドの下に潜り込んでいった。


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