少年少女過激団、最後の夜
少年少女過激団の公演が一七三六回を迎えた夜、彼らはサーカスの出し物で使った巨大なライオンを檻ごと燃やして、観客と観衆にこう言いました。
「これが私たちの最後の見世物になると思います」
そう言った彼らもまた火刑に処されました。
観客の金持ちたちは、美しい少年少女が今夜限り、散り散りになって消えるかと思うと、惜別の涙を流しながらも恍惚とせずにはいられませんだした。
彼らの最終公演の演目は『モスキート山の探検』でした。
団員たちが小さな蚊になり、パトロンの金持ちたちから命じられて、遺跡を探しに来た探検隊を襲うというお話でした―――
そして次の日から、彼らの死についてさまざまな噂が流れ始めます。いわく、彼らの魂は不滅だから輪廻転生するだとか、来世でも芸術家になる、あるいはまたどこかの国の王さまになって国を滅ぼすだとか、どれもこれも根拠のない話ばかりでしたが、しかし不思議なことに、それらのすべてが事実であるかのように人々の口に上ったのです。
一年もしないうちに彼らはすっかり過去の人となり、話題にもしなくなったころ、一人の男が、かつて彼らと同じ一座にいた少女を訪ねてきました。彼女はもう大人になっており、男も昔ほどではありませんが若作りなところがありました。少年少女過激団の団員は死んだわけではありませんでした。彼らはずっと昔に死んでいて、『今宵かぎりの大脱走』のために特別に作られた肉体を借りているだけだったのですから当然です。
その日を境にして、彼女の人生は大きく変わりはじめます。
まず最初に男は女にある約束をとりつけました。
女はその約束を守りましたが、守らなくてもあまり不都合はありませんでした。というのも、もう誰も、少年少女過激団のことなど覚えていなかったのですから……。
しかしある日のことです、女がいつものように劇場の裏手でごみあさりをしていた時、偶然、あるものを発見してしまいました。それは、小さなガラスの欠片で、拾おうとして思わずつかむと、誤って手を切ってしまい、それが血で赤く染まったのを見て、彼女はあの最後の夜のことを思い出していました。それは、ガラスの天井が割れたかと思うと、三階の高さの人間ピラミッドが崩れ落ちたり、壊滅的なアクション・シーンが続いた後の一情景で、少年が一人の少女の手をとって、こっそり劇場から抜け出そうとする場面でした。二人がどこへ向って逃げようとしているのかといえば、彼らがかつて暮らしていたはずの故郷の天幕だったのです!
(二人はまだ生きていました)
(しかし彼らはすでに死んでいるはずなのに……!)
(いったいなぜ!?)
それからというもの、彼女の頭の中には、少年や少女たちの声でさまざまな幻聴が生まれつづけます。最初は耳障りなものだったかん高いさわぎ声が、そのうちに慣れてくるにつれて優しくひびいて、内容も自分が今まで思い出したこともないような、かつて少年少女過激団の一員だった頃の些細な会話だとか、かつて生きていたころに交わした約束だとかに変化してゆきました。
(彼女は自分の頭が狂ってしまったのではないかと思いました)
なぜならばそのころには彼女にとってこの世の中のすべての人間が少年少女過激団の関係者か、さもなくば少年少女過激団の秘密を探るスパイのような気さえしていたからでした。
やがて女はある決意をします。あの男に、会いに行ってみようではないか! しかし彼を見つけるにはどうすればよいのだろう?
そこで、あの時のことをもう一度よく考えてみました。少年は少女を連れ出そうとする時にこう言いました。
「僕たちのことを誰にも言ってはいけないよ」
「彼らだって、そっとしておいたほうが楽でいいんだ」
しかし少女はもちろん、何も言いませんし、彼だって答えを期待していたわけではないのです。少年は、「お前たちはみんな死んでるんだ!」とも叫びませんし、そんな酷いことは「知っていても口にするべきでない」と思っていました。
つまり二人の間に交わされた約束というのはこういうものでした――
「これから自分たちが何者になろうとしているか、誰にも言っちゃいけないんだよ」
「そうすれば、誰も僕らが死んだことなんて気にしなくてすむじゃないか?」
「そうだ、君はただの女の子になるんだよ。僕の大嫌いなね」
「そして、僕らがどこに行こうと何に化けようと決して気がつかれてはいけないんだ。僕たちの故郷がどこなのか、それだけは絶対に。それどころか、僕らのことや何か他のことでも、一切考えない方がいいよ。悩んでも、求めても、懐かしんでもいけない。そうしないと、君の魂も汚れてしまうかもしれないから……」
女はようやくそのことに気づきます。
(私はもう昔の私じゃない。彼らの仲間ではない。少年少女過激団はなくなってしまった)
(なのに、私はなぜここにいるんだろう?)
(故郷でも、劇場でもないこの場所に――)
そう思ったとたん、急に女の目に涙が溢れて流れ落ちました。
ああ!(彼女が最後に考えたこととは何だったでしょうか?)
女は泣いていました。泣いていたがために、人影の接近にも、すぐそばに立つまではまったく気がつかなかったのです。
「僕らは、蚊みたいにちっぽけな存在だ」
少年の声がします。少女は彼の腕の中に抱かれて静かにすすり泣きながら首をふっています。
「僕たちのことを人に告げても誰も信じないだろう。僕たちが死んで、魂だけがこの肉体に閉じ込められていると言っても」
彼女は顔を上げましたが、少年の方は彼女を見てはいないようでした。それは確かにあのとき舞台の上に立って踊って歌っていた少年であり、いっしょに劇場から逃げ出した相手でした。
(その少年が、実は女が探し求める男であるとは誰が思うでしょう?)
「僕たちは長らく死んでいた……」
男は、まだ少年のままの声で言いました。
「みんな、みんな死んでしまった。少年少女過激団は消えてしまった。今残っているのはこの僕一人だけだ。もちろん肉体は借り物だし、記憶もまた同様だけどね。でも僕は僕なんだ」
劇場裏には夕闇が迫っています。男は、自分の方を向いて立っているのが見知らぬ女性であることに、あらためて驚いたようでした。けれども彼は少女の顔を覚えていました。彼がその腕で抱いたちっぽけな魂のことも。
「泣いているんだね。君はまだ若そうに見えるけれど。それでも、あれから長い時間がたっているのはよくわかるよ」
女は男に向かって一歩踏み出し、まるで少年がかつて命じたように。あの最後の夜に、蚊の羽のように薄い衣を翻し、舞台の上で演じた通りに。倒れ込みそうな勢いで男の胸に頭を預けますと、そのまま、しっかりと抱き合いました。
「僕は……僕は……あの時はごめんよ、……まぁ、こんなことを言うつもりじゃなかったんだけど」
帰ってきた男が言いました。
「でも、それも終わりだ」
(彼女は自分が狂ったのだと思いこみました)
(自分の体が、精神までもがすべて故郷へ向う激しい流れに巻きこまれて、抵抗なんかできませんでした)
そして彼女はこう言います。
「そうよ。私たちみんな終わるのよ」それから少し間をおいて、「ああ、それが、わかっているのなら……」と彼女はまたささやくような声になって言い足しました。「死ぬのなんて、怖くない」
(そうよ。終わるの)
「僕たちが、死んだ魂にお似合いのこの肉体を捨てる時、少年少女過激団がよみがえる」
「でも、それって……」
女が訝しげに首をかしげると、
「こんどは、僕たちの魂を奪った金持ちたちをみな殺しにしてやるんだ」
少年の誇らしげな声が聞こえます。
それは、モスキート山のピラミッドの頂点から、崩壊する山塊が、おびただしい量の水晶の破片となって流れ下り、金持ちたちを呑み込んで押しつぶし、血しぶきを上げる、そういう光景を連想させたかもしれません。
少女も同じように想像し、微笑んでいるようでした。
(でも、どうして?)
女は不思議でなりませんでした。(あたしたちは本当にそれを望んでいるのだろうか?)
なぜならば、そんなことはありえないのです。だって……。だって……?
「あなた、本当は死にたくなんか、なかったんでしょう?」
彼女の言葉に、今度は男の方がびっくりしたのでした。
しかし、やがて二人は顔を見合わせてくすっと笑うとこう言いました。
「そうかもしれないね」
と、少年はつづけて言いました。
「でも、僕たちは死んだ……殺されたんだ」
「そうよ」
少女も答えます。
こうして二人は、手をつなぎあい、ゆっくりと歩き出していきました。もう決して振り返ることはありません。
(彼らがどこに行ってしまったのか、それは誰も知りようがないことなのです。)
路地には『モスキート山の探検』のポスターが貼り残されています。
剥がれかかった宣伝ポスターが、はためきながら、断片的に見せる出し物の絵柄の実現――
いつか、目の前に逆流する滝が桃色の花火のように爆発する、奇跡のような光景。――まさにそう、それでした。かつてあった過激団の少年少女が夢に見たのは。
謳い文句は、
「期して待て!」
最後の夜は、これから始まる。
いびつな透視図法に則って打たれた文字が、そう予告しています。
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