製作日記 其の22
言葉として思い浮かんだことしか文章にできない。小説を書こうとして、話の構成とか、映像とか、その時々の感情などを、脳裏に浮かべても、それを文章に置き換えることはできない。
やってできないことはない、と言うかいつも話を作る時は無理やりでっち上げる感じだが、そうしてできた小説は、読むと何だかたどたどしい。
先駆ける言葉に反応して次の言葉を紡ぐAI方式では、落としどころを持ったストーリーを物語るのは難しい。
そこに人間が介入する。しかし、その人間が、イメージやら事の生起やらを言葉に落とし込む能力に欠けているときては、お話にならない。堂々巡りだ。
むしろ無理に話を作らない方がいいのか?
人間が書きたいと思って書けるものならいくらでも書けたはずである。小説としての質を考えるなら、それを書いて誰が得するかを考えるのは、価値判断をするもしないも、作者次第だろう。それが、人間が書きたいと思ったときに限っては、不可能に思えた。
人間は決して、誰かの望みに応えては、小説を書いてくれはしない。しかし、書きたいという意思があると、書く、というか、書かざるを得ない。そう、言い換えれば、無理やり書かされる。読者は、その意思を読もうとする。AIの文章は、その意思を読み取れないところが、人間らしくない。
何がそこで邪魔してくるのか。
読むから、その人が何と思って書いてるのかを知るのではなく、知っているから読むのだ、ということを知るべきだろう。それを見極めないと、文章が書けないのと同じ。
読者が知っていることを書け。ただし、読者には、知らなかったと思わせろ。
そう、プロの書いた作品になると、小説が書けているとか、書けていないと言われる。ということは、その小説を書いた人は、読者が望むその人の持ち味である文章を書いてくれなかったのだ、と言っているようなものだ。これが、プロに求められる文章の完成度というものだ。プロなら誰だって読者が書いて欲しい文章を書けるのである。作者は、誰も自分のためには小説を書いてくれないことを知りながら、読者には、自分の書いている文章に、少しでも満足してほしいと思ってしまうのである。
アマチュアだとしても、文才は全くゼロではない。だから、私は自分の小説に不満を感じる。つまり、「書けない」と言うから、書けないんだ、と言われても文句一つ言えない。
AIの文章に詰まって、いつまでも渋滞するのは、小説が自ら、この続きは「書けない」と言っているのと同じ。
そレが私への評価である。その人の性格をなだめすかせて、長所を伸ばすように褒めるなんてできない。
と言っても、「小説は書けないし物語もない」わけではないが、誰も考えていない文章が綴る小説は沢山ある。私が書く、とか、書けない、というとき、その主体は、AIの言葉を引きずって悪戦苦闘する、それでも何か言おうとして、つまり、自分の外へ出ようとする、「そう言う感じの、人間のようなもの」だと思って下さい。
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