パルムの僧院

『パルムの僧院』を読み終わって、男が言った。


ファブリスはDQNだ。


女というのはクソみたいな男が好きな生き物だ。どんな魅力的な、「人間的に価値のある」男と付き合っている女でも、愛しているのはその素晴らしい男が持つクソの部分だけだ。


これが色男の秘訣だよ。


幼児の世話をしながら進化してきたせいなのか、女はもともとクソに抵抗がない。あげくは社会的にクソを食うようにしつけられて育つから、クソマニアになるのも致し方ないところではある。


クソマニアのくせにクソを食わされて文句を言うのが女という生き物だ。


たまにはクソが好きじゃない女もいる。ただ、そういう女は人を愛さない。


まあ、クソ好きな点では男も引けをとらんがね。


男が男に従うのは、ナポレオンであれ、ヒットラーであれ、そいつが、クソの中のクソである時だけだ。


戦争ってやつがいい例さ。クソまみれでクソの中に突込んで、大袈裟に歓喜の声をあげる、女はクソを愛し、男はクソを崇める。それだけの違いだ。


俺らは、クソからクソを掬い上げ、クソの上にクソを重ねて、そのさらに上にクソを奉る。クソに沈んで息絶えるまで。戦争ってのはそんなもの。国家の空涙が小便の雨となって降り注ぐ、果てしないクソの泥沼だ。


何の話かって? いいじゃないか。結論として言えるのは、社会はクソで回っている、ということだけだろうがな。


クソが好きだろうと、嫌いだろうと、誰もがクソと無縁ではいられない。


ストーカーさえ許してしまうサンセヴェリナ公爵夫人は、クソを愛してもクソに染まらない、男が思い描く理想の女性像だろう。


クソみたいな男を愛してしまう弱みは彼女のような強い女だけが持てる致命的な愛嬌だ。致命的という意味は、愛嬌が致命的でなかったら、魅力とは何なんだ、ということ。


『パルムの僧院』は、そういう話だ。

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