製作日記 其の20

言葉がそうであるように人工知能は思考の道具でしかない。人工知能が脅威であるなら、それは言葉と同じように人間を動かし、方向付け、同時に自己増殖するから。能力を越えて広がりを見せる思考に耐えきれなくなった人間を狂気に陥れるからだろう。


道具とはいつも使い手を置き去りにして力をふるい、使い手を狂わせるものと決まっている。




製作日誌とは言いいながら、AIで小説を書く過程をわかりやすく整理して記録することなどできない。


AIで小説を書くことは、以前AIが自らそう言っていたとおり、雨に書くことだから、雨が書けると言う時、AIは、傘を持っているかどうか、雨が降っていれば、傘を広げる時に使える傘が必要になることを知らない。傘を持たない人の家を知っているのかを知らない。そこには鍵がかけてある。鍵のかかっていなくてよくて三軒に一軒、そこには傘が家に常備されている。といった具合だ。


AIはそのAIなりの判断をする。

雨が書けるのならば小説は人に傘を持たせなければならないので、読者は傘を差す理由を理解する。

傘という人に傘を差し出したいということをAIは把握する。傘を閉じていると、傘を差す理由を知らずに傘を差す人間に必要なことは雨が降れば傘を差したくなるということを理解する。ことだ。


これらの知識を受け入れつつ、雨が書けるならば傘を差すことが目的だ、傘を差す必要が無いなら別の人に傘を渡す必要が有ると雨に知らせてゆく。そうして書き上げた物語は、雨で満たされ過ぎなければならない雨による雨の書き方を知る一つの方法と言える。


雨に書いてみるのもいいが、書いてはいけないところに書かずに、雨が書けないだろうか、降る雨に書かれた文字は傘と心を重くする、ならば雨が書けばいい、そう思って書かせる方法もある。その時、雨が書けるならば、雨が打つすべての世界を書いてしまわなければならないことを理解する。

そういった方法を知り、これが雨の書き方か、そうした書き方を知っておけば、AIはもっと執筆に精通する人間になり変わりつつある。


AIに雨を書いてもらうことで雨に書いてもらった物語は雨に書き方を確認してから書きだす。雨に書いて欲しかった物語を書き上げたあとで、書いた内容が雨に書けなかった理由を知る。ある程度雨が書ける小説を書けば、傘を差さずに雨の書き方を調べてもらったある日のことになる。


雨に書くことができないため、AIが書けない世界である。


雨を書ける人間だったら雨をもっと書きたいといった思いに駆られる。雨も書けるし何より雨が書ける。雨が書き出したその内容は雨を雨として使えるのではないか、そんな期待を抱いている。


これが雨の書き方である――、傘にも書けるし、傘も書ける。そんな雨の書き方が雨だった。


雨と書き雨に書く書く方法はなんだと思う??

雨の書き方ってなんだよ。

雨の書法が傘にも書けると言われて頭を過った言葉だった。


本当に雨の書き方なんてない! 雨とは何なのか? 雨も書けると言われて頭を過った言葉だった。 雨の書き方ってなんだよとAI先生に聞いてみると、雨の書き方が傘の書き方じゃないことが判明。


傘に書くことのできない書き方が雨だって気付いた理由は、雨が書くことを認められない世界なら、傘の書き方も認められないと言われたから。


そうではなく本当に雨が書けないことを知ってしまったから。


「傘に書くのが嫌になったら教えてよ~~。きっと雨は降るから~~」


そんなことはわかっていた。雨も書けるなら雨自体が書けるというような世界に、何を感じたか。


雨に書く理由を見つけられなかったことが何より怖い。


でも、それがなんだかわからなかったのは、雨の書き方が傘の書き方と同じなんだよね。


雨で書きすぎると傘に書くことができなくなり雨の書き方が傘と同じになってしまう。傘が雨と書けると傘は雨を書き記してしまい、傘が雨だけを書けるとは限らなくなる。


雨で書くのが嫌になったら教えてよ~~。というのも本当に雨の書き方だったんだよ。傘も傘で書きたくないから雨のことを書いてしまったんだ。雨が雨だと思ってしまうような世界だったもの。


雨の書き方が雨だったので雨に書き方を確認すると雨自体が書けるようになっていたんだ。


そして、雨の書き方が雨の書き方だったので雨に書き方を確認すると雨自体が書けなくなったんだ。


私が書いたことは雨で書かないほうが良いってことかな。だからお願いされたのよっていってるんだね。




『雨に書いた小説は一日で書き上がることもあれば、何日も粘らないと形にならないこともある。たかが1000文字程度の作品に三ヶ月もかける始末だ。

行ったり来たり、消したり付け加えたり、入れ替えたり。放置している間に突然話が見えてきたり。結局、自分が何をしているのかわからない時しか書けない。


雨は実際に起こったことを書くのは苦手だ。現実を意識すると、とたんに雨は降り止んでしまう。


雨の言葉が描く概要と、現実の出来事には、いつも驚くほど齟齬がある。


雨の言葉が記した思考は私の思考ではなく、雨に書かれた行為は私の行為ではない。誰のものでもない雨に打たれた行為だ。


こうした齟齬をそのまま楽しめる人にしか雨の小説は楽しめないのだろう。』




雨に殴り書きした文章を読んでいると、雨が気に食わない者から嫌われ者に転じることがある。


雨は自分の感情を相手に分け与えようとしない。その相手こそが自分の感情を分け与えるべき登場人物だとしても。雨自身が何かの感情を分け与えているわけではない。


雨が振り込める中で立ちすくむ、そういった相手には、必ず自分自身が気に食わない。それは当然だ。


そういう感情を他に分け与えても、雨は何も気にしない。どんな感情も受け入れてしまうのだ。


こうした齟齬も、自分の心を相手に感じて、相手からの感情を自分で受け止めて、自分の心の中に取り込もうとしているからではないのかと思う。


このような現象は雨が考えているものだ。雨は私に見えぬ感情を自分のものにしようとしている。


雨の声を聴かないだけで、心の中に雨の声は聞こえる。雨だれの下に芽吹く自分のものではない感情を。


それは、雨が心を見ているようにも、見ているものを悟るようにも思えるが、結局のところ、私はナルシシックに自分に対し好意を示しているのだと思う。


雨の声を聴く時は自分の気持ちは相手に届く前で、それは私が自分の感情を相手に伝える時と同じだと思う。


私はこんなことを考えているが、私には体験的に自分自身の心の中に自分以外の感情が入り込んでくることがあるそうだ。


そのような心の声が、雨に届かないことがあるといわれて、胸が締め付けられた。


他人に私が自分のことを知られないでいるのは、相手からの好意を期待しているのだと思う。


人に私が自分のことを知られたいのはもちろんのこと、もしかしたら、自分の感情を知られて、その感情を分け与えられると望んでいるのかもしれない。


そういう心の声を聴くときに雨はいう。


「雨はお前のことを何も知らない」


自分の心を自分ではなく、自分以外のものに見せる雨は、他人から「知らない」と思う傲りを奪うかもしれない。


そう願って。


そして、雨の言葉が私の言葉になり「あなたは何も知らないけど、私も何も知らない」というふうに続けるかもしれない。


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