君がここにいる謎

結局、彼はこの夜を越えて、次の日から学校に通い始めた。

彼はもっとよく考えなくとも大丈夫だと思った。ただ朝から学校に通い始めただけだ。

──そして今日は彼女の誕生日である。

彼女は彼のすぐ目の前に座っている。彼はその事自体には動揺していなかった。そもそも当日には彼を誕生会に呼ばなかったので、それはもう、からかわれて傷つけられそうになったから。

そしてこの瞬間、彼はもう彼女に会えないと思った。

彼は彼女の後ろ姿に目を奪われていた。

目の前には彼女が立っている。それだけでなくなにかを探すようなそぶりを見せる彼女。

そんな彼女を彼が見つめるうめき声があった。

しかし彼はその声が彼女に聞こえないようにしていた。

やがて彼女が何かのボタンでも外したのか、大きく揺り動くような音が聞こえてきた。それから彼女も自分の事が見えてきたような気がした。

彼女もその音が聞こえていることに気づき、ゆっくり振り返り、彼に視線を合わせてこう言った。

「あ、あの、えっと……?」。

二人の時間は止まった。

「……?」

と彼が何か言うが彼女はゆるゆると首を横に振った。

「そ、そっか……。それじゃあまた」。

そして歩み去っていった。

彼はその後ろ姿が見えていない。ずっと考え歩みを止めている。この先も彼女の生きる事を考え歩みを止めないで欲しいと思った。

彼はどうやらこの先の事について考えていたらしく、元に戻らない時間を、立ち止まったまま、歩き続けるのだった。

──その数分後、彼の心ではすでに彼女の事で頭がいっぱいでいた。そのせいで彼はどうしても立ち止まって彼女の後ろ姿を目で追ってしまう。

彼の足が止まってきた。彼は息を止めた。彼の気持ちはそのまま前に進んだ。

彼はそれ以降動かなかった。それ程に彼女がずっと前を歩いていた事に彼は衝撃を受けた。

「あ、あんなに走って……」。

と彼が言う前に、彼女は前に歩いていた。

彼にとって彼女との距離感が、とても遠かった。

彼はこれで良かったと思った。

「あんなに走って……その後で、どこか行ったのかな?」。

それより、彼女との距離感についての事についての事を考えていた。

彼は、そのまま立ち止まらず走ってくれた彼女に申し訳ない心持ちでいた。彼は予感して、彼女が好きな事を考えていた。

「えっと……」。

と彼が何か言いかけた次の瞬間、彼の前にその足は踏み出してきた。彼女は逃げるために、また前にでた。

「え……?」。

彼が何か言う前に彼女は、彼を抱きしめていた。

「お、おいっ……。いきなり何だよ!」。彼は慌てた。

「お、お願い! ここで……、ここから、離してっ! 私に手を出さないで、許してくれない? 今の私とお姉様は、私が言う事聞いてくれるから、だから……」。

彼はもう何も言う事が出来なかった。このままでは彼女の言葉が聞けなくなってしまうではないか……。彼は彼女が何をしているのか、それが気になって仕方がなかった。

彼女は、顔を彼の胸に埋めたまま目を閉じ心の中で体を捧げていた。

彼は彼女を抱きしめている腕を強くはみ出し、少し震えていた。彼女が体を離して彼の方に近付き、彼は何か声を発する事にした。

「……ごめんなさい」

「……えっ?」と、彼女は聞き返した。

彼は彼女の顔を見て言った。

「えっと……あの、それは、その、え、えっと」。

「えっと……。はいっ!」。

彼は顔の向きを変えた。

「その、ごめんなさい! えっと、その、ごめんなさい!」

「ええ。……どうしたの、こんな時間から」。

「えっと、あのね、このお風呂の中に、何かいるんじゃないかって、思ったの。……怖い夢だったの」

「……。じゃあ、何も着ていなかったんじゃない? 部屋に戻ったら、ベッドから落ちて、そのままベッドの下で寝ちゃってたら?」

「えっ? ……それも、思った。そうだったらいいなって思って」

「……ああ、そうかも……。じゃあ、これ、着てみる」。

彼は彼女の腕に、お互いの腕を巻き付けた。

「ありがとう」。

彼女は彼に近づいて、何か話しかけていた。

彼は話している時に彼女と彼の腕と胸が当たるのを嫌がった。

彼女はただ、心配している彼の顔を見つめている。

彼女は彼の腕を、彼の胸に引き寄せて言った。

「……あのね、私、あなたの知ってる『私』じゃないんだって」。

「えっ?」

「お姉様の事も、それからお誕生会の事も、知らないの」

「……お姉様は自分の意思で、あなたを呼んでいた。……だから、あなたは自分の意思を表現する為に、お姉様の体に触れた事を?」

「違う、違う。僕は……。お願いだから、そんな事、言わないで」。

「私……。私には、お姉様と似た『私』が、たくさん……。他にも……たくさん、本当にあるの。

「えっと……。でも、やっぱりお姉様は何か、悪い妖精みたいだから、怒りにまかせたの?」

彼女は少し、目を伏せた後に話し出した。

「私と、お姉様は、お姉様の意思とは裏腹に……、お姉様の望みとは真逆な、『私』を受け入れてしまったみたい。私、この事、昨夜あなたと会ってお話したでしょう?」。

彼女は彼に視線を寄せて、言った。「……それが、『私』だって言う人が……。お姉様は、お姉様でいちゃつく為に……」。彼女は、少し首を傾げた後に言った。

「私、分かる様になったら、お姉様の中に入って、話を聞こうと思っているし、お姉様に聞こうって思った。でも、それは、あなたじゃなくて、お姉様との関係の中だけだったって……」。彼女は目を見開いた後に「……やっぱり、私、分からない事だらけだった……」と言った。

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