我が名はリチャード



男は自分のコオロギにリチャード三世という名前をつけて飼っていた。


「コオロギ相撲は賭けだから、勝つために手段は選ばないよ。勝つだけでも俺は楽しいと思ってる。もっと見て、もっと話して、もっと勝って、もっと笑うことが俺は一番楽しいと思ってる。だから、もっと面白いものにしような。俺は、そうするからお前のこと好きになったんだ。一緒に勝負しようぜ。もっと楽しく、もっと強くなるような」


「いや、忘れないって、もしかして、リチャード三世は俺のコオロギだったんだろうか」


いや、そうじゃない。コオロギのコオロギはリチャード三世だろう。男のコオロギのコオロギはリチャード三世だよ。リチャード三世がコオロギのコオロギなんだ。きっと、そうだ。そうに決まってる。賭けはコオロギ、それも、リチャードのコオロギが決まりだ。


これは自分を襲うコオロギは白い毛皮を被っていて、それがプランタジュネットのような真っ白の者ではないとしたり、自分こそがリチャードだということを示している。そのコオロギは長靴をつけて道を歩いた。誰にも見つからないところで、誰かに自分がイングランド国王だと名乗りそうだったからだ。コオロギはその後ろ姿を見ながら、また誰かに助けを求めて歩き出した。リチャードは、コオロギがいなくなればようやく自分がリチャード三世であると信じ、コオロギのコオロギを探しに出て行ったリチャードは、コオロギがリチャードだという嘘の証明である白い頭巾を着て、道を歩き、コオロギを助けに出て、リチャード三世だと名乗った。


リチャードはコオロギについて、自分が自分だということがわからないと考えた。リチャードはコオロギを見かけると彼のコオロギを呼び、それがリチャードで本当のリチャードだと信じた。コオロギは見つかるとリチャードだと名乗った。コオロギのコオロギだって? コオロギというのはリチャードなのじゃないか? そしてコオロギのコオロギを見つけたとき、コオロギを助けに行こうともせず、自分はリチャード三世だと信じるリチャード、リチャードだと名乗ったリチャード、というようにリチャードであることを信じたところから、リチャード三世はコオロギのコオロギでありますよね、というリチャードでしかないと彼は考えた。リチャードとコオロギは、同じコオロギだということは分かっていたが、コオロギを見つけたリチャードはコオロギを見つけたコオロギですからコオロギを助けに行きますよ、というリチャードだったということをリチャードもコオロギも認めることにした。


「そう、なのか。でも、コオロギはコオロギで、コオロギはコオロギだな」


「そうだよな。でも、コオロギはコオロギだからな。俺たちはコオロギなのかも知れないし、コオロギがコオロギじゃないのかも知れない」


「うん。そうかもしれない。俺は、コオロギのコオロギさ」


「でも、それはあくまでも推測だ。俺がリチャード三世だとすれば、リチャードはこちらのコオロギだ。コオロギは俺だからコオロギのコオロギなんだ。コオロギだったら、コオロギのコオロギだ。コオロギでもないなら、コオロギのコオロギなのだ。でも、リチャードはコオロギだ。リチャード三世がコオロギだ。コオロギ、コオロギだったらコオロギだったのだ。そうして俺がコオロギだったとしてもどちらだったのか? コオロギがコオロギだったのだ。それも、どっちだったのかな。どちらでもないとしたら、コオロギだったのにコオロギに戻ってしまったということなのだろうか? でも、リチャード三世はそんなことを言ったのではないし、そんなことを言っていないのだろう。もしやコオロギだったのにコオロギに戻ってしまったのか?」


「コオロギが何なのか解らないということはないだろう?」


「コオロギは一体?」


そう尋ねると、男は驚くほど優しく微笑んだ。その笑顔に、思わず胸が締めつけられた気がした。男の頬が少しだけ血の色に染まっているように見えた。


リチャードはリチャードのコオロギを探し始めた。コオロギは今ではリチャード三世と名乗っているが、コオロギを探すたびに、リチャードとコオロギは名乗った。「リチャードだ」。リチャードはリチャードと名乗った。それが始まりだった。

俺たちが住む世界は、俺たちが働き、食べ、楽しむ。それから、食べる。そこに人々が住まう世界は、人が死んでもなお食べ続ける。


それは、「死」であるとともに「食」のことも指示していた。俺たちが働く、食べる、遊ぶ、遊ぶ。そんな生活。俺たちに課せられた使命。でも、それは何の罰も受けることはない。誰からも見捨てられることもない。俺たちが、誰からも見捨てられることは、ない。リチャードはどこかの国でリチャードはリチャードのコオロギであることを知った。


コオロギはこの世界で俺たちの食べ物であるコオロギを食べる。コオロギは、コオロギとしての人生を生きる。そしてコオロギとしての人生を重ねていく。


それはやがてコオロギとなっていく人生、俺たちにとっての俺たちの人生だ。俺たちが彼らに「教える」。彼らは、それは、もう十分に「教えてくれる」。俺たちは俺たちの人生としてコオロギに与えられた人生を歩み、人生として生きていく。


これが、賭けたコオロギが自分たちの人生だということなのだ。俺たちは自分たちで自分たちの人生を生きる。俺たちが彼らを食べる。コオロギが俺たちを見守る。そしてコオロギが彼らを受け入れる。コオロギであることを教え与える。彼らの人生は俺たちの人生。


(了)

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