第24話:相棒
「うん、ヨキやシャルル、エルムから聞いていた通り、君の淹れる紅茶は美味い。普段自分で淹れる数倍は美味い感じがするな」
「お褒めにあずかり光栄です」
「そう硬い言葉を使わなくていい。まあ、適当に座ってくれ」
リーンハルトの言葉に、フェイは小さく頷く。それから、彼の目の前に用意されているソファに腰を下ろした。
フェイとノーマが巻き込まれた誘拐事件から、早数日。フェイは、リーンハルトからの呼び出しを受け、彼の執務室である管理長室に来ていた。
普段リーンハルトの横に並んでいるヨキの姿はなく、二人きりの状態。フェイは緊張した面持ちをしている。
「……そう固くならなくていい。今日は、君に聞きたいことがあって、ここへ呼んだんだ」
「聞きたいこと、ですか? それは一体?」
「試用期間の一ヶ月。もうそろそろだろう?」
リーンハルトにそう言われ、フェイはこくりと小さく首を縦に動かした。
ひと月ほど前、ここに来たばかりの頃。フェイがリーンハルトと雇用契約を交わす際に、フェイが突き付けた唯一の条件だ。
「それで、どうだ? 俺としては、君にこのままエルムの世話を任せたいと思っているんだが。君が最初に提示した条件は、もうクリア済みだろう?」
「そう、ですね……」
あの誘拐事件以降、エルムはフェイによく絡んでくるようになっていた。そこに、それまでの険悪さは一切ない。勉強の時以外にも、雑談やお茶会をしに来ることも増え、食堂で隣同士になって食事を楽しむ機会も多くなっている。前よりもはるかに距離は縮まり、仲良くなっていると言ってよいだろう。
あの時に考えていた懸念は、もうない。
「では約束通り、エルムの先生──つまりはアイツの相棒として、ここに残ってもらうということで、構わないだろうか?」
「……本当に、私で構わないのでしょうか」
ぽつりと、フェイは呟く。ティーカップの中、琥珀色の水面に映る瞳は、ゆらりゆらりと不安げに揺れている。
「と、言うと?」
「皆さんと違って、私は、まるで戦えません。この間のように狙われては、私はすぐに捕まってしまうでしょう。……そうなると、皆さんに迷惑をかけてしまいますから。それだけは、避けたいんです」
「ふむ。なるほどな」
「はい。ですから、やはり私にこの場所で生きていくことは、難しいのではないかと思います」
「……だ、そうだぞ、エルム」
「ほえ?」
フェイの口から間の抜けた声が零れたのと同時。ガコッと何かが外れるような音がし、上からくすんだ緑色の塊が降ってきた。すたんと、小さな着地音が鳴り、ゆらりとそれは立ち上がる。
「え、るむ、さん……。え、いっ、いつからっ? と、というか、どこからっ?」
「最初から、だな。君の雇用云々に関して、昨晩エルムに問われてな。色々と説明するのが面倒臭くて、こうして待機してもらっていたという次第だ」
ぽかんとした表情のまま、フェイはリーンハルトの説明をぼんやりと聞いていた。リーンハルトはそんな彼の様子にくつくつと笑い声を零し、エルムはつかつかとフェイへ近付いて行く。
あの事件以降、外されることの多くなっていたフードは、今は深くかぶられて相貌は隠されていた。
「エルムさん……」
「ふぇ、フェイさん」
エルムは、フェイをじろりと見下ろすと、ガシッと勢いよくフェイの細い肩を掴む。
「ふ、フェイさんは、み、皆にめーわく? かっかけるの、嫌、なん?」
「……はい、そうです、ね。他人に迷惑はかけたくないです。他人の手を、煩わせたくないというか……」
しどろもどろになりながら、フェイはエルムへそう言う。目をウロウロさせ、明らかに困ったような雰囲気を醸し出している。
エルムはそんなフェイの様子を見た後に、ぱしりと両手でフェイの頬を包み込んだ。
銀の隻眼と緑の双眸が、かちりとお互いを見つめ合う。
「な、なら、なら、ぼっ僕が、守るよ、フェイさんのこと!」
「へ」
「ぜっ、絶対、な、何かあっても助ける! おっ襲われそうになったら、ぼ、僕が、あっ相手をボコボコにしたる! や、やから、やからな、……ここに、おってやぁ」
「エルム、さん」
じ、とフェイを見つめるエルムの瞳は、真剣そのもので。フェイはただただ、美しく輝くその双眸を見続けて、ふっと体から力を抜いた。そして、小さく口元を緩める。
その表情を見て、エルムは僅かに顔色を悪くして、フェイの両頬から手を離す。
「あ、うぁ、え、えと、や、やから……、おってよ、ここに……」
弱々しくなっていく声。俯く顔。そんな彼の顔を、フェイはそっと覗き込む。
「顔を上げてくださいよ、エルムさん。そんな目で見られたら、私、断れないじゃないですか……」
「っ! ふぇ、フェイさん!」
フェイの言葉に、パッと表情を輝かせるエルム。
「ほ、ほんま!?」
「はい、嘘じゃないですよ」
ぽへ、とフェイが柔らかく微笑むと、エルムはますます口角を上げて、フェイの脇に両腕を入れて、ソファに座ったままだった彼の体を抱き上げ、クルクルと回り始める。フェイはそれに目を丸くし、エルムは先の鋭く尖った歯を見せ、「わーい!」と喜びの声を上げた。その姿は、まるで無邪気な子どものよう。リーンハルトは、そんな彼らの様子を、微笑ましそうに眺めていた。
ひとしきり、エルムが満足するまで回され、フェイが「そ、そろそろ、気持ち悪くなってきました」という言葉と共に、その回転は終わった。
エルムはフェイを慌てて床に下ろし、フェイはたたらを踏みながらも、何とか平衡を保ってエルムに笑いかける。
「ご、ごめ、ふ、フェイさ、だ、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫ですよ……。ちょっと、慣れてないもので……」
フェイはふう、と息を整えて、それから改めてエルムの顔を見上げる。エルムも、いそいそとフードを外し、少し長めの茶髪が露わとなった。
「……嫌になったら、すぐに言ってくださいよ?」
「だ、大丈夫! そ、そんなこと、なっない、から!」
二人は向かい合って、それからほぼ同じタイミングで手を差し出し合う。
「……今日から、先生役に引き続いて君の相棒となりました、フェイ・エインズリーです。よろしくお願いいたします」
「フェイさん、か、硬いわ。……ぼ、僕は、え、エルムグリーン。よっよろしくな、フェイさん」
二人はそう言って、握手を交わした。リーンハルトは、そんな二人の様子を見て、それからゆっくりと彼らの元へと近づいていく。
「それでは、客室ではなく新しい君の部屋を用意しなくてはならないな」
「あ、そうです、ね」
「ぼ、僕手伝う! り、リーン、部屋はっ?」
「あぁ、ヴァイオレットの部屋の隣が空いているだろう? そこをフェイの部屋にしようかと」
リーンハルトがそこまで言ったところで、エルムはフェイを担ぎ上げてそのまま走り出していってしまった。リーンハルトはぱたんと扉が閉まったのを見て、軽く嘆息する。
すると、閉まったはずの扉が再び開き、今度は資料を携えたヨキと、げんなりとした表情をしているシャルルが顔を覗かせた。
「話し合い、終わったっぽい感じやったんで。これ、確認して欲しい資料です」
「あぁ、分かった。それにしても、ちょうど良いタイミングだった。シャルル、お前の思惑通り、フェイはこちらに残るそうだぞ」
リーンハルトの言葉に、草臥れた表情をしていたシャルルの目に、きらりと光が宿る。そして、食い気味に「ほんとっ」とリーンハルトに問うた。彼はこくりと頷く。
「あぁ。エルムの先生役兼相棒として、ここに勤めてくれる。雇用に必要な書類は、おいおい作っていこう」
「……うん、ありがとうね。リーンちゃん」
心の底から安堵するようなシャルルの声に、ヨキは小さく鼻を鳴らし、リーンハルトの方を向く。
「リンさん、フェイさんを夜警に引き込んでええんか? あの人、戦えへんのに」
「大丈夫だ、ヨキ。彼は、戦えるだけの素質はある。それの使い方を知らないだけだ」
リーンハルトは、小さく笑う。その頭の中では、これまでのフェイに関する報告が目まぐるしく駆け巡っていた。
様々な魔術を秘めた
夜警としてこの街で生きていくには、充分な力を彼は持っている。
「これから、エルムと共に過ごしていけば、自ずと夜警として相応しい存在になっていく。これは、俺の未来予知だ」
「……はいはい、分かりました」
ヨキの呆れた声に、リーンハルトはくつくつと殊更楽しげな声を上げ、パンと勢いよく手を叩いた。
「それでは、新たな仲間を迎え入れるということで、早速歓迎会の計画を練るぞ!」
イキイキとした表情を見せるリーンハルト。ヨキとシャルルは、それぞれ柔らかな表情を作って「了解」と彼の声に応えた。
にわかに騒がしくなる施設内。
それを知らぬのは、本人達二人だけであった。
迷宮都市ナイトウォッチャーズ 本田玲臨 @Leiri0514
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