第15話:街を歩く

「大分買いましたねぇ」


 フェイとノーマが<ふくろう>の施設を飛び出して数時間。鐘の鳴った回数からして、時間帯は夕方から夜へ移ろおうとしている黄昏時。商店街パッサージュの大通りを歩く人の数はぐっと減り、仕事終わりの紳士が酒を飲み始めていたり、ハイ・ティーを楽しむ年若い淑女達などで、喫茶店や酒場といった場所が賑やかになっている。そんな人々の中に紛れて、フェイとノーマもまた喫茶店に足を運んでいた。

 フェイの目の前には、華やかな食器に盛りつけられた生クリームの乗ったシフォンケーキと紅茶。ノーマの前には、紅茶。フェイは、顔を綻ばせて食べていた手を止め、申し訳なさそうに眉を寄せた。


「すみません、色々と付き合っていただいて」

「いいですよっ、そういう仕事なんで。それに楽しかったし。だから、謝るのは間違いますよ?」

「あ、えと、すみません。癖でその……」

「謝り癖ですか?」

「そんな感じ、ですね」


 フェイは曖昧に笑って、ケーキをぱくりと一口食んだ。程よい甘さと香ばしい香りが鼻を抜け、ほわりとフェイの表情が綻ぶ。見るからに、幸せそうだ。ノーマはフェイの言葉を反芻して訝し気な顔になったが、それ以上は言及せずにこくりと喉を鳴らして紅茶を飲む。

 もぐもぐとそのまま食べ進めながら、フェイは自身の肩提げ鞄を撫で、今日一日のことを思い返す。

 ノーマがフェイを連れてやって来たのは、<ふくろう>から一番近い商店街パッサージュ、パッサージュ・ドゥ・ラ・ルミエールである。

 広い中部階層の中でも、二人がやって来たこの場所は、比較的人通りが多い方に分類される。青果店では、上部階層で買い取られなかった形の悪い野菜や果物が並び、声高らかに商品を売り込んでいる。鼻をくすぐるのは、酒と焼き菓子と硝煙。酒場と菓子店、武器屋などが近いのだろう。ショーウインドウには、色鮮やかな女性物のドレスやかっちりとした紳士服、可愛らしい磁器人形ビスクドールが店ごとに飾られ通りに彩りを添えている。

 人が行き交う道端では、からんからんとマフィン売りがベルを鳴らして呼び込みをしていたり、花売りの娘が道行く紳士や若い浮浪者に声を掛けて、美貌と共に色鮮やかな花を売っていたり。

 上部階層とはまた様相の違う生活風景に、フェイはフードの下の目をきらきらと輝かせていた。


「ほわあ……っ!」

「はは、そこまで嬉しそうにしてくれると、こっちも見慣れた街並みなのに、新鮮な気持ちになるなあ……」


 フェイがあちこちに視線を配るため、足元が疎かになって倒れないよう、ノーマは彼のケープコートの裾を握り、目的地へと彼を導いていく。きょろきょろと首を動かすフェイ、その横で苦笑いしつつ店へと連れて行くノーマ。どちらが年上でどちらが年下なのか、ぱっと見では勘違いされそうな光景である。

 そんな状態のまま、ノーマはフェイをまず紅茶店に案内した。そこは彼女曰く、パトリシアがよく利用する馴染みの店だそう。

 そこでフェイは、今まで以上に瞳を輝かせて、茶葉の入った小瓶を吟味し始めた。その姿は、女子顔負け。あまり紅茶に明るくないノーマは、そんなフェイの熱に相槌を打つしか出来なかった。

 続いて向かったのは、服飾店である。エルムに切られ、使い物にならなくなってしまった眼帯を買い直すためだ。ノーマが色々と奇天烈なものを進める中で、フェイは無難な黒色を選び購入した。


「包帯を、ずっとぐるぐる巻きにしているわけにもいかないですからね」

「義眼、外したらいいんじゃないんですか?」

「それでも構わないとは思いますけど、見た目が悪くなるじゃないですか。それで私が白い目で見られるのは構いませんけど、隣を歩いている人が白い目で見られるのは嫌なので」

「……ふうん」


 そんな会話をしつつ、次に足を運んだのは、レトロな雰囲気が漂う本屋街。名の通り、本屋だけが軒を連ねている場所だ。中部階層の本屋は、上部階層で買われなかった古本ばかりが集う場所であるが、それでもフェイはとても楽しそうに色々な店舗を足早に見て回り出す。

 最終的に、フェイは二冊の書籍を手に取り、首を左右に傾げながら唸り始めた。


「うーん、うーん」

「悩むなら両方買ったらどう? お金、いっぱい持って来たんですよね?」

「まあ、はい。一応全財産を持って来てますけど、でも、帰りの荷物が多くなるのを考えると、……ちょっと悩みますよねぇ」

「……そう、ですね。ちなみに拙的情報網だと、上部階層ではこっちの方が人気だったそうですよ。参考になります?」

「へえ。ノーマさん、お詳しいんですね! 参考にしますね、ありがとうございますっ」


 きらと強く輝く銀の瞳と素直な謝礼に、ノーマは少し照れ臭そうな顔をして、ふいっとそっぽを向いた。そんな彼女の様子に、フェイはくすくすと笑い声を零す。

 そうして、一通り商店街パッサージュ内を回り終えてから、休憩を兼ねて喫茶店に二人は入ったのだった。


「ノーマさん、今日はありがとうございました」

「んふふ。お礼はいいですよ。フェイさんが楽しんでくれたなら、それでおっけーなんで! じゃ、他に行きたい店とかあります? なかったらこのまま帰る感じになっちゃいますけど」

「んー、そう、ですね……」


 フェイは顎を撫でて、軽く首を傾げて唸り出す。

 必要なものは、ノーマが連れて行ってくれた店で購入できたため問題はない。エルムとの戦闘によって壊れてしまった物も、リーンハルトが経費で買い直すと申し出たため、フェイが弁償する物もない。他に行きたい店と考えを巡らせ、出てきた単語をぽつりと呟く。


「……強いて言えば、雑貨屋さんとかですかね」

「雑貨ですか。……それ、帰るときのフェイさんの荷物、増えません? 本を買う時も、結構そこらへん気にしてましたけど」

「あ、自分用ではなくて……。エルムさん用に、何か購入したいなと。……嫌がられますかね?」

「うーん……、拙達から渡すプレゼントを嫌がってる素振りは見たことないですけど、フェイさんの立ち位置だとどうですかね……。あ、その首とか頬の傷を武器にすれば、絶対に受け取ってもらえると思いますよ。エルさん、優しいですから」

「それ、優しいんですかね……?」


 ノーマの言葉に戸惑いを隠せないフェイ。そんな彼の様子を見て、ノーマは「冗談です」とけらけらと笑いながら言い、丸眼鏡のブリッジを指で押し上げた。


「大丈夫ですよ。エルムさんなら、きっと受け取ってくれますって。……いやあ、それにしてもフェイさんって、ほんと変わってますよね」

「ほへ?」

「だって拙だったら、しばらく近付けないと思いますもん。自分を刺そうとしてきた……命を奪おうとしてきた相手に。プレゼントを贈るなんて、尚更です」


 ノーマはそう言って、紅茶をこくりと飲む。フェイは目をぱちぱちと瞬かせて、ティーカップを指の腹でそっと撫でた。


「私からすれば、普通のことなんですけどね。……もちろん、近付くのを恐れる気持ちだって、多少はありますよ。私も、死ぬのは嫌なので。ただ、それよりもエルムさんのことを助けたい気持ちが強いんだと思います」

「助ける? ……ですか?」

「はい。……彼は、戦闘能力が非常に高い人物です。でもそれに比べると、精神面はどこか幼さが残っているんですよね。自分の感情や伝えたいことを上手く言葉で表現できない子どものような……。そういうところがあるから、少しでも手助けしたいと思ってしまうというか……。それに、先生役を担わせてもらってますから、生徒であるエルムさんに優しくしたいみたいな、そういう気持ちが湧くんだと思います」


 そう言い切って、フェイは照れ臭そうにはにかんだ。ノーマは一通りの話を噛み締め、残りの紅茶を全て飲み終えてから口を開く。


「うん、やっぱフェイさんって変わり者ですね。ていうかほんと、シャルルさんの知り合いなんですよね?」

「その言葉、レオンさんも仰ってましたけど、どういう意味なんですか?」

「あー……。分かんないなら、分かんないまんまでいいと思いますよ。知って、今のフェイさんの良さとか、消えちゃったら困るし。それじゃ、雑貨屋に行きましょっか。早く行かないと、そろそろ店じまいし出す時間になりますし」

「わ、分かりました! あ、でも、その前にここの茶菓子を買っても? 皆さんのお土産に」

「お土産……。ふふふ、いいじゃないですか! あの人達、甘党が多いから喜びますよ! 拙も選びたいですっ」

「あ、じゃあ一緒に選びましょうか!」


 そう言って二人は顔を見合わせ、くふくふと声を殺して笑い合う。どちらの表情も、悪戯をひっそりと企む悪い子どものような顔をしていて。そのことに突っ込む者は、誰もいなかった。

 雑貨屋が締まる前に、とフェイは残りの紅茶を飲み干す。それから、その店のクッキー瓶をフェイとノーマで一つずつ選び、二人は足早に雑貨屋へと向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る