第3章 意志-Entendre la voix-

第14話:エルムの部屋

 フェイとエルムのひと騒動があった二日後の午後。フェイは、廊下を歩いていた。

 幸いにも、怪我の箇所が歩くことに支障の出る部分ではなかったため、昨日の内に医務室から出てもいいとパトリシアから許可を得ることが出来たのだ。

 客人の己が医務室を利用することに肩身の狭い思いをしていたフェイは、すぐに医務室を後にし、借りている客室へ戻ることとなった。リーンハルトから新しい客室を用意する旨を伝えられたが、フェイの方が丁重に断ったのだ。長く居着く場所であるならばいざ知らず、そうでないのならフェイが出て行ってから掃除をする部屋が増えるだけだ。申し訳ない。

 フェイは、うんうんと己の行動を振り返りながら、目的の部屋の前へ辿り着いた。

 フェイが借りている客室とは反対側。二階の一室。銅板のドアプレートには、『エルムグリーン』と名が彫られている。フェイはごくりと唾を飲み込み、それから扉を三度。こんこんこん、とノックした。


「はあい。……って、フェイちゃん?」

「どうも」


 エルムの部屋の扉を開け、ひょこりと顔を覗かせたのはシャルル。フェイの姿を見て、眼鏡の奥の彼の目は丸くなった。が、すぐにいつもの軽薄さを感じさせる笑みを見せ、部屋の主のようにフェイのことを部屋の中へ招き入れた。

 エルムの部屋の中は、殺風景だった。あまりにも物がない、さっぱりとした部屋。清潔感のある部屋と言えば聞こえはいいが、生活感がほとんどない、と言い換える方が適切かもしれない。唯一人の存在を感じさせるのは、テーブルの上に陳列された複数本のナイフ。フェイの体を刺したものも、恐らくこの中に混じっているのだろう。

 そんな部屋の窓の傍。フェイの借りている客室のベッドと同じ位置に、エルムが横になっているベッドがあった。

 背を丸めて眠る姿は、母の胎で生まれる時を待つ胎児のよう。ぎらついていた瞳は、瞼の向こうに。震えた声を発していた口からは、穏やかな寝息が聞こえてくる。


「……解術の影響だろうって、ノーマちゃんが」

「……何がですか?」

「こんなに近付いても、起きないくらい深く眠ってるの。エル、人の気配を感じる場所だと、深く眠れないんだって。話し声が聞こえるだけで起きるタイプ」

「なるほど。繊細な方なんですね」

「そういう評価するの、フェイちゃんだけだと思うよ」


 からからとシャルルは笑いつつ、テーブルの傍にある椅子に腰を下ろす。フェイも同じく、もう一つの空いた椅子に座った。そして、遠目からエルムのことを見つめる。


「……シャルルさん」

「何?」

「どうして、貴方がここにいるのか……訊いても構いませんか?」


 フェイの問いかけに、シャルルは表情を崩さぬまま、闇を閉じ込めたようなあおい瞳をフェイの方へ向ける。

 フェイは医務室から出る際、パトリシアからエルムの様子を再度聞いていた。怪我の手当てをしたのは、パトリシア。エルムに掛けられた精神干渉の魔術の解術を行なったのは、ノーマ。シャルルは、どちらにも関わっていない。だのに、彼はエルムの部屋に居る。

 もちろん、見舞いの可能性は充分にある。だがしかし、それにしてはシャルルの雰囲気はやや張り詰めていて。

 フェイは、その違和感が気になっていた。


「あぁ。うん、簡単な話だけど、もし起きてたらエルに文句言ってやろーと思って」

「文句?」

「当然でしょ。フェイちゃんに怪我させたんだから。……どうせ、フェイちゃんはエルのこと怒ンないでしょ?」

「……まぁ、そうですね。怒るの、苦手なので」


 フェイは苦笑いしつつ、指先で頬を搔く。シャルルはそんな彼に溜息を吐き出したものの、その顔はしょうがないな、といった感情を浮かべていた。


「じゃ、フェイちゃんは?」

「へ」

「ここに来た理由だよ。フェイちゃんだって、どうしてエルのとこに来たの? 刺してきた……殺そうとしてきた相手になるわけだし、近寄りたくないとか思わないわけ?」


 シャルルの言葉にフェイは目を丸くし、それから視線を下にする。きゅっとフェイの指が絡み合い、強く己の手を握り締めた。


「いいえ。私、エルムさんのこと、怖くないですから。シャルルさんだって、同じでしょう? ……ここに私が来たのは、謝罪と訂正をしに」

「謝罪?」

「エルムさんのこと、魔術で吹き飛ばしてしまったので。多分、背中とか腕とか打撲させちゃったんじゃないかなと思って」


 それよりも酷い怪我をしているのは、フェイの方では。シャルルはそう思ったが、指摘せずに適当な相槌を返した。


「訂正ってのは?」

「私は、シャルルさんの言っていたような、強い人間ではないですよ、と」


 そう言って、フェイはシャルルをちらりと見やる。シャルルは悪びれた様子もなく、にやりと口角を上げて笑う。嫌味な笑い方だ。しかし、それでもアンニュイな雰囲気のあるシャルルがやると、不思議とそこまでの嫌味はなく、むしろ絵になる。

 そんな彼を見て、フェイは唇を尖らせて、小さく眉を寄せた。


「なんですか、その顔は」

「いや、別に? ……僕はほら、事実を言ったらだけだから」

「事実、では」

「事実だよ。君のミレーユ叔母さんから教え込まれた知識と、一度決めたら何が何でもやりきろうとする頑固な性格は、誰にも負けないフェイちゃんだけの強さ。僕は、そう思ってる」

「………ハァ。相変わらず、口が上手いですね。そうやって、何人もの女性も口説いてらっしゃるんでしょうねえ」

「あ、バレた? でも、今の全部ほんとのことだよ」


 シャルルは悪びれる様子もなく、からからと楽しげに笑う。フェイは小さく肩を竦めて、椅子から腰を上げた。


「はいはい。……エルムさんが起きたら、よろしくお伝えください」

「ん、行っちゃうの? 僕とエルが起きるの待たない?」

「待ちません。今日はノーマさんと街に行くので」


 フェイはキッパリとした口調でそう言い、すたすたと扉の方へ向けて歩いて行く。そのドアノブに触れる直前でフェイは手を止め、くるりとシャルルの方へと振り返った。


「行ってきますね、シャルルさん」

「ん、気を付けてね」


 小さく口元を綻ばせたフェイに、シャルルはひらひらと手を振って送り出した。

 そのままパタンと扉が閉まり、フェイは一人声を零す。


「……タイミング、悪かったですね」


 フェイは小さく呟いて、エルムの部屋から離れて行った。そのままフェイは客室へ戻り、白灰のケープコートと肩提げ鞄、腰吊りのランタンを手に持って、玄関ホールへと向かう。そのホールでは、臙脂えんじ色のケープコートを身に纏ったノーマが立っていた。

 フェイが二階から「ノーマさん」と呼び手を振るうと、ノーマはそれに気付いて手をぶんぶんと振り返す。フェイはぱたぱたと階段を駆け下り、彼女の傍へと寄った。


「すっすみません、お待たせしてしまって」

「いえいえー、そんな待ってないですよ。それじゃ、早速行きますかあ。ヴィオくんと二人で色々、フェイさんの要望に合うようなお店を探しておいたんで、早速行きますよー!」

「おわ、っちょ、ノマさ、」


 ノーマはぱしりとフェイの手首を握ると、ばんっと勢いよく扉が開かれ、ノーマはフェイの手を引いて飛び出す。フェイは、それに合わせて足を動かした。外門をくぐってすぐ、ノーマは腰のランタンの明かりを強くし、フェイもそれに倣って腰のランタンの明かりを灯す。

 ふわりと灯った二つの明かりで照らされた狭い路地。それは、どこかミステリアスで子どもの冒険心をくすぐる光景だった。

 シャルルに連れられてきたばかりの時は、あまり周りを見ることが出来ていなかったので、フェイはしげしげと周囲の風景を観察する。ノーマは、それを不思議そうな顔をして見ていた。その視線に気づき、フェイはぱっとノーマの方へ顔を向ける。


「す、すみません」

「ん? んんー、そんなびくびくしなくていいですよ? 拙、そんな怒んないですから。シャルルさんと来た時とか、街の様子見回らずに来たんです?」

「はい。一直線でここに」

「な・る・ほ・どー。それじゃ、今日は目一杯、色々楽しみましょっか!」


 ノーマはにかっと歯を見せて笑い、フェイもそれにつられてふにゃりと笑う。そうして二人は、街の方へと繰り出していくのだった。

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