第13話:獣

 ぱち、とフェイが目を覚ました。その体は、ふわふわとしたベッドの上に寝かされていた。再び何度か瞬きをし、それから周囲を確認する。寝かされている場所は、どうやら医務室のような部屋であるらしかった。白いカーテンでベッドと外が区切られており、外の様子はフェイには分からない。音が聞こえてこないところを見るに、カーテンの向こうの部屋には誰もいないようだ。

 フェイは、ゆっくりと身体を起こす。そして、ぱっと左顔面に手を置いた。丁寧に巻かれた包帯に触れ、ほっと安堵の息を吐き出す。

 肩や頬、首の傷などもきちんと手当てされている。じくじくとした痛みはあるものの、手当てされているお陰か、その痛みは大分軽減されていた。

 ぐっぐっと手を何度か開いて閉じて、としていると、シャーッと勢いよくカーテンが取り払われる。


「あ、起きた?」


 顔を覗かせたのは、パトリシア。その後ろには、ヨキの姿も見えた。


「パトリシアさん、ヨキ、さん」

「おはよ、フェイくん。一応あたしが手当てしたけど、包帯きつく巻いてるとかあるまう?」

「いえ、大丈夫です。丁寧に、ありがとうございました」


 ぺこりとフェイが頭を下げると、パトリシアは優しい手つきでフェイの頭を撫で始めた。それにきょとんと目を丸くするフェイ。それに気付いたパトリシアはすぐに手を離し、「ついつい」とからから笑いながら、ヨキの方へちらりと目を向ける。


「あたし、フェイくんのこと、リーンに言いに言ってくるから。あとはお好きにぃ」

「……おう」


 パトリシアはとんとヨキの胸を叩いてから、医務室を出て行ってしまった。ヨキは唇を固く閉ざしたまま、ベッド脇にある丸椅子に腰を下ろす。


「あの、ヨキさん?」

「……エルのことでその、——すまんかった」


 普段より押し殺したような声での謝罪に、フェイは目を丸くする。そして、勢いよく首を横に振りながら、ヨキの肩に手を置いた。


「えあ、頭、頭を上げてください、ヨキさん! 私、全然大丈夫ですから!」

「……怪我は」

「はい?」

「怪我の具合は、どんなや?」


 ヨキの問いかけに、フェイは正確に答える。左頬と左肩、首の刺傷、背中を床に打ち付けた際の打撲程度であろう、と。聞いていたヨキは複雑な表情を浮かべていたが、「そうか」と一言呟いてから顔を上げた。


「昨日。パトリシアが様子がおかしくなったエルを先に返したって聞いて、そのままエルが部屋にちゃんと帰ったかどうか確認せんかった、こっち側に落ち度がある。ほんま、すまんかったわ」

「いえ、そんなことは」


 フェイはふるふると首を振るっていたが、すぐにその動きを止めて「あの、」と会話を切り出す。


「その、エルムさんは大丈夫ですか? 精神干渉の魔術が掛けられているようだったんです。あと、体のあちこちに怪我をされていて……」

「あぁ、アイツは自室療養中や。流石に昨日の今日で、同じ医務室に入れとくわけにもいかんしな。魔術に関しても、ちゃんと解術も施してる。怪我もトリッシュがちゃんと手当てしたから、安心しい」


 その言葉を聞き、フェイはほっと息を吐き出して、「良かった」と肩の力を抜いた。


「……なぁ、フェイさん。その、こんなことになってしもうのに厚かましいというか、有り得んと思うかもしれへんけど、エルの先生を辞めんといて、もらえんやろうか?」

「えぇ、もちろんです。辞める気はありませんよ?」

「……へ?」

「あれ? 私、変なこと言いました?」

「いや、思ったよりも即答やったから……。エルに殺されかけてるわけやんか、アンタ。だから、もう断ってくるもんやって身構えてたからさ」


 ヨキの言葉に、フェイは「なるほど」と呟いてから、ほわほわとした笑みを浮かべた。


「大丈夫です。他の方は分かりませんけど、この程度じゃ辞めませんよ。私、結構頑固な人間なので! 役割を全うするまで、ここから逃げることはしません」

「……それで、殺されそうになってもか?」

「はい」


 ふにゃりとした笑みのままのフェイに、ヨキは小さく溜息を吐き出し、眉間に寄った皺を指先で解す。その行動を不思議に思ったのか、柔らかい笑顔から訝しむような顔に変わったフェイを見て、ヨキは手をヒラヒラと振り、改めてフェイと目線を交わした。


「まぁ、アンタがそれで納得してんなら、ええわ」

「はい。……あの、ヨキさん。少しお時間いいですか? 聞きたいことがあって」

「なんや?」

「エルムさんのことです。……エルムさんの口調を見るに、ヨキさんが一番関わりが深いのかなと思いまして」

「まぁ……そやな。リンさんとパトリシアと俺だと、俺が一番エルと歳が近いちゅうことで、色々世話焼いてたわ。食事マナーとか日常生活で必要な知識は、パトリシアがやってたんやけどな。で、アイツの何を訊きたいん?」

「エルムさんの価値観の形成についてです。彼は、人を測る物差しが少なすぎます。強いか弱いか、それだけしかない。今のエルムさんは、まるで獣です。……何故、そのようになったのか。そこに興味が湧きました。教えていただけませんか?」


 フェイの言葉に、ヨキは目を見張る。その表情は、一言では表現できない、様々な感情が入り混じったものだった。

 ヨキは少しだけ口を開閉した後に、握り合わせた自身の両手へ視線を落とす。


「……元々、アイツはリンさんがある日突然掃き溜め通りローグ・ストリートから拾って来たんやわ。まだ<ふくろう>を発足して二年経つか経たんかくらいの頃にな」

「拾った……。その、エルムさんは、ストリート・チルドレンだったんですか」


 フェイの言葉に、こくりとヨキは頷く。

 ストリート・チルドレンであること自体は、魔術師にとって珍しい話ではない。

 時たまに、隔世遺伝によって普通の人同士の間に生まれた子が、魔術師としての才を持って生を受けるということがある。そして、その家が差別意識の強い家庭である場合、道端に放置したりや教会の孤児院に押し込めるなどし、その子ども自体を無かったことにして手放すのだ。そのような扱いを受けた子らは、身寄りのない浮浪孤児──すなわち、ストリート・チルドレンとして生きていくことが多い。


「いや、元々は孤児院におったんやって。ただ、両親がエルを預けた孤児院は、あかんとこやったんや」

「——なるほど。……違法孤児院、だったんですね」


 こうした浮浪孤児問題に対して、政府は孤児院に対して支援金を支払っている。その支援金を狙って、孤児院を設立して金をもらい、自分達の生活費として利用するという案件が多発している。それが、違法孤児院だ。

 そこに入れられた子ども達は、劣悪な環境下に置かれることとなる。三食の食事もろくに与えられず、身を綺麗にすることも出来ないという生活を強いられ。酷い場合だと、そこで命を落としてしまうこともあるのだ。


「エルムの育ってた施設は、特にひどくて。三食の飯もろくに出ない場所やったみたいで。餓死する子どもも、少なくなかったらしいわ」


 ヨキの言葉に、フェイは眉間に皺を寄せてぎゅっと手首を握る。フェイが思っていた以上の劣悪さだ。


「だから、フェイは孤児院から抜け出してストリート・チルドレンになって、力のない人間から金や食料を盗んだりしとったらしい。……そこで見てきたもんが、アイツの思考の中心部を多く占めてんやろうな」

「なるほど、です。……そこで生きていれば、そうした考えが身に付くのも当然、なのかもしれませんね。……教えてくださって、ありがとうございました」


 ぺこりと、フェイは律儀に頭を下げる。ヨキはふるふると首を横に振り、ふうと大きく息を吐き出してから、フェイを正面から見据えた。


「フェイさん。アイツの先生として、色んなことを教えてやって欲しい。今は一ヵ月の仮契約のままやけど、可能ならここでずっと!」

「ヨキさん。その言葉は、とても嬉しいです。……ですけれど、すみません。それは、私の一存だけでは決められませんから」


 フェイは、へにゃりと笑う。その笑みは柔らかで、脆さを感じさせるほど儚い。ヨキはそれ以上何も言えず、ただ「いっつも謝ってんな、アンタ」と口を動かした。それを聞いたフェイは、困ったように微笑み返す。

 それ以上、二人の間に会話が生まれることは無かった。

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