第8話:好きと嫌いは相対するか

 初めての「授業」から数日後。

 落ち着いた色合いのランプが彩る書庫。その書庫の中の唯一の天窓の下で、フェイは一人で読書を楽しんでいた。本のタイトルは『運命の鎮魂歌』。初めて読む大衆小説の世界観に、フェイはすっかりのめり込んでいた。そう、迫って来ている人の存在に気づかぬほど。


「フェイちゃあん?」

「ひょえっ」


 静寂な世界を打ち破るように声を掛けられ、フェイの意識は小説の世界から引き上げられる。素っ頓狂な声を漏らした口を押さえる様子を、相変わらず煙と香水の香りを纏ったシャルルが笑いながら見下していた。そんな彼に、フェイは眉を寄せて咎めるように「シャルルさん」と口を動かす。


「悪い悪い」


 心にも思っていないのであろうと分かるほどの声色で、眉尻を下げながらシャルルは言った。フェイはむうと眉間に皺を寄せてみせたが、それを意にも介さずに彼はフェイの横に腰を下ろす。そして、彼は手に持っていたトランクを開き、中から蒼いドレスを纏った少女型の磁器人形ビスクドールを取り出した。その人形に、フェイは目を丸くする。


「その子、ドミさんじゃないですか!」

「へ、覚えてたんだ?」


 シャルルはにっと口角を上げて、フェイの方へ磁器人形ビスクドールをかざすように持ち上げる。

 それは、シャルルの扱うマギアの一つ。名はドミニク。そんな彼女の綺麗に編まれた金髪に、フェイはそっと優しく触れる。


「はへぇ、今でも現役とは知りませんでした。相変わらず可愛いですね」

「もー、バリバリよ。もう二人、こっちに来てから仕入れたけど、使用頻度としてはドミが一番多いかな。……僕の、一番最初のオンナだからね。やっぱ、つい特別扱いしちゃうよねえ」

「女って……。言い方」


 呆れた顔のフェイに対し、シャルルはへらへらと笑ったまま、ドミニクの青い水晶の瞳に触れたり手の甲に付いている水晶の汚れを拭ったりと、彼女の体の点検作業をし始めた。フェイは少しだけ首を傾げてから、再び本の世界に戻ろうとしたものの、やはり頭に浮かんだ疑問を解消すべく、シャルルに軽く声を掛けた。


「あの、どうしてここで手入れを?」

「あ、読書の邪魔になる?」

「いえ、そういう訳では無いですけど。その、ドミさんの手入れは、シャルルさんの部屋でやった方が効率が良いのでは?」

「いやぁ、今ちょっと部屋に居たくなくて」


 シャルルの言葉の意味が分からず、フェイはただただ困惑した顔のまま、首を横に傾けた。そんなフェイに、シャルルは苦笑を浮かべる。


「まあまあ、気にしないで。それで、エルの先生になってちょい経つけど、どう? 上手くやれてる?」

「……なんだ。それを訊くのが、目的でしたか」


 低いトーンで問いかけるフェイに対し、シャルルは常と変わらぬへらりとした表情で「どうだろね」と呟く。


「ま、僕にとってフェイちゃんは弟みたいなもんだし、さらに後輩にもなったわけだし、気になって当然じゃない?」

「……そういう、ものです?」

「そういうものだね。で、どう? 上手くいってる?」


 シャルルの問いかけを聞き、フェイは仕事内容について頭の中で振り返る。

 『魔術師』について授業をした後、三回ほど授業を開いている。内容は、エルムがノート一ページ半の中に書いていた言葉から選択し、その場で三十分から一時間ほど、会話を主としてエルムにフェイの持つ知識を分かりやすく伝えていく、という方式で今のところは進めている。

 字を書くことが下手だと口にしていた通り、白い紙に記されていた文字は、ムカデが這ったような形で、非常に読みにくいものだった。が、解読してしまえば微笑ましい内容で。『リーンハルト』や『ヨキ』といった仲間の名前、『クロック・ムッシュ』や『ビーフシチュー』などの料理名、『ナイフ』や『マギア』といった戦闘に関連する言葉……。

 特にエルムの食いつきが良かったのは、ヨキに関連付けて天日照国の食文化を語った時だろうか。この辺りにはないコメ文化や、それを使った料理についてイラストと共に説明していた時は、フードで見えない目は輝いていたようにフェイには思えた。

 では、この三回の授業を通して、お互いの距離が縮まっているかと問われれば、それは否と答えられる。エルムはフードを被ったままで、フェイと目を合わせようともしてくれない。世間話をすることもほとんどなく、交わす言葉は授業で扱う内容に関するものばかり。授業が終われば、すぐに扉を開けて出て行ってしまう。

 口喧嘩や暴力を振るうといったことがない分、まだマシだと言えるだろうか。


「上手く、いっている……と思いますけど」

「へえ。じゃ、普段は二人でどういう話をするの? 見てる感じ、二人に共通点が見えないからさぁ」

「え、ええと……。色々、です」

「なるほど。……フェイちゃんって、思っている以上に嘘吐くの下手だね」


 フェイが大きく目を見開いたのを見て、シャルルは喉の奥でくつくつと笑っている。


「ほら、顔にすぐ出る。……どこら辺が上手くいってないの?」

「う、まくいっていない、というか……。別に支障があるわけではないんです。その……」


 フェイは少し言いよどみつつも、初対面の時や授業でのエルムについてシャルルに軽く話した。彼は、その話を茶化すことなく耳を傾け、それから「なるほどねぇ」とのんびり呟いてから、ドミニクの髪の毛に指を通す。


「ね、フェイちゃん。好きの反対って何だと思う?」

「え、嫌い……なんじゃないですか?」

「ブブー。……正解はね、無関心。気にもかけないのが普通だよ。それを踏まえると、エルは少し変だよねぇ」


 フェイは、ぽかんと口を開ける。

 シャルルの言う仮説が正しいとすれば、なぜ彼はわざわざ感情を明確に言葉にして告げて来たのか。本当に嫌なのであれば、最初から拒絶の言動を見せるだろうし、一回目の授業にすら訪れることはないのでは……。

 フェイは本を膝上に置き、顎に手を沿えて考え出す。


「……分からない、ですね。私、あまり人付き合いが多い方ではなかったので。どうしてわざわざ嫌いだとか帰ってもいいだとか、そういうことを私に直接……」

「さあねえ」

「その理由……。シャルルさんには、分かるんですか?」

「……多分?」

「ど、どうしてですか?」

「それ、僕が答えたら面白くないでしょ。それに、僕はあいつのことを少しは知ってるからね。だから分かる」

「なるほど……」


 とんとんとん、と顎を指先で叩きながら、フェイはひたすらに頭を回転させていく。


「もう嫌われてるんなら、ちょっとくらい相手のことを探ってもいいんじゃない。僕はそう思うけどね」

「相手を、知る……」


 眉間に皺を寄せて考えるフェイに、シャルルはぐしゃぐしゃと柔らかな亜麻色の髪を掻き混ぜるように撫でた。


「フェイちゃんは遠慮しがちだから、ぐいぐいいってもいいと思うよ」

「………難しい、ですね」


 フェイの顔が曇る。シャルルは彼に声を掛けようとしたが、それに覆いかぶさるように「ここにいたかー!」と張りのある声が飛んできた。二人の視線が声の方へと向く。

 立っていたのは、金髪の青年。ぱっと見のフェイが抱いた第一印象は、太陽の似合う快活そうな美青年。そんな彼は、きらきらとした薄青色の瞳がきゅっと細められて、にかりと白い歯を見せて笑いかけてきた。ぺこりとフェイが頭を下げるのと同時に、「うげえ」と隣のシャルルから声が上がる。


「っはっはっは! 相変わらず面白い顔するなあ、シャルロぉ」

「ハァ。……何の用?」

「いや、一緒に煙草買いに行こうぜと思って。俺一人じゃいけないからさー」

「おン前……。いい加減道くらい覚えてくれよ……」


 呆れた様子のシャルルに、からからと気にすることなく快活に笑う青年。ひとしきり彼が笑い終わると、ぱっと端正な顔立ちがフェイに近付く。


「お前、見ない顔な」

「あ、はい、初めまして! 新人のフェイ・エインズリーです」

「おーおー、お前がフェイか! 俺は、レオン・シュトライヒ。コイツの相棒バディやってる感じな、うん。にしても、フェイ……、エインズリー?」

「……ええと、何かおかしなところでもありました?」

「いや、うん、俺、シャルロと同郷って聞いてたけどな、なのに名前……どっちもヴィエンヌ語の名前だなって。シャルルっつーのは、フォルティア語の名前だろ?」

「確かに僕、フォルティアの生まれだけど、すぐにそこから引っ越してヴィエンヌに渡ったからね。フェイちゃんとは、そこからの知り合い。こっちヴィエンヌでの暮らしの方が長いから、同郷って言っても差し支えないでしょ」

「ほーほー、なるほどなぁ!」


 レオンは腕組みをして、ふむふむと大きく頷く。


「それにしても……、うん、バケモノの先生に選ばれたのがどんな奴かと思ってたら、真面目で大人しそうな奴でびっくりしたわ!」

「ッレオ!」


 鋭く咎めるシャルルに、きょとんとした顔のままのレオン。正反対の反応をしている二人に、フェイは交互に視線を向けてから、あのうと口を開いた。


「バケモノって……エルムさんのこと、……ですか?」

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