第2章 愛憎-Le monstre-
第7話:二人きりの授業
エルムが次にフェイの部屋を訪れたのは、二日後のこと。
室内だというのにフードを深くかぶったままのエルムは、フェイの言った通りにペンとノートを小脇に抱えて、フェイの部屋へとやって来た。フェイはそんな彼を迎え入れ、
エルムは、早速テーブルの上にペンと真新しいノートを広げた。
「あ、あの、ぼ、僕あんま、文字とかかっ書けんけど……」
「ん、あぁ、御心配なさらずともいいですよ。私がノートを使いますから」
不安そうな雰囲気を滲ませているエルムへそう言い、フェイはシャツの胸ポケットに入れていた万年筆を取り出す。エルムが「へ」と驚いた声を零す間に、キャップを外してノートに文字を記していく。
いつものフェイならば、筆記体で手早く済ませるのだが、エルムの識字能力のレベルが分からないため、活字体で書いて見せた。そこに踊った文字を、エルムは口に出して読む。
「『魔術師』……?」
「はい、正解です。今日は私達『魔術師』のことについてやっていきます」
「へ?」
声と共に、こてんとエルムの首が傾いた。彼の反応に、フェイも同じように首を傾げる。
「あれ? あまり興味ないです? うーん……、あ、確かエルムさんって、マギアの形をナイフにしてるんでしたよね。でしたら、ナイフに関するお話にしましょうか?」
「いっいや、えと、そ、その……」
エルムは口をもごもごと所在なく動かして、それからそろりと口を動かす。
「ぼ、僕の知ってるが、ガッコーのじゅ、授業とちっ違うから、その……」
「あぁ、なるほど。そういった方向性が良いなら変えますけど、きっとつまらなくなると思いますよ? ……私個人の考えですが、同じ時間を使って勉強するなら、楽しんで出来る方が良いと思うんです。自分自身が楽しくないと、やっててもつまらなくなっちゃいますから。ここは学ぶ場ではありますけれど、学校ではありません。ですから、エルムさんの好きな内容を好きなだけ追求することが許されている場でもあるんです」
ぽかんとしている様子のエルム。それに気付かないまま、ふふ、とフェイは悪戯っぽい笑みを浮かべて、口元に人差し指を当てた。それからエルムの方へ身を乗り出して、声のトーンを少し落として彼へ語り掛ける。
「そう考えると、とっても素晴らしい時間だと思いませんか? ……それじゃあ、授業を始めましょうか!」
ぱん、と場の空気を変えるべく軽く手を打ち、フェイは姿勢を正す。
まずフェイは、万年筆で簡略化した人の絵を白紙のページに描いた。そして、その横に吹き出しのようなものを書き足す。
「さて、まずは一つ目の質問です。魔術師とはどういった人のことを言うのでしょうか? はい、エルムさんっ」
名指しで当てられたエルムは、びくっと肩を震わせた後に、そろりと口を動かした。
「ま、魔術を使う、ひっ人……?」
「その通り。少し堅苦しい表現をすれば、体内にある魔力と大気に存在する魔素を用いて、この世の法則に干渉することの出来る『魔術』という技能を扱える者とも言えますね。では、次に。実はですね、今の魔術師と昔の魔術師って違うんですよ」
「え、そ、そうなん?」
「はい。昔の魔術師——特に魔女狩りが起こる以前の時代の魔術師は、この絵のように言葉による詠唱を用いて魔術を使っていました」
フェイはそう言って、万年筆のイラストを指先でなぞる。
今現在使われている
唇から零れる囁きと共に、魔力の溜まった光が灯った指先を振るう。それだけで魔術が使えた時代。マギアが無ければ魔術を使えない現代の魔術師にとっては、御伽噺のような話にも思える。しかし、これは実際の話だ。
「て、て、てことは、む、昔の人の方が、つっ強いってこと……?」
「単純な力比べだと、恐らくはそうなりますね。一つ一つの魔術の威力を考えると、我々では対抗出来ないと思います。それに、言葉を変えるだけで別の魔術も扱えますからね。かなり強いかと。……ですが、総合的に見ると優劣は分かりません」
「そーごー……? ……ゆーれつ?」
「我々のような現代魔術師でも、昔の魔術師に勝てるかもしれないということですね。どうしてだと思います?」
「え、えあ、え、ええと、ええと……」
エルムはうーんうーんと唸りながら、体を左右に揺れ動かす。しばらくその動きを続けて、「ハッ」という声と共にその所作がぴたりと止まる。
「ま、マギア! マギア、僕らもっ、持ってる!」
「えぇ、そうです」
フェイは、三角帽子をかぶった二体の棒人形を向かい合うようにノートへ描き、片方の棒人形には杖を付け足す。
「マギアは、詠唱を唱えなくても魔術を扱えるようにした、今の魔術師にとっては切っても切れない大切な道具です。それの利点は、口を動かさずとも精神集中と魔力を流せば魔術を扱えるという点。詠唱する時間と比べれば、格段にこちらの方が早いですね」
「な、なら、ぼ、僕らン方が強いってこと?」
「うーむ、どうでしょうね。彼らが先にマギアを使えないようにしてきたら、我々はただの人間も同然になりますから、確実に私達が勝てる保証はありませんし……。ですから、実際に戦ってみないと分からないでしょう」
フェイの言葉にふーん、とエルムは鼻を鳴らし、体を軽く前後に揺らし出す。そんな彼の反応にフェイは小さく口元を緩ませ、ピンと片手の人差し指を上へ向けた。
「では、エルムさん。問題です。つまり、魔術師は今と昔を比べるとどうなったのだと思います?」
「ど、どう?」
「はい。もっと噛み砕いて言えば、強さ弱さを含めて、今と昔の違いはなんだと思いますか?」
「ちが、違い……?」
エルムは口をへの字に曲げて、また首を左右にがくんがくと傾け始める。深く考える時の彼の癖なのだろう、とフェイは脳内メモに記述した。そのタイミングで、エルムが口を開く。
「……わ、分からん、分からんでっ、です」
「了解です。正解は、魔力量の多さですね。今と比べると、昔の魔術師の方が魔力量が多かったと言われています。魔力量が多いからこそ、言葉だけで魔術を発動させることが出来ていたんです。じゃあ、もう一つエルムさんに質問です。……それだけ強かった魔術師が、魔女狩りで次々と狩られて死んでいったのは何故だと思いますか?」
フェイの問いかけに、エルムの体の動きが止まった。
「……え、う、うん……?」
再び唸り声を上げだすエルム。そんな彼の様子を見ながら、フェイは「ヒント」と口を動かして、ノートにイラストを足した。
杖を持った棒人間の横、そこに何も持っていない棒人間を描く。そして不等号をその間に書いて見せた。
「人間と魔術師。数が多いのはどちらでしょう?」
「に、人間。……あ。む、昔もそうやった?」
「はい、その通り」
フェイはにっこりと笑って頷く。
人間よりも遥かに強い力を持っていた魔術師だが、人間側はそれを人数差で埋めたのだ。魔術師の方が強いとはいえ、詠唱をしなければ魔術は発動出来ない。つまり、それよりも早く弾丸を撃てば、あるいは剣で切り伏せてしまえば、魔術師側は打つ手がない。そうして、過去の魔術師達は次々に命を落としていったのである。
「今も魔術師の方が数は少ないです。ですが、魔女狩りの頃から比べると、その数は多くなっている。その代わりに、魔力量が少なくなって弱くなってしまった……、私の師匠はそう言ってましたね」
生物は、環境に馴染めなければすぐに淘汰されてしまう。魔術師も魔女狩りによって命を次々に落とし、人間の手によって淘汰されかけていた。そこで体内の遺伝子が急速に進化し、数を増やしていこうと考えたのだろう。その代償が魔力量だったというわけだ。
そうした変質化によって、個々の力が強いが数の少なかった時代から、個々の力は弱いものの数の多い時代へ移り変わったのである。
「昔は魔術師同士で結婚して子を成さないと、魔術師は生まれないと言われていました。ですが、今は片親が魔術師であったり祖父母の誰かが魔術師であったりすると、産まれて来た子が魔術師の血を引き継ぐ場合があります。私もそうでしたし。そうした変化がもたらすものは、必ずしも良いことばかりではありませんが、生物の神秘というか凄さを感じますよね」
ほけほけとフェイは笑う。フェイの目の前に座るエルムは口を半開きにして、その言葉を聞いていた。フェイはふと目を動かし、ベッド横のサイドテーブルにある時計を見る。
「おや、いい時間ですね。それじゃ、今日はここまでと致しましょう。エルムさん、良ければ紅茶飲んで帰ります?」
「ん、や、い、いい」
「そうですか。では最後に、エルムさんに宿題です」
そう言って、フェイは次のページを万年筆の先で指し示し、エルムの顔を下から覗き見るように体を屈めた。
「ここに、エルムさんの好きな物や好きなことを好きなように書いてください。次のページにいってもいいので、とにかくたくさん書いて持って来てください」
「な、何でも、え、ええの?」
「はい、何でも。先に言ったでしょう? ここは、エルムさんの好きな内容を好きなだけ学ぶ場だって」
フェイは姿勢を正し、エルムへにこりと微笑みかける。
「じゃあ、また次回。エルムさんがそのノートに何を書いて持って来てくれるのか、楽しみに待ってますね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます