第6話:手を取って

「……エルム、です」


 フェイの明るい自己紹介に対して、エルムはぼそぼそとした調子で喋った。フェイが更に言葉を続けようとしたが、それをリーンハルトの快活な声が遮る。


「よし、顔見せは良いな。二人で仲良くやってくれ」

「は、はい、拝命しました!」

「良い返事だ。……ではヨキ、パトリシア」

「はーい」「はいはい」


 二人は返事をし、パトリシアがテーブルの横に置かれていた肩掛け鞄を取り、フェイに手渡した。ヨキは、そのテーブルの上の紙束をフェイへ渡す。


「鞄の中身は、風魔術を組み込んだ靴と探知系の魔術を組んだネックレスが入ってるまう。靴は魔力を込めるとぴょーんと跳んだり、スピードを上げたりすることが出来るから。ネックレスも同じ。魔力を込めると水晶が光って、ここまでの道を教えてくれるから、外で迷子になっちゃった時とかはこれ使って帰って来るんだよ?」

「あ、ありがとうございます」

「こっちは、報告書。必要項目はあらかじめ書いてあるから、それを埋めるような形で、仕事終わったら書いて俺に提出してな。ま、これを書くことは滅多にないとは思うけど、一応」

「ありがとうございます」


 フェイはヨキとパトリシアにそれぞれ頭を下げて、ちらりとエルムの方を横目に見た。彼は既にフェイに興味を無くしているのか、ナイフの柄を指先でなぞったり、鞘をとんとんと叩いたりしている。

 そんな二人の様子を見てか、リーンハルトは口を動かす。


「じゃあまずは、親睦を深めてきてはどうだ?」

「そう、ですね……」


 フェイは少し悩むような動作を見せてから、エルムの顔を覗き込むように体を傾けた。びくっとエルムの肩が小さく跳ねたのを見たが、フェイは何も言わずに笑みを見せて声を掛ける。


「あの、良ければ一緒にお茶しませんか? 生憎とお出しできる茶菓子はないのですが……、それでも宜しければ」

「え、あ、で、でも、」

「行ったらいいじゃない、エル! せっかくのお誘いだよぅ」

「俺も賛成や」

「あぁ、二人で話したらいい」


 パトリシアとヨキ、リーンハルトに次々と言われ、あうあうと口を動かすエルム。フェイはそんな彼に、にこりと変わらぬ笑みを向け続ける。それに折れたのか、彼はこくりと小さく頷いた。

 フェイはぱっと顔を輝かせて、エルムの手を取り「行きましょう!」と彼の手を引いて歩き出す。リーンハルト達三人は微笑ましいものを見るような目で、部屋から出て行く二人の背を見送った。


 フェイがエルムの手を引いて部屋へ案内する間、エルムは口を一切動かさなかった。冷たい手は小さく震えているように感じたが、フェイはそれを口にすることなく、彼を部屋へと招き入れた。

 先程のまま、部屋の状態は置かれていた。フェイは手早く使っていたティーカップを手に取り、冷えたティーポットの中身を確認し始める。二人で飲むのには少なめの量。


「あの、今から淹れ直してもいいですか? 二人で飲むには、少し量が少ないので。時間少しかかっちゃうんですけど……」

「べ、別に、それ、それでも、大丈夫、です」


 ところどころ突っかかりながらも、エルムは小さい声でそう言った。


「そうですか? じゃあ、ちょっと座って待っててください。すぐ新しいカップを用意してくるので」

「あ、あり、ありがとう、ご、ございます」


 礼を言ってそろそろと椅子に腰を落ち着けたエルムを見つつ、フェイは給湯室に入り手早く空いたティーカップを手に取り、彼の待つ部屋へと戻った。

 テーブルの上のティーポットを傾け、新しいカップに花茶を注いでいく。ふわりとした甘い香りと花のかぐわしい匂いに、フェイはつい口元を緩めてしまう。


「どうぞ、飲んでください」

「あ、ありがとう、ございます」

「いえいえ」


 ほわほわとした笑みを浮かべつつ、フェイは先程の残りにポットの中の僅かな残りを注ぎ入れ、エルムの目の前に座った。

 しいんとした空気、空間。エルムはすんすんと鼻を鳴らしてから、一気にごくりと紅茶を飲み干していく。フェイもまた口の中に紅茶を含んでから、「あの、」と口を開いた。


「その先生という立場で雇われている身ですが、早い話、そういったことをしたことがないので、あまり上手く出来ないと思いますけど、よろしくお願いしますね」


 そう言って笑うフェイに、エルムは目を丸くしているようだった。顔は見えないため表情は窺えないが、口はあんぐりと開けておりそこから「ハ?」と声が零れた。


「は、え、で、でも、リーンはアンタのこと、せっせんせ、って」

「それ、シャルルさんが誇張して仰ったみたいなんです。あの人と付き合ってたら、彼の口の上手さは周知の事実かと思うのですけど」

「た、確かにアイツはペラペラペラペラ、よぉ喋るますけど……。えと、うっ嘘吐かれたん、で、ですか?」

「それに近いですね。勉強することが苦ではないことは事実ですが、人に勉強を教えるということはしたことがないです。でも、任された以上は最善を尽くしますので、ご安心を。恐らく、エルムさんにご迷惑をかけることはないかと」


 にこり、とフェイはエルムへ笑いかける。不安感を相手に与えるとしても、出来る限り誠実に言葉を伝える。それがフェイの信条だ。


「え、ええんちゃう、ですか? や、止めるってい、言ったら。ぼ、僕、別に勉強好きじゃない、ですし、……せ、せんせとか、嫌いやし……。今のまんまでな、何もこ、困っへんし」


 そこでエルムは顔を上げる。外套のフードで顔の表情は分からない。見えるのは、真一文字に締まった口元だけだ。


「だっ、だから、かえっ帰ってもええ、ですよ」


 あぁ。受け入れられていないのか。

 フェイは、すとんとその一言でエルムの行動が腑に落ちた。嫌いだから、二人でティータイムを過ごしたくない。目線を合わせることも、話すのも嫌。そういうことなのだろう。


「……そう言われても、ここで勝手に抜け出したら紹介者であるシャルルさんの顔に泥を塗ることになりますから。いくら彼が嘘吐きでも、私の友人です。友人からの頼みは、断れません」

「ま、真面目、ですね」

「それだけが取り柄なもので。……ですが、勉強しなくちゃいけないと落ち込んでいる貴方に朗報ですよ」

「ろーほー?」

「良い情報という意味です。……私、お互いに気が合わない可能性もあると思って、ひと月だけのお試し期間を頼んでるんです。だから、この関係は一ヶ月だけのものです」


 どうだ、と胸を張って言うフェイに、エルムはぽかんと口を開けていた。顔半分が前髪で覆われている分、表情から感情は読み取れないのだが、口元はそれを補うかのように、彼の胸の内に抱えられている感情を雄弁に語っている。その口元を見て、フェイは小さく微笑む。


「それでは短い間ですけど、よろしくお願いしますね」

「……おん」


 短く端的な返事。フェイは小さく笑って、「それじゃ早速」と会話を切り出す。


「勉強する場所ですけど、ここでしましょう」

「へ?」

「あれ? 嫌ですか?」

「いっいや、嫌とは違う……です。そ、その、しょ書庫とか、つ、使うんかなっておっ思って……」

「なるほど……。その、実はと言うほどの話ではないんですけれど、私、まだ施設内の全体を把握しきれてないので。書庫に行く前に迷子になって、貴重なエルムさんの勉強時間を潰すのは忍びないので、ここでも構わないですか?」

「……おん」


 小さな返事。特に反論する様子は見られないので、そのまま話を続ける。


「勉強する時間は、エルムさんのお暇な時間で構いません。エルムさんは夜警のお仕事もありますけど、私は貴方の先生という仕事しかないので、いつでも空いてますから」

「え、ええと、ぼっ僕が、こ、この部屋にく、来るってこと、ですか?」

「はい、お暇な時間に。その方が色々と楽だと思いますよ。嫌になったら来なくてもいいってことですから。それと最後に、ペンとノートをお忘れなく」


 ふと短く息を吐き出してから、フェイはにこりとエルムに笑いかける。


「……私達、短い間の関係になりますね。よろしくお願いします」


 そう言って、丁寧に頭を下げるフェイ。そんな彼の様子を見て、エルムはフェイからふいと大きく視線を外した。エルムの所作に、フェイは口元は緩めたまま、ゆっくりとティーカップを持ち上げて、故郷の花の香りが漂う花茶を楽しむ。

 彼が己にあまり好印象を抱いていない。つまり、ひと月の契約であっさり終わり、すぐに村に帰れる可能性が高くなったということだ。

 だけれども。少し。ほんの少しだけ残念だな。

 そんな感情を、ごくりと喉を鳴らして液体と共に流し込んだ。

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