第8話 ラクヤは告白を受けて旅立つ

 ラクヤは冒険者ギルドの硬いベンチの上で目を覚ました。周りを見ると多くの冒険者が朝の静けさに包まれ、思い思いの場所で寝ていた。ジャギルは椅子に座ったまま行儀よく寝ており、エリーザとギルダは手にジョッキを持ちながら机に突っ伏していた。結局昨日もギルダはエリーザに酒飲み勝負で勝つことはできなかった。




「はーい、皆さん、起きて下さい。もう朝ですよー」




 冒険者たちを起こしたのは受付嬢のミレンだった。彼女の乳房は若さを象徴するかのように大きく膨らみ、いつも揺れていた。それでいて宴が行われた朝には誰よりも速く料理場に入り、スープを振る舞ってくれる器量の良さを持っていたので、冒険者で彼女を嫌いな人はいなかった。




「あら、ラクヤさん。おはようございます」


「おはよう、ミレンさん」




 ミレンの目はラクヤを見るとわずかに揺れて、頬が朱色に染まった。ミレンがラクヤに恋慕の感情を抱いているのは周知の事実だった。




「ラクヤさん、これ……」




 ミレンは手紙を渡すと急いで料理場の方へと駆けていった。手紙を見ると、(出発前にギルドの裏に来て下さい)と書いてあった。その文章に思わずラクヤも顔が赤くなった。




「お熱いねー」




 声の主はギルダだった。彼女は子供のように拗ねた様子だった。




「べ、別にいいだろ。それより今日は二日酔いじゃないのか? 昨日かなり飲んでなかったか?」


「昨日何杯飲んだかは記憶ないけど、どうやら翡翠龍の肝の効能で翌日まで酔いを持ち越さないみたいだな。それよりお前その告白受けんのかよ」


「受けないよ。俺の夢のためにはそんなことしている時間はない」




 その言葉を聞くとギルダは安心して息を吐いた。少し機嫌も良くなっていた。




「だよな」




 冒険者たちはミレンのスープを飲むとそれぞれラクヤたちに別れの言葉を告げ仕事に出向いた。中には泣く者もいて、別れはしみじみとしたものになってしまった。




「ラクヤ、この依頼見てよ」


「ん? なんだ」




 ジャギルが暇つぶしに依頼紙を見ていると気になる依頼を見つけた。




「隣の国のラディコ村で魔族が出たらしい。それを討伐すればいいらしいんだけど、討伐完了の報奨金とか手続きとかは全部その村でできるみたい。ちょうどこの国出ていくしちょうどいいんじゃない?」


「しかも魔族なら俺たちが行くしかないな」




 元々行く予定の国の依頼は渡りに船だった。それにラクヤたちはとある事情から魔族討伐の依頼は優先的に受けていた。


 ラクヤたちは依頼紙をミレンのところへ持っていくと手続きを済ませ、出発する準備を始めた。馬車に荷物を運んでいる途中で何人もの人に「今までありがとう」と声をかけられた。その中には子供もいた。




「こうして感謝されると今まで頑張ってきてよかったと思いますね」


「僕たちなんて元々感謝されるべき存在じゃなかったのに」


「まさか私も自分がそんな存在になるとは思わなかったよ」




 彼らはそれぞれ感慨に浸った。彼らの過去は最強の英雄とは程遠い悲惨なものだった。




「そんなにしんみりすんなって。これ運んだら先に馬車に乗っていてくれ。俺は野暮用すませてくる」




 野暮用とはミレンとの約束だった。ラクヤはこの後どうゆう展開になるか何となく想像していた。


 ギルドの裏にいるとすでにミレンが待っていた。ギルドの裏は建物と建物の間にあり、日が入らず、人通りもなかった。




「ごめん、待たせた」


「私こそ、忙しいなか時間を取らせてしまってすいませんでした」




 ミレンは顔を真っ赤に染めていた。その瞳はすでに潤み、泣いているかのように見えた。




「分かっていると思いますけど、私、ラクヤさんが好きです。個性的な人が多い冒険者をまとめ上げて皆を笑顔にできる人はラクヤさんしかいないと思っています。私と付き合ってくれませんか」




 ミレンは手をもじもじさせ、恥ずかしがっていたが、ラクヤの金色の瞳をまっすぐに見つめて言った。彼女の栗色の髪が風に揺れ、顔に張り付いた。




「ごめん。その思いには答えられない。ミレンも知っていると思うけど俺には夢がある。それを叶えるまではミレンを幸せにする自信がない」




 ラクヤはミレンの目を真っ直ぐに見て言った。その目を見たミレンは瞳から大粒の涙を流した。




「分かっていました。断られることは。でも自分の心に整理を付けたかったんです」


「すまない」


「謝らないで下さい……。でもいつか“共に歩む”の夢が叶ったとき、その夢に私もいていいですか」


「もちろん」


「ありがとうございます」




 ミレンの瞳から涙が止まることはなかった。ラクヤはその涙を拭こうとして手を伸ばしたが、やめた。それはいつか彼女の隣に立つ人がするべきだと思ったのだ。




「今までありがとうございました。これ以上泣き顔見られるのも恥ずかしいので、もう行ってもらって大丈夫です。私から誘ったのにすいません」


「分かった。君の気持ちは嬉しかったよ」




 ラクヤは後ろを向くと振り返ることなく歩いた。彼の白い髪は建物の日陰にあっても、輝くように美しかった。ミレンはその後ろ姿を見て、一層涙がこみ上げた。ラクヤの姿が見えなくなっても彼女は泣き続けた。


 しばらくたつと一人の人物が裏口から出てきて、泣いている彼女を見つけた。




「おや? 大丈夫ですか?」


「ライヤーさん……」




出てきたのはライヤーだった。ライヤーは“共に歩む”と旅を続けることになり、他の冒険者に貸し出していた馬の整理をするためにギルドの職員と話していた。裏口から出入りしていたのは、ライヤーの顔を見るたびに感謝を言う人で溢れ、外に出ることができなかったからだ。




「きれいな顔が台無しですよ」




 ライヤーはポケットからハンカチを取るとそれでミレンの涙を拭いた。その手際は洗練されており、優しいものだった。ミレンは一度だけライヤーのブラッシングしている姿を見たことがあった。馬たちの望んでいる場所にブラシをあてがい、微笑みながら手を動かす様は優美ですらあった。




(馬たちもこんな気持ちだったのかしら……)




 ライヤーはミレンのあふれる涙をその都度拭っていった。ミレンが拭いてほしいと思うところに最も適した角度でハンカチをあて、涙を受け止めた。ミレンの涙は自然と消えていった。




「ありがとうございました。ライヤーさん」


「いえいえ、お気になさらず」




 ライヤーはミレンの瞳から涙が流れていない事を確認すると、その場を去った。ミレンは彼の後ろ姿をいつまでも追っていた。失恋したばかりで本人も気づいていなかったが、その心臓は高鳴っていた。








「ラクヤも罪づくりな男だねー」




 馬車の中でジャギルが言った。それに追撃するようにエリーザが口を開いた。




「本当ですよ、ミレンさんみたいないい人滅多にいませんよ?」


「いいんだよ。そういうのを考えるのは夢を叶えたあとだ」


「そうだ。それまではそういうのなし!」




 ギルダは慌てるように言った。彼女の頬は少し赤くなっていた。




「とにかく、俺たちは新しい町へ行くんだ。依頼はあるけどそれぞれの目的のために“共に歩む”に入ったんだ。楽しみだなあ、次の町も」




 ラクヤの金色の瞳も、ジャギルの黒色の瞳も、エリーザの青色の瞳も、ギルダの赤色の瞳もそれぞれが日差しを反射し、星のように煌めいたていた。町の門を抜けると、道に凹凸が多くなり、車輪がガタゴトという音を立てた。振動が強くなり、座り心地がいくらか悪くなったが、彼らの胸は弾んでいた。

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