第2話 親子愛と始まる恋

裕二ゆうじ君。お久しぶりです」


 振り向いてみたら、そこに居たのは-


めぐみちゃん、見違えたね。それ、コンタクト?」


 当時、髪をショートに短くまとめていたけど、今は肩までかかる程の長さだ。

 よく手入れされているのがわかる艶やかさだ。

 背丈は僕より少し低いくらいで、かなりの長身。

 白のワンピースは、落ち着いた彼女によく似合っている。

 でも、メガネはコンタクトに変えたらしい。


「眼鏡だと不便ですから。どうですか?」

「似合ってるよ。ほんとに」


 ふと懐かしくなって、彼女髪を撫でてしまう。

 と、しまった。彼女はもう女子大生。

 あわてて腕をのけようとしたけど。


「もう、恥ずかしいですよ。裕二君」


 意外にも、ただ、恥ずかしそうにするだけで、

 手は振りほどかれなかった。

 彼女に「裕二君」呼ばわりされるのも久しぶりだ。

 少し懐かしい気分に浸っていると-


「お久しぶりね。真島まじま君」


 含み笑いをしながら、近づいてきたのは、沢木さわきさん。

 さっきの場面を見られていたのかと思うと気恥ずかしい。


「ええ。お久しぶりです、沢木さん」


 改めて、二人と再会の握手を交わす。


 というわけで、三人で居酒屋に出発。


「今日、行くところね。私と恵の馴染みの居酒屋なのよ」

「それは楽しみですね」

「そうですね。ずっと、お世話になっている店です」


 感慨深げにつぶやく恵ちゃんを見て、長い付き合いなんだなと感じる。

 十分程歩いたところに、その小さな居酒屋『はないち』はあった。

 

「裕二君、ビールでいいですか?」


 飲み物を頼もうかと思っていたところ、恵ちゃんの言葉。


「あ、ああ。それで大丈夫だよ」

ゆきちゃん、生中三つお願いー」

「はいよー」


 恵ちゃんより少し年上だろうか。

 少しふっくらとした女性が「雪ちゃん」だろうか。

 本当に親しいんだな、とすぐわかった。


「雪ちゃんって。随分親しいんだね」

「私にとっては、お姉さんのようなものですから」

「そうなのよ。昔から本当にお世話になって。私が仕事で夜遅くなる時は面倒見てもらったりもしたのよ」

「そうそう。恵ちゃんは妹のようなものですから」


 少しはにかみながらの恵ちゃんに、懐かしむような様子の沢木さん。

 そして、親しげに返す、雪さん。

 相変わらずいい母娘だな。


「それにしても。恵ちゃん。しっかり幹事やってるね」


 一早く飲み物を聞いて、取りまとめる手際。

 きっと、大学でも幹事役に慣れているに違いない。


「周りが頼りないですから。私が幹事する羽目になるんですよ」


 やれやれ、といった恵ちゃん。

 大学になって、どうやらより一段としっかり者になったらしい。


「では、再会を祝して……カンパーイ!」

「「カンパーイ!」」


 乾いた喉を、ビールが通っていく。


「ぷはー。美味い!」

「もう、裕二君。オヤジくさいですよ?」


 うぐ。年齢的には、僕はもう二十半ばだ。

 その言葉は突き刺さる。


「そんなに……オヤジくさいかな?」

「冗談ですよ。そんなに落ち込まないくださいってば」


 ポンポンと肩を叩かれて慰められてしまう。

 四歳年下の女子大生に慰められてる僕って一体。


「ま、気を取り直して。恵ちゃんは、今何してるの?」

社会心理学しゃかいしんりがくを専攻してます」


 と一言。社会心理学とは、社会と人の相互作用について研究する学問だ。

 昔から、好奇心旺盛な子だったし、とても頭の良い子だったけど。

 そういえば、心理学入門を以前読んでいたっけ。


「社会心理学なら、少しはわかるけど。なんで選んだの?」

「私って、何故か、友達からやたら相談事を持ちかけられるんですよね。だから、人間心理を勉強してみたくて。あとは、「なつかし焼き」の秀子ひでこさんの影響でしょうか」


 頬に手を当てて、なんだか自己分析しつつ話している様子の恵ちゃん。


「恵ちゃん、しっかりしてるもんね。秀子さんも、コミュ力異常に高かったし」


 僕たちが通った「なつかし焼き」の秀子さんは、接客業という事を差し引いても、慕う常連さんが多く、遠方に行った常連さんからも、時折よく土産が送られてくる程だ。


「そんなにしっかりしてるでしょうか?」


 やっぱり自覚がないらしい恵ちゃん。


「この子はほんと、昔から、しっかりして。私も何度救われたか……」


 少し酔って来たのだろうか。赤ら顔の沢木さん。


「救われて、って何かあったんですか?」

「真島君と会った頃のこと覚えてる?あの頃、旦那と離婚した直後だったのよ」

「ああ、道理で、なんか暗い顔してるな、って思いました」


 今になって、納得が行った。


「それでね。恵ったら、「私がついてるから、大丈夫」って」

「とても小六の台詞とは思えませんね」


 でも、当時の大人びた彼女を思えば納得か。


「他にもね。転職する時は、かなり迷ったのよね。なんせ、この子が路頭に迷うかもしれないから。そしたら、なんて言ったと思う?」

「そうですね。「私なら、大丈夫だから」辺りでしょうか?」


 利発な彼女らしい答えを予想して言ってみる。


「それがね。「最悪、生活保護で生きていけるから」って」


 予想の斜め上の答えだった。

 うん、確かに、経済的にはその通りなんだけど、ね。


「それを聞いて、私も吹っ切れたの。この子が覚悟決めてるんだからって」

「あ、あれは、ちょっと、励ましの言葉としては良くなかったよ、お母さん」


 恵ちゃんとしても、当時の受け答えには思うところがあったらしい。


「だから、恵は本当に、自慢の娘なのよ」

「も、もう。お母さん。ちょっと、恥ずかしいってば」


 その光景に、頬が緩むのを感じてしまう。

 昔から娘自慢をしたがるたびに、恵ちゃんは恥ずかしそうだったっけ。


「そうそう。恵ちゃんも、大学三年でしょ?いい人とかいないの?」

「友達の恋愛相談はよく来るんですけどね。私自身はいいかな」


 なんとも淡白なことで。

 最近、恋愛に興味がない男女が増えているとニュースで見たことがある。

 恵ちゃんもその口なのかな。


「私としては、いい人見つけてほしいんだけどね。真島まじま君とかどう?」


 酔っての事で、沢木さんに深い意図はなかったんだろう。ただ、恵ちゃんには、


「さすがに、裕二君はちょっと……」


 露骨に嫌そうな顔をされてしまった。男としては、少しショックだ。


「そうだよね。僕なんか、どうせ……」

「冗談ですってば。裕二君、服はダサいですけど、カッコいいですよ?」

「その。余計、突き刺さるんだけど」

「でも、真剣に服はちゃんとしたの選んだ方がいいですよ?」


 今度は本気らしい。うぐぐ。


「じゃあ、恵ちゃんに服、選んでもらおうかな」


 僕だって、彼女欲しいという気持ちはあるのだ。

 恵ちゃんなら、きっといい服を見繕ってくれるだろう。


「わかりましたよ。裕二君は、頭はいいのに、頼りないんですから」

「面目ない」


 年上の面目丸つぶれである。


「しかし、思えば不思議ですよね。ラインで返信してなかったら……」

「そうね。これも、ごえんという奴かしら」

「そうですね。まさに、縁、ですね」

「縁、か……」


 沢木さんと二人で納得している横で、何やら思案した様子の恵ちゃん。

 どうしたんだろう?


 約三時間余り談笑して、店を後にした僕たち。


「私は先に家に帰ってるから」

「ちょ、ちょっと。お母さん!」


 止める間もなく、駅に向かってスタスタ去っていく沢木さん。

 これって、絶対……。


「お母さんにも困ったものですね」


 恵ちゃんも、どうにも頭が痛そうだ。


「沢木さんとしても、娘には幸せになって欲しいんだよ」

「そういえば、お母さんが、裕二君の事、甥っ子みたいなものって言ってましたよ」


 甥っ子、ね。


「じゃあ、さしずめ、恵ちゃんは、僕の従姉妹かな?」

「そうかもしれませんね。ちょっと、歩きましょうか」


 特に気にした風もなく歩き出す恵ちゃん。

 ところどころにある街灯に照らされる桜はとても綺麗で。

 とてもいい夜だ。


 しばらく歩いて到着したのは、小さな公園だった。


「ここは……?」

「お母さんに、昔、よく遊んでもらったんですよ。ここで」

「そっか。恵ちゃんにとっての思い出の場所なんだね」


 頭上に咲く桜を見上げながら言う恵ちゃんは、懐かしそうで。

 きっと、ずっと大事に思っている何かがあるんだろう。


「ええ。その時は、まだ、父が一緒でしたけど」

「そっか。離婚の時、大変だった?」


 お母さんは、「お母さん」で、お父さんは「父」。

 きっと、小さい頃から色々あったんだろう。


「それは、やっぱり、大変でしたね」

「恵ちゃんが、昔から、大人びてたのは、ひょっとして……」

「夫婦仲が冷えてくの見てましたからね」

 

 だから、物事を客観的に見るクセがついちゃったのかもしれません、と。


「そっか。お父さんは、今はどこに?」

「特に、聞かされてません。特に、恨んではいませんけど」

「そう言い切れるのは凄いと思うよ」


 でも、彼女の小さかった頃の謎が色々解けた気がした。


「ところで。裕二君もなんとなくわかったと思いますけど」

「ん?」

「お母さん、私が恋人作って欲しいみたいなんですよね」

「見てれば、なんとなくはね」


 一人だけ、先に帰ったのも、僕らを二人きりにしようという事だろう。


「でも、恵ちゃんは、恋愛に興味ナシなんでしょ?」

「ゼロじゃないですよ。憧れくらいはあります」

「そっか」

「だから、私も、お母さんを安心させてあげたいんですよね」


 え。


「その、つまり、彼氏を作るっていうこと?」


 母親想いの彼女ならやりかねない、と、そう思った。


「でも、候補が問題なんですよね。私だって、誰でも良い訳じゃないですし」

「そりゃそうだ」

「というわけで、お付き合いしません?裕二君♪」


 くるっと振り向いた恵ちゃんはイタズラめいた笑み。

 一瞬、ドキっとしたけど、慌てて首を振る。


「偽装彼氏って奴?」

「裕二君に、そんな失礼なことしませんよ」

「そうだったね。恵ちゃんはそういう子だった」


 冷静に、でも、真っ直ぐに。それが彼女だった。


「私にとっても、裕二君は色々教えてくれたお兄さん、ですから」

「そっか。恵ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ」

「それに、これも、縁、だと思うんです」

「縁、か。さっきの話だね」

「はい。きっと、あの時、裕二君も迷いましたよね?」


 真っ直ぐに見つめて問いかけてくる恵ちゃん。


「そうだね。忘れちゃってたらどうしようとか。今更、連絡してくるなんて、と思われるかな、とか。色々可能性は考えたよ」


 数年間疎遠だったんだ。誰だって迷うだろう。


「私も、実は、電話番号で友達追加が来てて。凄く迷ったんですよ。久しぶりに連絡してみたいな。でも、裕二君に彼女さんが居たら、申し訳ないし、とか。色々」


 そうか。彼女も色々迷ったんだな。


「だから、その内、その内、って思っている間に、裕二君からメッセージが来ちゃったんです。本当に、ありがとうございます」

「別に、僕も会いたかったんだし」

「とにかく。私としても悪い気分じゃないんです。だから、男女としての好きとか……そういうのは、まだ、わからないんですけど。裕二君さえ良ければ、お付き合い、してもらえませんか?」


 真っ直ぐに僕を見て、少し照れながらの、提案。


「じゃあ、喜んで。彼女居ない歴=年齢の僕だけど。よろしく」

「裕二君、その割に堂々としてるんですよね。不思議です」

「童貞が皆、君のイメージしてるのだと思ったら、大間違いってこと」

「そうかもしれませんね」

 

 クスっと笑う恵ちゃん。

 こうして、僕と彼女の、「お付き合い」は始まった。

 彼女がお母さんを思う故でもあり。

 僕への気持ちを確かめたいからでもあるらしい。


 この先がどうなるかは、まだ、誰にもわからない。

 でも、きっと、楽しいことになる。そんな予感がする。


 なんて、綺麗に回想出来たらいいんだろうけど。

 彼女出来たの初めてだし、どうしよう。

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