桜の都と少女の恋

久野真一

第一章 再会と恋

第1話 僕と「従姉妹」と「叔母」の再会

 「縁」あるいは「巡り合わせ」という言葉がある。

 そっけない言い方をすれば「偶然」となるかもしれない。

 ただ、「偶然」という言葉はどうにも無味乾燥なきらいがある。

 それに、「ご縁を大事にする」という言葉もある。

 人と人との繋がりを大事にする、と言い換えても良い。

 

 ひょっとしたら、彼女との「出会い」は偶然だったのかもしれない。

 でも、「再会」は、縁を大事にした結果だと、そう思いたい。

 実際、僕、あるいは彼女の決断一つで、運命は変わっていたかもしれないのだし。


◆◆◆◆


 九年前の事。当時、高一だった僕は、放課後、とある店に入り浸っていた。

 一銭洋食「なつかし焼き」。

 小麦粉を溶いた生地にたっぷりのキャベツ、豚肉に生姜などを入れた食べ物。

 大通りに面した買い食い用の窓口に、常連客向けの座席が五つだけのお店。


 「なつかし焼き」は、店主である秀子ひでこさんが一人で切り盛りしている店だ。通りがかった京都の観光客に、近隣の学校の生徒、大学生。それに、頻繁に来る常連さん。


 僕も高一にして常連となった一人で、大勢の客をさばく秀子さんを尻目に、他の常連さんや一見さんとの雑談を楽しんでいったものだった。一見さんは、大学生なこともあれば、社会人な事もあったし、別の高校に通う生徒だったこともあった。そんな一期一会が繰り返される場所がとても好きだった。


「はいー。なつかし焼き、お待ちどうさん」


 窓口から、紙に包んだ「なつかし焼き」を威勢よく手渡す秀子さん。

 よく、様子を観察していると、常連客や一見さんと雑談しながら、せわしなく手を動かしていて、よくこんな芸当が出来るものだと感心する。


 そんな風な、ちょっと変わった日常を送っていた僕だったけど、ある日を境に、その日常は、もう少し変わったものになった。


 ある日のこと。手が空いた秀子さんと雑談に興じていると、常連さん席に座ろうとする二人が目に入った。一人は……四十代だろうか?若々しいママさんといった感じ。もう一人は、ちっちゃくて、小学校高学年か中一辺りと言ったところ。


「秀子さん、この二人は?」


 事情を抱えていそうだった二人が気になったので、聞いてみることにした。


「ああ、最近、常連さんになった母娘よ」


 言いつつ、ちらと二人に目配せをする秀子さん。


沢木さわき悦子えつこといいます」

沢木さわきめぐみと言います。よろしくお願いします」


 親御さんから言われるまでもなく、深々とお辞儀をした彼女。

 短く切りそろえた髪に、おとなしめの眼鏡。

 立ち居振る舞いもあって、随分大人びた子だなというのが第一印象。


「ありがとうございます。僕は、真島まじま裕二ゆうじ洛上らくじょう高校一年です」


 普段、そこまで礼儀正しい方ではない僕。

 ただ、しっかりしたお辞儀をするものだから、同様にお辞儀をしてしまった。


「ああ、洛上さんとこの。道理で、しっかりしてるのね」


 感心したようにつぶやく、沢木さん。

 洛上は、地元では有名な進学校で、知られているのも不思議ではない。


「そうなんよ。でも、この子、妙にうちに居着いてしまってなあ」


 仕方ないなあ、という声の秀子さん。

 同級生で、ここに入り浸るのは僕くらいだったから、無理もないけど。


「ところで、恵ちゃん……は小学生?」


 やや高めの背丈だから、中一くらいかは微妙なところだ。


「私は小六ですよ。裕二ゆうじ君」


 落ち着いた微笑みで話す恵ちゃん。

 いきなり、名前に「君」呼びにびっくり。

 でも、小学生ならそんなものか。にしても、物怖じしない子だ。


「なんだか、随分しっかりしてるね」


 最初に感じた印象がそれだった。

 礼儀正しく、初対面の相手でも、さっと自己紹介出来る。

 それに、洗練された所作がそう感じさせたのかもしれない。 


「そうでしょうか?」


 恵ちゃんはピンと来ていないようだった。


「ほんと、この子は、昔からしっかりしてて。自慢の娘よ」

「もう、お母さん。ちょっと、恥ずかしいってば」


 娘自慢をされたのは、さすがに恥ずかしかったらしい。

 照れくさそうな彼女は、年相応の少女に見えた。


 これが出会い。何の変哲もない。常連さん同士の会話。


 ただ、何か通じ合うものがあったのだろうか。

 特に、沢木さんに妙に僕は気に入られてしまった。

 恵ちゃんの月一の家庭教師として、母娘の家にお邪魔する羽目に。

 今思えば、何をやってるんだと思わないでもない。


 家庭教師と言っても、特にお金をもらっていたわけじゃない。

 知識欲旺盛な恵ちゃんに色々教えてあげて欲しいとのこと。

 ともあれ、何だか一人っ子の僕には妹が出来たみたいで嬉しかった。

 

「裕二君。この、CPUシーピーユーっていうのがわからないんだけど」

「ああ。そこはね……一言で説明するのは難しいけど……」


 普段は冷静な恵ちゃんだけど、こういう時は目をキラキラと輝かせて

 ぐいと迫ってきていたものだ。


「んふふー。これで、5勝0敗ですよ」

「ほんと、恵ちゃんはパズルゲー強いんだから」


 あるいは、対戦ゲームになると、負けん気を燃やすところもあった。


 かと思えば、淡々と一人、読書に耽っていることもあった。


「人間の心っていうのも、複雑なものですね……」


 なんて言い出すからビックリしてタイトルを見ると、


『心理学入門』というものだった。


「それ、割と大人向け書籍だと思うけど。わかるの?」

「うん?普通にわかりますけど」


 などと返すものだから、僕もたじたじだった。


 奇妙な僕と母娘の関係は、他にも及ぶことになった。

 たとえば、年越しは「なつかし焼き」で母娘と秀子さんの四人で。


「「「「あけましておめでとうございます」」」」


 カウントダウンをして、皆で言い合うのが恒例だった。

 父さんと母さんは、きっと、苦笑いしていただろうけど。


 店は、京都で有名な神社である北野天満宮きたのてんまんぐうの近くにある。

 一が一日の午前0時を回ると、三人で初詣にも行ったものだ。


 三が日が明けると、雪の残る地元の山に三人で登ったりもした。


大文字だいもんじ山からの眺め、私、好きなんです」


 目を細めて言う彼女はこれまた妙に大人びていた。


「いい景色だとは思うけどね。恵ちゃんはなんで?」

「そうですね。私を育ててくれた街の景色だから、でしょうか」


 言葉に鋭敏な僕だったから、彼女の言わんとすることはすぐわかった。

 でも、まだ中学にならない彼女がそれを言った事にとても驚きがあった。

 いかに知性があっても、情動が発達していなければ出てこない言葉だから。

 

 後から思えば、シングルマザーな家庭で育った故の言葉だったのかもしれない。

 それでも、彼女のその言葉は、とても心に残った。


 そして、僕が高一から高三に成長するにつれて、当然、恵ちゃんも成長する。

 小六から中二へ。心身ともに成長する時期で、恵ちゃんも例外ではない。

 身体は丸みを帯びて来たし、胸も少しずつ大きくなって来たのがわかった。

 ただ、既に早熟だったからか、言動はそこまで変化しなかった。


 唯一変化したとしたら、より、物事の理解度が上がった事だろうか。


「裕二君。この、微分方程式なんですけど……」


 と言われて見てみると、大学の教科書の問題を問いていた。

 幸いというべきか、僕も先行して大学数学には興味を持っていたから助かった。

 危うく面目丸つぶれになるかと、何度ヒヤヒヤしただろう。


 受験が迫った高三の冬は、真剣に天神様に祈ったものだ。

 ちなみに、天神様というのは、平安時代の人物、菅原道真の事だ。

 北野天満宮きたのてんまんぐうが建立されたのも、平安時代に彼の祟りを恐れての事らしい。

 恵ちゃんも、なけなしのお小遣いで、合格祈願のお守りをくれたっけ。

 

「裕二君なら、きっと受かります。大丈夫です」


 まるで年上のような、そんな落ち着いた物言いが印象的だった。

 当時、僕は高三で彼女は中二だったのに。


 合格した時は、母娘そろってお祝いしてくれたっけ。

 それと、前後して、彼女からの初めてのバレンタインチョコも。


「裕二君にはいつもお世話になっていますから」


 とのことで、聞かずとも、義理チョコだというのがわかった。


「裕二君。関東に行っても元気にしててくださいね。それと、連絡もください」

「私もよ。それと、京都に帰省した時は連絡してね」


 関東に行く前の送別会で、母娘からもらった言葉だった。


 ただ、僕が関東の大学に進学してから、二人とは、次第に疎遠になっていった。

 最初の数ヶ月こそ、メールや電話のやり取りをしていた。

 しかし、恵ちゃんからは中学受験の話をよく聞くようになっていたし。

 ちょうど、沢木さんも転職で慌ただしいという話も聞いていた。


 当時、ラインなどというものはなかった。メールや電話の重みは大きかった。

 忙しいだろうなあと、遠方から電話するのは気が引けてしまっていたのだ。


 四年近く音信不通だった僕たちの再会のきっかけはラインだった。

 理由は、二人とも電話番号を変えていなかったこと。

 自動的に二人のアカウントが「友達」に追加されていたのだ。


 今なら連絡を取ってもいいんじゃないかと、そんな気持ちになった僕は、


『お久しぶりです、沢木さん。真島です。覚えていらっしゃいますか?』

『久しぶり、恵ちゃん。裕二だけど、覚えてるかな?』


 そんなメッセージを送った。返ってきたメッセージは、


『覚えてるわよ、真島君。最近はどうしてるのかしら?』

『裕二君、お久しぶりです。家庭教師をしてもらった日が懐かしいです』


 母娘それぞれ、そんなものだった。

 こうして再び縁がつながったのが、僕が社会人になる直前。

 それから、約二年。京都にある支社への転属を希望した僕は、

 無事、京都に帰ってくることになったのだった。


◇◇◇◇


 そして、現在。


「いやー、本当、楽しみだな」


 JR花園駅はなぞのえきにて、うずうずしている僕。

 JR京都きょうと駅から数駅の所にある駅である。

 今日は、再会を祝して、三人で宴会をすることになっている。

 恵ちゃんは、京都の大学三年生。

 沢木さんは、以前とは違う職場で、歯科衛生士をしているらしい。

 繋がりを作ってくれた「なつかし焼き」の秀子さんも誘ってみたものの、

 あいにく都合が悪いとのことだった。


「あの恵ちゃんが、もう大学三年生かあ」


 時折、写真は見せてもらっていたけど、どうにも繋がらない。

 とても可憐に成長していて、相変わらず、しっかり者な感じの文面だから、

 きっといい人がいるのだろうと思って、沢木さんに聞いたものの


『あの子。あんまり興味がない感じなのよね。心配だわ』


 とのことだった。きっと、引く手数多だろうに。

 駅の柱にもたれながら、物思いに浸っていると、肩がポンと叩かれた。


裕二ゆうじ君。お久しぶりです」

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