第256話 バズる。


 現在の調子、シーズン終了直後の休養明けの為体調的には絶好調。


 やや寝不足だが、走り自体には問題無し。


 寧ろ少しハイになって逆に集中力が増している。


 風はほぼ無風でやや追い風。


 慣れている母校のトラック。

 相手はほぼ素人なので、今回は自分の為にだけ走れば良い。


 俺はいつもより軽い気持ちでスタート準備を始める。


 さっき迄騒がしかったそいつは流石に黙ってスターティングブロックをセットしている。

 久しぶりなのだろう、やや戸惑いながらもセッティングを終えた。


「いよいよだぜええ」

 そいつはそう声を出し、ぎこちない動きでクラウチングスタートの練習をする。


 はっきり言って……数百回やっても俺が勝つだろう。

 負ける理由はどこにも無い。


 そいつの走りを見るとスタートダッシュはそれなりに速いが、身体を起こすのが早すぎる。

 あれならクラウチングスタートよりも、スタンディングスタートの方が早いだろう。


 やはりトラックに立ってもサッカーの走りは変わらない。

 多分アンツーカー(土)や芝生での走りに慣れているせいだ。


 陸上のタータン(ゴム)と違い、アアンツーカーや芝生だと後ろに蹴る力が強すぎると逆に滑ってしまう。


 その為に状態を起こし、太ももを上に上げ足を前に振り出しながら走る方が効率的なのだ。

 アメフトやラグビーで太ももを高く上げ走ってる姿を見た事があるが、あれはタックルされない様にと滑らない様に走っていると思われる。


 しかし、陸上の走りは全く違う。

 勿論後半は太ももを振り上げ大きく腕を振り走る海外選手も多いが、スタートでは自分程では無いが体勢を低く保ち後ろに蹴る事で推進力を得る走りをしている。


 10mm以上の長いスパイクピンをがっちりと地面に食い込ませて走る為に、ピンが折れない限り滑る事はほぼ無い。

 なので蹴り足は非常に重要で且つ有効なのだ。


 



 今回は急遽だった為、出走時間もアナウンスも無い遊びのレース、記録会ですら無い。

 走り出すタイミングは俺達に一任されている。


 ちなみに陸上ではインターハイや国体の予選だけではなく、記録会という大会も良く開かれている。

 野球やサッカー等の練習試合がそれに近い。


「用意は良いか?」

 俺が隣で構えるそいつに聞く。


「いつでも良いぜ!」

 そいつは満面の笑みで、子供の様な表情で俺に向かって親指を立てた。

 まるで初めて運動会で走る子供の様な笑顔で。


 俺は少し羨ましく思いながら、いつもの様にスターターを勤める灯ちゃんに向かって手を上げた。


「位置について」

 灯ちゃんは俺に向かって頷くと、ピストルを構えそいつもの英語でのコールではなく日本語でそう言った。

 そしてその声を聞いた瞬間俺の中でスイッチが入る。


 両足を軽く振りゆっくりと左足をスターティングブロックに乗せる。

 続いて右足りも、そして両手をいつもの様にラインギリギリに置くと一度ゴールを見つめそのまま下を向きグッと体勢を低くした。


 「用意」

  灯ちゃんのその声を聞いた瞬間、周囲の音がスッと消える。

  腰を持ち上げかなりの前傾姿勢のまま制止した。

 ここから先は微動だにしていはいけない。


 そして一呼吸間の後に「パン」というピストルの音が鳴る。

 それを俺は耳ではなく身体で聞く。

 耳で聞いてから反応しては遅い、少し科学的では無いが身体で聞いて脳を通さずに反応させるのだ。


 俺はピストルの音に合わせ弾ける様にスタートした。


『これは』

 今までに無い好スタート、練習も含めて100mに復帰して一番良いスタートだと言っても過言では無い。


 コンマ1、恐らくギリギリだ。

 しかしフライングでは無い。


 今まで目指していた最高のスタートを今切れた、いや切ってしまったと言った方が良い。

 そしてそれ以上に最初の3歩がとてつもなく早い。

 躓くギリギリ、俺の視界はかつて無い程に地面が近い。


 重力を利用した加速力、隣の相手の足音がもう聞こえなくなる。

 完璧過ぎる走りに思わず背中が寒くなる。


「う、うおおおおおおお、は、はえええええ!」

 そいつはいきなり離された為か唸り声を上げるが、その声さえ音速を出すが如くあっという間に遠ざかる。


 これは、多分自己新が出る。


 タイム計測をしていない事を後悔するが、それ以上に快感が俺の中で沸き上がる。

 この為に苦しい練習をしているんだと実感出来る。


 俺は慎重に足を運び、身体をゆっくりと起こして行く。


 ヤバい、いつもより一歩程早い。

 足がとてつもなく軽い、50mでまだ余力が残っている。

 俺は更に加速する。


 70m、今までで一番速い、ひょっとしたら9秒台が出る。


 そう実感したその時「う、うりゃあああああああああ」と後方から再び声が聞こえる。


『は? う、嘘だろ?』

 少なくとも10mは引き離していた筈。


 そいつの叫び声と同時に足音までぐんぐんと近付いて来る。


 ゴールは目の前、俺は最後の力を振り絞る。



 そしてゴール寸前隣をチラリと隣を見ると、俺の視界の端にそいつの姿が見えた。


 まずい、と俺はゴールで胸を出し最後のフィニッシュをする。

 俺がゴールすると同時にそいつは頭から突っ込み俺の横を転がりながらゴールした。


「「うわあああああああああ」」

 周囲が沸き上がる。

 勝ったのは勿論俺だが、辛勝だった。


「9秒、9秒台だ」

 そしてストップウオッチを持っていた1年生数人がそう声を上げた。


「うわあああああああああ」

 その計測値を見た周囲の人が再び沸き上がった。


 俺はゆっくりと走りながら引き返し、ゴール付近で転倒したまま空を見上げるそいつ……金原を見つめた。


「くっっそおおお、後少しだったのに!」

 もし陸上のゴールが身体の一部だったら負けていたかも知れない。


「大声も最後の飛び込みも全部無駄だ、走りも雑、完全に技術不足だよ」


「うるせえ知るか! 根性出せば何でもなるんだ」

 そいつは足を振り上げ反動で起き上がる。

 根性だけでここまで追い詰めらるとは……。


「次はぜってえ勝つ! 覚えとけよ!」

 そう捨て台詞を吐くと俺に背を向けた。


「ああ、金原待ってるよ」

 俺がそう言うと金原は顔だけ俺に向け「次は拓人って呼ばせてる」そうポツリと呟きグラウンドを後にした。



「せ、先輩?! これ」

 さっき迄金原に大騒ぎをしていた1年生、いや部員の殆んどが俺の周囲に集まる。

 そして数人が持っていたストップウォッチを俺に見せ付けた。

 そこには『9.93』と表示されている。


 多少前後はしているが、数人が持っていたストップウオッチに表示されている殆んどに日本記録が表示されている。


 しかし、あくまでも手動計測、いや仮に機械を使って計測したとしても、審判や正式な計測員がいない為参考記録にもならない。

 そして手動計測はゴールの際早めに押してしまう傾向もあり、鵜呑みには出来ないが……そんな事よりも。


「あいつ……とんでもないな」

 恐らく金原も9秒台を叩き出している。

 俺は自分の理論に絶対の自信を持っていたが……あいつの言う根性論にその自信が少し揺らいでいた。


「天才ってのはああいう奴の事を言うんだろうな」


 俺はそうポツリと呟いた。



 そして……後日この対決の動画が何者かによってネットにアップされ、これが俗に言う大バズりし、金原のおか……せいで俺の名前が日本中どころか世界中に広まって行ったのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る