第250話 3年後。


「持って3年……」

 夏合宿が終わり、とある大会に参加した。

 丁度円の母親の事と俺の100mの復帰が重なり、マスコミが学校だけでなく大会にも来はじめていた。


 そこで自身の出場は無かったが、その対応に来てくれていた会長に俺は決勝の後そう打ち明けた。


「それって……3年で、走れなくなるって事?」

 それほど大きくない大会だった為ぶっちぎりで優勝した俺は、直ぐにインタビューやらの取材を受けた。


 そしてその直後の告白に会長は驚きの表情で俺を見ている。


「まあ……俺の走りは邪道だからね」


「……理由になってない」

 

「会長ならわかるか……俺は現状100mを52歩で走りきってる……そしてその一歩一歩の出力を寸分の狂いなく排出しなくちゃならない……高すぎても駄目、少な過ぎても駄目、出力だけでなく歩幅も……数センチのズレで転倒に繋がる」


「そんな」


「それだけじゃない……腕振り、空中姿勢、バランス、トラックの状況、風、体重、筋力、その全てをたった10秒余りで全部管理しなければならないんだ。

わかるよね……スターダッシュで全員の前に出ている俺がもし転倒したら、レースが目茶苦茶になる」


「……そ、うね……」


「俺はそんな危険を常に背負って走ってる……だから邪道だって、いや……卑怯ものなのかも知れない」


「で、でも……それは仕方ない事だし、転倒の危険は誰にでも……」

 彼女は普段見せた事の無い少し暗い表情で俺を見つめる。


「それだけじゃない、体重、筋力、成長、足の状態……恐らく3年後に限界が来る……多分ね」


「そんな……そんな先の事まだ……」


「うん、でも……足の限界が来なくても……もし、一度でも走行中に転倒したら……俺は引退する」


「え?」


「それが責任を取るって事だと思う……もう……そう決めたんだ」

 そう言って俺は彼女に自分の手を見せた。

 ブルブルと細かく震える手を……。


「……」


「怖いんだ……走るのが……楽しかったのに……今は」


「それであの時も震えてたのね」


「ははは、もしもあそこで転んでたら、俺の陸上生活は終わってたよ」


「で、でも、走り幅跳びがあるでしょ? 幅跳びなら転倒しても誰にも被害が出ないし」


「そうだね……でもあれは100mの為さ、この走りを思い付いたから出来たんだよ。そうじゃなければここまで伸びなかったよ」


「それで日本記録って……どれだけ化け物なのよ」


「そりゃ日本記録だって出すさ、100mの為なら……」


「それで急に大会に……」

 俺は合宿で走れる事を確認すると、直ぐに出れる記録会や大会にエントリーした。

 そしてスタートダッシュに新しい走り方に磨きをかけ一気に9秒台寸前ま1秒近くタイムを上げた。


「ただ……ここからはコンマ01を削っていく作業になるかな」


「そうね……」


「残された時間は僅か3年……もう1秒たりとも無駄には出来ない」


「3年後って」


「今のままだとオリンピック迄は……だから世界陸上選手権が最後に……ただそこまでたどり着けるかだけど」


「そう……ね」

 何か考え事をしているような仕草で彼女はそう言う。


「だから2年以内に国内トップ、代表入りそれが今の目標」


「国内トップ……」


「はは、厳しいよねえ……」

 今年はオリンピックの年だった……そこで日本短距離陣は大躍進を迎えていた。

 3人が9秒台をマーク、そしてその中の一人が日本人初100m決勝に進出した。

 結果は最下位だったが、これが快挙として報道され、ややマイナースポーツである陸上競技が今ブームとなっていた。

 

 3年以内に俺はその3人を、いや、まだ強化選手になれそうなだけの俺は、他の強化選手全員を抜かなければならない。


「……そう、わかったわ…………私が手伝う」


「は?」


「貴方のマネージャーとして、練習パートナーとして、私が……て、手伝うわ!」

 トラックと外を繋ぐトンネルから一陣の風が吹き込んでくる。 

 彼女は風で舞い上がる長い髪もスカートも押さえる事なく俺を真剣そうに見つめている。


「え、えっと」


「駄目よ、だって貴方は今酷い事を言ったんだから!」


「酷い事?」

 風で舞い上がった髪がまるで漫画やアニメに出てくる怒れる魔女のように見えて来るぐらい彼女からの本気とそして迫力が伝わってくる。


「さっき言ったでしょ! もしも転んだら……レースを目茶苦茶にしてしまうって」


「え? あ、うん」


「つまり……一番初めのテスト走行を私の前でやったという事よね?」


「……あ」


「あ、じゃない! だからあの時あんなに酷い走りをしてたのよね! 一発勝負じゃない! 机上の計算だけで走ったって事? 信じられない……今の走りの方がま全然安定してた! つまり私なら転ばしてもいいやって、そう思ってたって事じゃない!」


「あ、あーーー」


「ひ、否定しろ!」

 いつも余裕を見せている年上の彼女が、なんだか可愛らしく見えてしまう。


「ははは……まあ、否定はしないかな」


「うわーー酷っ」


「……」


「……」


「で、返事は?」

 そう言われ俺は考えた。

 確かに最近インタビューや雑誌の取材等が増え、色々と負担が増していた。

 それらの矢面に立って貰えるならそれはありがたい事なんだが……しかし。


「会長だって現役でしょ? 大学でも走るなら、いやそもそも受験だってあるし そんな事してる場合じゃ」


「これでも生徒会長よ、大学も推薦で既にほぼ合格してるようなものだし。練習は勿論やるわ、一番のお手本が……その……近くにいるし……」


「いや……俺の走りは手本には……」


「うるさい! 私がやりたいって言ってるの?! 邪魔なら邪魔って言えば!」


「いや、邪魔なんかじゃない、寧ろ助かる……って言うか……」


「……じゃ、じゃあ?」

赤い顔で俺を見つめる会長……。


「えっと、じゃ、じゃあ……」


「ちょっとまったああああああああああ!」

「あーー灯ちゃん、駄目だよ今、良いところなんだから」

「お、お兄ちゃん!」

 俺が会長に返事をしようとしたその瞬間、妹と灯ちゃんと夏樹の3人がそれぞれ声を上げながらこっちに向かってくる。


「お姉ちゃん! また美味しい所を!」

「フフフ、かーくん、これってどっちの下心?」

「お、お兄ちゃん、円よりはいくぶん増しだけど、まさかこんな年増に面倒見て貰うつもり?!」


「え? いや、えっと」


「先輩! やっぱりマネージャーなら年上よりも年下が良いと私は思うんだけど?」

「お兄ちゃん! 家で面倒見るのは私だからね! 今も食事管理は私がしてるんだから」

「ねえ、かーくんこれってどっちの下心? いやあかーくんも大人の階段昇ってるねえ……でも、勉強見てるのは私だからね? かーくんについていけるのも、わ、た、し」

「ちょっと年増って何よ? それと灯! そんな事言うなら生徒会長になってから言いなさい」


 ぎゃあぎゃあとトンネル内に響き渡る女子4人の言い争い。

 トラックからこっちを見ている人もチラチラ現れ始める。

 

「「翔君!」」

「かーくん?」

「お兄ちゃん!」

「「「「誰を選ぶの?!」」」」


「あ、えっと……俺は……」

 会長は真剣な顔で、灯ちゃんは泣きそうな顔で、夏樹は笑顔で、妹は怒った顔で……。

 それぞれこっちを見て俺の返答を待っている。


「えっと……あ、そうだ、忘れてた、クールダウンいってきまあす」

俺はそう言うと持ち前のスタートダッシュを生かし、外に向かって走った。


 後ろから一瞬怒声や罵声が聞こえた気がするが、音速を超えた俺には届かない……。


 って事にした。

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