第246話 陸上と円と先輩と……


 それは考えうる最悪なタイミングだった。


 今までも好きだというアピールはしていた。

 好きだという言葉も発していた。


 でも、冗談めかす事ない告白という意味では、これが最初だった。


 まさか自分が涙を流して男性に告白するなんて、今まで思いもしなかった。

 こんなのドラマや小説の世界でしかないってずっと思っていた。


 恋愛なんて気楽にするもの。

 ずっとそう考えていた。


 格好いい人と付き合えたら自分の価値が上がる。

 日本一足の速い人、ある種のステータスだ。


 そんな打算的な思いが心のどこかにあった。


 でもそれだけじゃない、事実出会った時先輩は全く走れなかったのだから。



 そして、今はそんな物どうでもいい、そう思ってる。

 足が速いとか、遠くに跳べるとか、運動が出来るとか……本当にどうでもいい。


 理屈じゃない、全部が好き、好きで好きで仕方がない。

 先輩の為なら死んでもいいって……思ってしまった。


 恋し焦がれ、身体も心も焼き尽くされ……そんな思いが熱い思いが沸き上がる。


 真剣な、一生で一度あるかないか、そんな恋、そして告白だった。


 それだけ好きなんだ、心底好きなんだと、今本当の意味で私はそう自覚した。


「ありがとう、あかりちゃん」

 先輩は少し寂しそうな顔で微笑み、私に向かってそう言った。

 でも、この後の展開は容易に想像出来てしまう。

 先輩の表情を見ればそれは明らかだった。


 わかってる、横恋慕だって事は十分に承知している。


 そんなに円さんの事が? だってあの人は自分を優先したのに?

 先輩を置いて遠くに行こうとしているのに?


 私なら、私だったらそんな事はしない……一生先輩に……。


「……」

 そう思うも言葉が出ない。

 もっと何か言わなければ、これじゃ私の思いの100分の1、いや、1000分の1も伝わっていない。

 

 いつもなら、笑顔でアピールできるのに、もっと楽しく話せるのに……。

 これが恋をするって事なのか? これが人を愛するって事なのか?

 喉の奥が詰まって、涙が喉の奥を詰まらせ言葉が出てこない。


 好きなのに……。



「……灯ちゃんはさ、陸上好き?」

 黙っている私を見かねた先輩は、痺れを切らしそう言葉を掛けてくる。

 その先輩の問いかけに私はただ頷く。


「俺と……どっちが好き?」


「…………せ、せんぴゃい」

 ああ、なんではっきりと声が出ないの? 私がどれくらい先輩の事が好きなのか、円さんなんかよりも好きだって、私が日本一先輩の事が大好きだってアピールしたいのに。


 元気だけが取り柄の私が、こんなになるなんて……。

 自分の知らない一面に思わず驚いてしまう。


「……そっか、俺はね……陸上が好きなんだ、何よりも誰よりも、好きで好きで堪らない」

 先輩は私の頭をゆっくりと撫でながらそう告白してくる。


「円……さんよりも?」


「うん」

 即答だった。


「そんな……」


「これが本心、今、俺は幸せなんだ……もう諦めていた。走れないって……そして、ここまで戻してくれた円に本当に感謝していた……」


「それって」

 

「そうだね……酷い男だよね」

 先輩は笑顔で私にそう言った。

 そう……円さんとはそういう意味で、陸上に復帰出来た感謝の気持ちで付き合っていたと、先輩はそう言っているのだ。


「円は俺に同情して、俺は円に感謝して、俺達は付き合っている……これって相当歪んでるだろ?」


「だ、だったら、だから別れて……私と」

 そう言うと先輩はゆっくりと首を振った。


 古ぼけた公園の電灯に羽虫がパチンと当たる音がする。

 チラチラとした灯りが私と先輩の影を揺らす。


「灯ちゃんは、どうして俺の事が好きなの?」

 先輩は少し考え私にそう聞いてくる。


「か、格好いい……から……」

 それだけじゃない 

 優しいし、一生懸命だし……。


「走ってる所が?」


「……うん」

 違う、ううん違わない……でも。


「じゃあさ、また走れなくなったら? この足が駄目にならなくても年を取ったら走れなくなるよ」

 先輩は自分の膝に視線を移し、再び私の事を真剣な表情でじっと見つめる。


「そ、それは……」

 そんなのわかっている。

 わかっているのに言葉が浮かんで来ない。


「……俺さ、去年……死のうって思ったんだ」

 私が言葉に詰まらせ黙っていると、先輩は満面の笑みでとんでもない事をカミングアウトした。


「え?」


「でも死にきれなかった……円はさ、俺のその一番情けない姿を見てるんだ。本当に情けない姿……でも円はそんな俺を見ても、そんな俺を知ってても好きだって言ってくれた。例え同情だとしても、言ってくれた……それが俺には嬉しかった」


「だからさ、円が距離を置こうって言った言葉……それは信じられる、円が別れようって言わない限り俺は別れないってそう思ってるんだ」


「……はい」

 先輩からの断りの言葉に私はそう返事をする事はしか出来なかった。

 

 最初からわかっていた。


 そしてこんなにも悲しい表情をしている先輩の事がもっと愛しく思えた。

 それとは逆にこんな表情にした円さんに……円に対し怒りとそして憎しみが沸き起こる。


 許せないって感情が私の心に火をつけてしまっていた。


 どんな事をしてでも先輩の心を奪うと……あの女から奪いたいと、そう思ってしまっていた

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