第245話 二人の一歩
夜の小さな公園、都会の公園と違い殺風景に感じる。
勿論たむろしている者も、恋人同士で語り合う者も居ない。
その公園の入口でザッザッっと音が聞こえる。
恐らく翔先輩が練習をしている音なのだろう。
私は先輩にバレ無いようにそっと公園に入り、木陰から音のする方をじっと注視する。
先輩はまるでオーラを発しているかのように、身体から湯気を出しスタートダッシュを繰り返していた。
30mくらいをダッシュすると、ゆっくりと歩いて元の位地に戻ってくる。
戻ってくる時に手や足の振り方や、歩幅、蹴り方等を確認し、それらに納得いかないのか、首を捻りつつ歩いている。
そして再びダッシュ、それを延々繰り返していた。
何が、どこが悪いのか、私の目からでは全く判断出来ない。
それぐらい先輩の走りは美しかった。
そして私の目から見てそう思えるくらい、先輩は昔の走りを取り戻していた。
「先輩の走りって……不思議」
公園の電灯に照らされ、美しく走る姿はまるでユニコーンのように美しく、その幻想的な姿にドキドキと心臓が高鳴る。
何故こんなにもときめくのか? 何故こんなにも惹かれるのか?
そしてもっと走れる筈だという思いが、その悲しみが伝わってくる。
先輩は限界に達したのか、その場でうずくまる。
朝は全体でのミーティング、昼は炎天下の中長距離の練習に付き合い、午後は短距離と跳躍の練習にも付き合い、夕食前に反省会、そしてこの唯一空いている時間で個人練習を行い、この後は明日の練習メニューの確認、そして朝のミーティングでは疲れも見せずに皆の前に立っている。
陸上陸上陸上、本当に陸上バカな先輩。
そんな先輩に円さんの事を告げたら……もしも、合宿を放り出し円さんを引き留めに行ったとしたら?
円さんは……それを待っているのかも知れない。
今なら、今直ぐなら間に合うかも知れない。
私は不安と焦りと諦めと、そしてトキメキと涙をこらえ、そんな色々な感情を全部隠し、ゆっくりと先輩に近付く。
そしてまるで街中で偶然出会ったような振りで先輩に声を掛けた。
「ヤッホー」
「……灯ちゃんか」
「驚きました?」
「……誰に聞いたって聞かなくてもわかるか」
「只野ちゃんが鬼って言ってましたよ?」
「まあ、うちの長距離にいきなり放り込んだら、そうなるよな」
「本当、鬼ですねえ」
「それぐらいの覚悟が無いとね、わかってるでしょ?」
「まあそうですが……」
「頑張って貰わないとね」
「期待してるんですか?」
「どうだろうね、陸上ってどんなに才能があっても練習しなけりゃ全く駄目だからね」
よっぽど疲れてるのか? 先輩は膝をついたまま立ち上がらずに私と会話している。
「……先輩は頑張ってますねえ」
「……ふふふ」
「な、何がおかしいんですか?」
「これぐらいで頑張ってるとかよく言う、灯ちゃんに比べたら大したこと無いよ」
「またそうやって謙遜して……」
「隠れて練習してるでしょ、身体を見れば直ぐわかるよ」
「先輩のエッチ」
私はわざとらしく胸を隠しベーっと舌を出す。
「……それで?」
そんな私の態度を無視し、先輩は膝に付いている砂を払い、呼吸を整えゆっくりと立ち上がる。
そして子犬のような可愛い瞳で私をじっと見つめてそう言った。
「えっと……さっきちょっと小耳に挟んだんですけど……円さんが……休学して海外に行くって」
やはり言った方が良いと私はそう判断し、そのまま聞いた事を先輩に伝えた。
「…………そっか」
先輩は私を疑う事も、取り乱す事もなく、数秒の間の後にそう言った。
「そ、それだけ?」
「うん」
「そんな……恋人が黙って遠くに行くって言ったのに……それだけ?!」
何故だろう、喜ばしい事なのに、怒りがどんどん込み上げてくる。
「円がそう判断したなら……仕方ない」
「そ、そんな、今直ぐに行けば、今直ぐに帰れば間に合うかも知れないのに!」
「帰れるわけ無いでしょ?」
先輩はそう言うと再び練習を始めようとする。
「な、何でですか?! そんなの……そんなのって」
今度は何故か涙がこぼれ落ちる。
その理由がわからない、冷たすぎる先輩にがっかりしたのか? その先輩の諦めた表情が自分と重なるからだろうか?
すると先輩は動きを止め、一度空を見上げ少し考えてから私に振り返る。
「……俺は、俺達はさ、歪んでたんだよ、俺は円のせいで文字通り足を止め、円は俺のせいで足を止めた。 今俺の足は動き始めた、円のお陰で……だから円も踏み出したいって思ったんだろうな……って」
「そんな……そんなの先輩がそう思ってるだけで」
「わかるよ、だって俺達、恋人同士だからね」
悲しそうな笑顔で、寂しそうな瞳で私を見つめそう言う先輩。
「だったら、私だったら……止めて欲しい、引き留めて欲しい」
「円は強いから……だから俺ももっと強くならないと」
「寂しくないんですかああ?」
涙を堪えるもポロポロと溢れ出す。
「何で灯ちゃんが泣くんだよ」
先輩は側に置いていたタオルを手に取ると私の涙を拭った。
「だっで、だっで……」
「そうだね、少しさみしいけど……これが始まりだってそう思えるから」
「始まり?」
「そ、同情から始まった恋という枷が外れたんだ。 円は俺を追いかけて来た。次は俺が円を追う番だ、この足でさ」
自分の足をポンと叩く。
傷だらけの先輩の足、今走れている事自体が奇跡だと聞いた。
「先輩……」
駄目だ好き過ぎる……。
「先輩……好きです……」
私は泣きながらそう告白した。
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