第240話 クイーンオブアスリート
宮園先輩をずっと見続けるもトレーニングは一向に終わる気配はない。
腹筋、屈伸が終わると今度は慣れている感じでくるっと回り懸垂を始める。
足に装着している器具を重りにし順手持ち、逆手持ち、手の幅を小まめに変え懸垂を続ける。
「凄い……」
もうその一言に尽きる。
自分の、どの部分を鍛えれば良いのかわかっているかのように、先輩はトレーニングを続ける。
一見細身の先輩、しかし腕も足もお腹にも一切の脂肪がなく、月明かりの下でもはっきりと逞しい筋肉が見える。
その身体にキュンキュンと胸が締め付けられる。
ポロポロとこぼれ落ちる涙を何度も拭き先輩の身体……ではなく、その努力している姿を目に焼き付けた。
一通りのトレーニングが終わった……かと思ったが、今度は始めに戻り同じ運動を続ける。
これはいわゆるサーキットトレーニングという練習だ。
今見てきた物がもう数回続く……それがわかった瞬間私の身体が震えた。
これは寒さでは無い……寒気だ。
この運動を数回続けるなんて……。
私は持っていたスマホをこっそりと見る……。
「まだこんな時間?」
後を付け始めてから1時間も経っていない。
動きに無駄が一切無いせいなのだろか? 練習効率の良さが際立つ。
先輩の練習のレベルの高さに私は驚愕した。
この合宿メンバーのレベルの高さに驚いていたが、先輩の練習はそのレベルを超越していた。
時間もコントロール出来るのかと錯覚してしまう練習姿に、私は益々虜にされる。
「これが……日本一……ううん、世界レベル」
一緒にカラオケに行ったときは、普通の男子高校生だった。
ううん、それどころか、どこか頼りない印象だった。
だからこそ、私は勘違いしてしまった。
でも、この姿を見たら、あんなこと思わなかっただろう。
住む世界が違う……。
「…………」
ポロポロと溢れる涙、震える身体。
「もっと見たい、ううん見なきゃいけない」
こんなチャンスは二度と無いだろう、自分の運命に感謝した。
この出会いは一生の宝になる。
自分の中で燻っていた何かが再び燃え上がる感覚に私は震え出す。
でも、とにかく今は自分の役割を全うするだけ……陸上だけじゃない……自分の可能性を信じて前に進む進まなきゃいけない。
私はそう心に誓った。
そして……先輩は全ての力を使いきったかのように、鉄棒の下で仰向けで倒れこむ。
先輩の周囲の土の色がそこだけ変わっていた。
「あれが……汗?」
物凄い量の汗が身体から吹き出している。
多分Tシャツを着ていたら余裕で絞れる量だ。
先輩は荒い息で暫くその場に塞ぎこんでいた。
恐らくこれで終わりだろう、そう思った私は先輩に悟られないようにその場を後にした。
宿舎に早足で戻り、自分の震える身体を抑え涙を拭きながら。
先輩のおかげか汗は全くかいていなかった。
そのまま寝てしまえとそっと部屋に入る。
「どこ……行ってたの?」
部屋に戻りベッドに入ろうとした時、寝ていたつかさちゃんから声をかけられる。
「えっと……ちょっと……涼みに……ね」
「ふーーん、宮園先輩と会ってたんじゃ無いのか」
「え?!」
つかさちゃんからそう言われ私はつい驚いてしまう。
「え?……マジ?」
「ち、違う! 会ってたんじゃ無いけど……」
「けど?」
「先輩がそこの公園で……練習してた」
後を付けた事は隠してそう言う。
「……そっか」
それがまるで当たり前のようにつかさちゃんはそう言う。
「うん」
そしてつかさちゃんは一度天井を見上げると、ゆっくりと起き上がった。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと頑張りすぎた」
「良かった」
「……まあ、良くは無いけどね」
「え?」
「これで一歩遅れた……信頼もだいぶ失ったし」
つかさちゃんはベッドの上で座り、悔しそうな顔で自分の足をじっと見つめる。
「信頼って」
そんな大袈裟なと言おうとしたが、つかさちゃんはその言葉を被せるように言った。
「練習で倒れる奴は試合でも倒れる……って思われたよ、多分」
「それは」
「陸上って基本個人競技じゃん、でも駅伝とリレーだけは個人競技じゃない、一人のせいで全員に迷惑がかかるの」
「……」
「それだけじゃない、選手として選ばれなければいけないの、この合宿で参加しているのは7人、そのうち出れるのは5人」
「それって」
「そうよ、二人は確実に補欠に回されるの」
「そんな……あんなにきつい練習をしてるのに」
「今回、出場選手を選ぶのは宮園先輩、そして先輩は今回のううん、大会迄の練習全てを見て選手を決めようとしてる……自分の言葉の責任を取るために」
「言葉の責任……」
「先輩は全国に行けるって言った。私達もそれを信じた。
それは……誰もが思ってる夢……だから宮園先輩は何も言わないし、私達も何も言わない……全部わかってるから」
「わかってる……か」
「これが初日で良かった……まだ挽回出来る」
つかさちゃんはそう言うと凄惨な顔で拳を握った。
私はつかさちゃんのその顔をじっと見つめる。
「……何よ?」
「あ、ううん、羨ましいなって」
「羨ましいか……あははは、うん、そうだね、わかるよ」
「うん」
「じゃあ寝るね、明日からまた頑張る」
「うん」
そう言うとつかさちゃんはベッドに寝転ぶ。
私も隣のベッドに入り目を瞑ろうとした時、つかさちゃんが再び私に声をかけて来た。
「貴女も……頑張ってみなよ」
「え?」
「なんかいつも諦めた顔してるからさ」
「そ、そう?」
「うん、まだ2年以上あるよ、全力でやってみなよ、別に短距離だけじゃないじゃん、陸上ってさ、宮園先輩も幅跳びに転向したんだから」
「うん……そうだね」
それが気休めだって事は直ぐにわかった。
「……私の知り合いでさ、ずっと長距離で駄目だった人が三段跳びに転向して関東大会まで進出した人がいるんだ」
「三段跳び……」
そんな私の空気を感じたのか? つかさちゃんは具体的な話を始める。
3段跳びはしたことは無い。
しかし、先輩同様以前走り幅跳びや高跳びは経験した事はある。
勿論普通の記録しか出なかったけど。
「あと、例えば一つの種目を極めなくても、全部そこそこなら7種競技ってのもあるしね」
「7種?」
「200m、100mH、800m、走幅跳、走高跳、砲丸投、やり投の計7種」
「7種……」
「クイーンオブアスリートって呼ばれている競技だよ、知らなかった?」
「えっと、知ってはいたけど、周りにやってる人いなかったし、大会でもあまり目立って無かったし」
「まあ、記録自体は平凡だよね、競技の合間合間にやってるし、途中だと誰が1位取るか全然わからないしねえ」
「クイーン……」
「そう……陸上を極めた者の象徴、称号、全部普通な記録だとしても、そこそこ凄いんだよ」
「そ、そうなの?!」
その言葉に私は飛び起きてつかさちゃんの顔を見た。
「まあ、トップ選手は何かしら得意な物があったりするど、その代わり苦手な種目があったりするね」
つかさちゃんは寝ながら微笑み私にそう言う。
「そっか……普通でもいいんだ」
「そ、だから……色々チャレンジして……みたら?」
つかさちゃんはそれだけ言うと、目をつむり眠りに落ちて行った。
「クイーン……」
その言葉を聞いて思わず胸がときめく。
何でも普通の自分でも、そう呼ばれる小さな可能性を夢見て。
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