第239話 月明かりに照らされて
長い長い1日が終わった。
私は今日1日宮園翔先輩とずっと一緒にいた。
でも、今日1日で益々彼の事がわからなくなった。
普段は優しい、でも陸上では鬼と化す。
つかさちゃんが倒れても、それが無かったかのように普通に指導を続けていた。
彼があれほど厳しいとは思いもしなかった。
そして周囲もそれが当たり前のようだった。
先輩の……違う、全国クラスの人達の恐ろしさを私は知った。
夕食を食べお風呂に入り明日のミーティングを終えた。
ミーティングの内容は今日起こった熱中症、過呼吸のメカニズム、それらの対策を丁寧に解説していた。
今回はつかさちゃんが失神及び意識の混濁症状があったため紙袋によるペーパーバック呼吸法を使用したが、窒息や低酸素症になる恐れがある為、無闇にやらないようにとの注意喚起もされた。
ちなみにつかさちゃんは同じ1年という事で私と同部屋になった。
今は病院から帰ってきた後、部屋で休んでいる。
とりあえず検査では問題は無かったとの事で、明日から練習に参加出来ると聞かされホッと胸を撫で下ろす。
そして今回の事を踏まえ暑さ対策の為、明日は早朝から練習となり全員そのまま早めの就寝となる。
私も明日に備え部屋に戻り寝ようとしだが、練習していない為に身体的には疲れていない。
早すぎる時間と今日の興奮からか、なかなか寝付けなかった。
本でも読もうかと思ったが電気を点けるわけにはいかない。
私は仕方ないと寝ているつかさちゃんを起こさないようにそっと部屋を出る。
そのまま宿舎の周囲を散歩でもしようかと、玄関に行くと……何やら器具を持った宮園先輩が外に出ていく所だった。
こんな時間に何を?
そう思った私は興味をひかれ、先輩に気づかれないようにそっと後を付けた。
まさか……夏樹先輩と外で落ち合うとか?
そう思いながら先輩の後ろを追った。
暗闇の中目を凝らして良く見ると、宮園先輩の手にしている器具が何やら怪しく見える。
「あれって……」
銀色に光るそれは、何かを拘束するような、そんな形をしていた。
まさか……それで誰かを……。
私は色んな意味でドキドキしていた。
今回の合宿に参加している人達は、特に美人揃いの選手ばかり、しかも全員細くプロポーション抜群。
そんな人達と一緒にお風呂とか無理と私は荷物の片付けと明日の準備を理由に一人遅めに入浴した。
どうしよう、もしそんな人達と先輩が変な事をしている所を目撃してしまったら。
明日からどんな顔で先輩を見ればいいのだろうか?
でも、私の中にある色々な疑問がこれではっきりするかも知れない。
もしそうならば、きっぱりと宮園翔先輩への憧れを……捨てられる。
そう思った私は勇気を振り絞り先輩の後を追った。
宮園先輩は宿舎から少し歩いた川の近くの小さな公園の中に入って行く。
今のところ人気は感じない、私は後から来るかも知れないその誰かに見つからないように、公園に入ると木陰でじっと身を潜める。
宮園先輩は鉄棒の前で軽く身体を動かしていた。
周囲に電灯は無い、今日は満月だが今は雲に隠れている。
今のところ誰も来る気配は無い……だとしたらここで一体何を?
そう思っていると宮園先輩は徐に着ていたTシャツを脱ぎ始めた。
「な、何をしてるの?」
上半身裸になった宮園先輩、今度は履いていたトレーニングパンツを脱ぎ、ランニングパンツだけの姿になった。
そして、そのまま持っていた拘束具のような物を自らの足に装着する。
「なんか……変な趣味が……」
暗い中じっと目を凝らして様子を伺う。
宮園先輩は大きく深呼吸すると鉄棒に飛び付き、くるりと半回転するとその着けていた拘束具のような物を鉄棒に引っ掛けると逆さに宙吊りの状態になった。
「な、なんなの?」
何をしてるのか全くわからない……そんな時、さっきまで雲っていた空が晴れ、月明かりにが辺りをてらし始めた。
それと同時に宮園先輩は宙吊りの状態で背中を丸め自分の足に抱き着く。
「ふ、ふ、ふ」
そう息をしながらそれを何度も繰り返す。
そこで私はようやく気付いた、
これは……トレーニングだと言うことに。
宙吊りの状態での腹筋運動……それがどれだけ負荷になるだろうか?
普通の腹筋でも大変な私に、その姿は未知のものでも見ているような光景だった。
宮園先輩は軽々と腹筋を繰り返す。
頭に血がのぼらないのだろうか?
そんな心配をよそに数十回繰り返すと、再びダランと逆さ宙吊り状態になる。
そしてそのままの状態で数十秒休むと今度は膝を曲げ身体を丸め、逆さ状態での屈伸運動を始めた。
だけど膝に問題を抱えている宮園先輩はさっきの腹筋運動とは違い苦悶の表情に変わる。
恐らく片足を庇っての屈伸なのだろう。
それでも続ける宮園先輩の身体から一気に汗が吹き出始める。
「きれい……」
その姿を見た私は思わずそう呟き、そしてポロポロと涙がこぼれ落ちた。
そう……そのあまりの神々しさに、美しさに涙が溢れ出たのだ。
月明かりに照らされキラキラと輝く鍛え抜かれたその身体は、美術の教科書に載っていたダビデ像のように美しい。
人間ってここまで鍛えられるんだ……そう思わされる程に宮園先輩の身体は美しかった。
一つ一つの筋肉が躍動する。
でもボディービルダーの人とは違うと一目でわかる。
テレビで見た世界チャンピオンのボクサーのように無駄な物が一切無い、そんな身体だった。
「これが3年走れなかった人?」
私はそう思った瞬間、今までの疑問が全て吹っ飛んで行く。
噂は噂でしかなかったと気付く。
そう……彼は、先輩は怪我をしている間もずっとこうして物凄いトレーニングしてきていたのだ。
いつか再び走れる事を信じて。
その身体を見ればわかる……女子と遊んでいる暇など無い事に。
「ご、めんなさい」
私はそう呟きポロポロと涙を流す。
月明かりに照らされた私のアイドルの姿に、そして隠れた努力に感動して……。
そしてこの時はっきりと気付いた。
私の彼への思いが同情でも、憧れでもない……。
この気持ちは、この思いは恋だと言うことに。
宮園翔先輩……宮園翔様……。
恋い焦がれ……その名の通り私の胸を焦がしていく。
その熱さが締め付けれれる程に痛く。
そう……わかっている。
この恋は絶対に報われない恋だと私はわかっている。
この涙は失恋の涙。
そして……この涙は悔し涙。
自分には才能が無いと諦め努力してこなかった悔し涙。
この人は、ううんここに来ている人は皆努力を惜しまなかった人達。
自分を信じ鍛え抜いて来た人達。
私は自分を信じて来なかった……それが悔しい……。
自分には才能が無いと諦め努力してこなかった事が悔しい。
そんな者が彼を好きだなんて……一瞬でも付き合えるかもなんて考えた事がおこがましい。
私は感動して失恋して悔しくて……彼を見つめたままボロボロと泣いていた。
でもそれでも、最後の意地で彼を見つめ続けた。
少しでも長くこの目に焼き付けるように……ずっとずっと……。
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