第238話 とんでもない世界
「つかさちゃん!」
夏合宿初日、午後の練習のメニュー2000×5本の4本目のゴールタイムを読み上げた直後、1年のつかさちゃんがフラフラとトラック内の芝生に入りそのまま倒れこんだ。
夏合宿初日、場所は新潟県。
天気は初日から快晴、気温も東京より低く合宿には最適な環境だ。
今回の合宿参加者は国体出場者及び長距離Aチーム、マネージャーの私と顧問のキサラ先生、そして何故だか宮園先輩の妹の天さんの合計13名。
その他は全員甲子園へ応援に駆り出されていた。
色々あったが、私は憧れの宮園先輩のお手伝いとして意気揚々と合宿に参加したが、肝心の宮園先輩に覇気はなく、初日からフラフラで集合場所の東京駅にやって来た。
「大丈夫ですか? どうしたんですか?」
フラフラしている先輩は倒れ混むように新幹線の座席に座る。
今回私はマネージャーなので、隣に座り先輩にそう尋ねた。
「え? ああ、らいじょうぶ、ちょっと寝てないだけだから」
「ね、寝てないって……」
「夏樹が寝かせてくれなくて」
「夏樹って、川本先輩?! 寝かせ? えええ?」
寝かせてくれないってどういう意味?!
先輩はそれだけ言うと、そのまま落ちるように寝てしまった。
一体どういう事……やっぱりこの人って……。
先輩の噂が頭を過る。
合宿初日から私の中でまたもや疑問と不安が渦巻いていた。
マネージャーの仕事を車内で詳しく聞こうと息巻いていた私の思惑はまんまと崩れ、先輩は現地に到着するまでずっと眠り続けていた。
駅に到着するとキサラ先生と天さんは荷物運び用にレンタカーを借りに行く、それ以外の人達はバスに乗りスキー場近くの宿舎に向かった。
ホテルに到着すると荷物だけ預け直ぐに着替え、更にふた手に分かれる。
短距離、跳躍組はキサラ先生と競技場に、私と宮園先輩と長距離チームはスキー場に向かった。
「午前中はクロカンで身体を慣らして午後から本格的に練習します」
許可を得て閉鎖されているスキー場を借り練習場所として使用する。
センターハウス周辺でウォーミングアップを終えた皆が私達の前に集合するとまだ少し眠そうな宮園先輩は皆の前でそう言った。
「「はい」」
先輩とは違いメンバー全員やる気に満ちた表情でそう返事をすると、わかっているかのようにスキー場を走り始めた。
その後ろを宮園先輩が少しだるそうに一緒に走り始める。
私はその姿を遠くから見つめながら水分補給の準備を始める。
今のところそれぐらいしかやる事がない。
薄めのスポーツドリンクをペットボトルに入れ準備をしつつ彼女達を眺める。
そしてこの合宿に選手として参加出来ない事に少しだけ残念な気持ちになる。
午前中はスキー場で走り込み、一度ホテルに帰り昼食を取る。
そして午後から地元の学生が利用している陸上競技場に赴いた。
宮園先輩は休憩中も殆んど寝ていてあまり会話が出来ない。
そんな状態で午後の練習が始まった。
ただ、自分も一応ずっと陸上をやっていた為、タイムを読み上げる、記録を付ける等、なんとかこなせるかもとそう思っていた矢先、先頭を走っていた同級生のつかさちゃんが芝生に倒れこんだ。
「え? だ、大丈夫」
全員が息を切らしてつかさちゃんの元に駆け寄った。
つかさはかろうじて息をしているが、私たちの呼び掛けに全く反応しない。
「とりあえず日陰に運んで」
宮園先輩は焦る事なくそう言った。
数人でつかさちゃんの身体を持ち上げゆっくりと倉庫に運ぶ
そしてコンクリートの上にゆっくりと寝かせると、宮園翔はつかさの腕を軽く掴んだ。
「きゅ、救急車!」
いまだに動かないつかさちゃん、私は慌ててスマホを取りに行こうとした。
「待って、それより紙袋持ってきて」
「は?」
「いいから早く」
宮園先輩は私に向かってそう言う。
「紙袋って……」
そう思うも今は言うことを聞くしかないと荷物の中にあった薬の入っていた袋を持って行く。
彼はそれを受けとると、そのままつかさの口に袋の入り口を当てた。
「な! 何を?!」
「黙ってて……本当は最近やっちゃいけないって言われてるけど……」
私の言葉を無視し彼はそう言うとつかさの口元に紙袋軽く当て続ける。
「だって、全然動かないじゃないですか?! そんな事してる場合じゃ! 早く救急車……」
そう言った瞬間つかさちゃんの目がパッと開いた。
「よし、慌てずにゆっくりと、ゆっくりと息をして」
宮園先輩は袋を外すと、つかさちゃんにそう言う。
「……じゃあ、後はよろしく、皆ラスト行くわよ」
その姿を見た長距離部門リーダーは宮園先輩と同様、動じることなくそう言うと他の人達を連れてトラックに戻っていく。
「えええ?!」
焦っていたのは私だけ、皆いつもの光景のように落ち着いている……。
「す、すみま、せん……大丈夫ですから、私もラスト行きます」
気が付いたつかさちゃんは無理やり起き上がろうとしながらそう言うも、宮園先輩が彼女の両肩を掴み再びその場に寝かせる。
「駄目、今日はここまで」
「いやです! まだ練習は終わってない」
「駄目だ、とりあえず念のため病院に行こう」
「行きません! こんなのただの過呼吸ですから!」
「駄目、軽い熱中症も起こしてる、只野さんとりあえず先生来るまで氷用意してくれる」
「あ、はい」
宮園先輩にそう言われ私はクーラーボックスから氷を何個か袋に詰め持っていくと、それを受け取った宮園先輩はそのまま彼女の股間に突っ込む。
「え?!」
今……宮園先輩の手が、その……でも、それを恥ずかしくもなく受け入れるつかさちゃんに私は呆然としていると「もう二つ!」と少し怒ったような口調で宮園先輩が私に言った。
私は慌てて持っていた残り二つの氷袋を渡すと、今度はそれをつかさちゃんの胸の横に押し込んだ。
今度は間違いなく宮園先輩の手が一瞬つかさちゃんの胸に触れていたが、またもやそれを普通に受け止めるつかさちゃんに私はもうわけがわからなくなっていた。
「大丈夫?」
暫くするとどこに行っていたのか? 顧問のキサラ先生が天さんと一緒にひょっこりと顔を出した。
「ああ、軽い熱中症と過換気症候群だと思いますが、失神しちゃったので念のため病院に連れてって貰えますか?」
「そ、了解、車出すわね」
キサラ先生も対して驚かず荷物を運び用に借りていた車の鍵をチャラチャラと回しながら倉庫から出ていった。
「すみ……ません」
つかさちゃんは涙を堪えるようにそう言って謝る。
そしてそのまま天さんに抱えられるようにフラフラと駐車場に向かって歩いて行った。
その光景に私はとんでもない異世界に迷い込んでしまった転生者のようなさ錯覚に陥っていた。
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