第237話 距離を置こうの意味とは?
頭の中がごちゃごちゃになりすぎて整理がつかない。
陸上部の事、野球部の事、円の事、只野さんの事、会長の事、天の事、勉強の事。
いくつもの事が重なり過ぎて、かえって冷静になっていく。
一度に全部なんて今の俺には到底無理だ。
今は陸上の事に絞るしかない。
後は人任せ、流れに任せるしかない。
とはいえ、今まで円に任せっきりだった。
今円は居ない、今だけ居ない。
だから……暫くの間は、円抜きでなんとかしなくてはならない。
夏休みはまだ長いがこの先合宿も含めてやらなきゃいけない事が山積している。
「一番やべえのは……勉強か」
そう、陸上はなんとかなる、小学生の頃から積み上げて来た物が違う。
3年のブランクもこの1年でかなり取り返した。
膝の調子はかなり良い、少しずつ全力で走れる距離も延びている。
それにしても人間の身体はよくよく出来ているってつくづく思う。
元には戻らないと言われても、一度記憶した事にどんどん近付いてくれる。
野球の投手が肘の怪我で1年以上投げられなくても、それが完全に元に戻らなくても、手術をし、リハビリを経て元の状態に近い球速が出るようになったりするのと同じだ。
俺の足もそれと同じ原理。
そしてそうなって来れば、今までのように学校にしがみついている必要は無い。
陸上で……
「いや、まだまだだけど……」
そんな考えが浮かんで来た事に俺は少し甘いなと首を振った。
人間楽な方に逃げたくなる。
「集中しなければ……集中、集中」
俺は不器用な人間だ。
あれもこれもなんて事が出来ない。
足が速いというのはスポーツの世界では武器となる。
故に今までも色々と誘われた。
野球、サッカー、バスケット、ラグビー、他のスポーツをする事はプラスになると気楽に参加したりもしたが、何一つ上手く行く事は無かった。
走り幅跳びでさえ不器用な俺には多すぎる作業。
勉強に恋愛に部活にまでリソースを割く余裕なんて俺にない。
「忘れよう……今は」
家の前に着くと俺は首を振り気持ちを入れ替え扉を開けた。
「お兄ちゃんお帰りいいいいい」
「え? あ、うん」
玄関にはにっこにっこの妹が俺に向かって満面の笑みで微笑んでいた。
思わず日本語がおかしく成る程に上機嫌な妹、最近喧嘩ばかりだったのでこんな笑顔を見るのは久しぶりだった。
昨日も遅くまで言い争いをしていたのに……。
「えへへへへへへ」
妹は溜まっていた何かが吐き出されたような、そんな爽快感を漂わせつつ、モジモジしながら俺を迎える。
「ど、どした?」
「え~~~だってえ、お兄ちゃんようやく目が覚めたから」
「目が?」
一体何の事を言ってるんだ? 目が覚めたどころか妹のせいで昨日は殆んど寝ていない。
妹はそんな俺に構わず俺のバッグを掴むと、クルクルと舞うように廊下を歩いて行く。
「いや、ちょっと待て」
俺は慌てて靴を脱ぎ捨て変な妹を追いかけて行く。
妹はにっこにっこでリビングに入って行く。
そして俺も追うように妹に続きリビングに入るとそこには……。
「……夏樹?」
親よりも良く見ていた幼なじみ、しかし俺は一瞬誰だかわからなかった。
そこには夏樹が制服姿で眼鏡を掛けて立っていた。
「お帰り」
夏樹はいつもとは違う落ち着いた様子でそう言うと、中指で眼鏡をくいっと持ち上げる。
いやいや貴女小学生の時から視力2.0でしょ?
妹といい夏樹といい、今日は何かが変だ。
「お兄ちゃん、あのね、なっちゃんが今日からお兄ちゃんの家庭教師やるんだって!」
「は?」
話が見えない、一体何がどうなってる?
「あとあと聞いた、お兄ちゃん、円と別れたんだって?」
「は?」
いやいや何でそうなる?
「そうなの?」
その妹の言葉に驚きの声をあげる夏樹。
「ち、違う違う、距離を置こうって言われただけで」
「……あ、あーーそっか……」
俺がそう言うと、夏樹が納得したような、哀れんだようなそんな表情に変わった。
「え?」
え? ちょっと、どういう事? 何でそんな、あーーあーーそっかそっかだからかあーーみたいな顔になるんだ?
長い付き合い、夏樹の表情で俺は何を考えているか手に取るようにわかってしまう。
そして夏樹は俺が怪我をしている時、一生懸命表情を変えない努力をしていた。
でもそれが何を悟られないようにしているのか俺は逆にわかってしまう。
それだけに、俺にとっても本人にとっても辛くなってしまったのだ。
「お兄ちゃん……あのね、彼女が距離を置こうって言うのは、別れようってのの遠回しのいいわけなんだよ?」
妹が一見悲しい表情を見せるも目は完全に笑っていた。
「そ、そうなの?!」
俺は妹と夏樹を交互に見るも二人は同時にウンウンと頷いた。
「そ、そんな……」
「あ、ああ、まあ一般的には、一般の話だから」
俺の落ち込む姿に夏樹が悲しいフォローをする。
「でもなっちゃん、距離を置こうって言って、よりをもどしたって話なんて今まで聞いた事無いけど」
「こ、こら、死体蹴りしない!」
いや夏樹のその言葉が完全に死体蹴りだよ。
「う、ぐぐぐ、で、でも、あの円だよ? あの円が一般人の枠に収まるとは思えない」
俺は精一杯の反論を試みた。
「そ、そう、そうそうよ、まだ希望はあるから」
しかしそんな俺の反論を夏樹は肯定するもその目は表情は、完全に否定していた。
……って言うか、もう耐えられない……。
「……と、ところで家庭教師ってどういう事だ?」
俺は散々脱線した話を元に戻す。
「ああ、えっとね、じ、実は円さんに頼まれて」
「……は?」
「円さんに頼まれて、その、かーくんの勉強を見てあげてって」
「……は? いやいや、いつ?」
「さっき?」
「さっきって……? ええ? い、いつまで?!」
「さ、さあ?」
夏樹は首を傾げる。
いや、首を傾げたくなるのはこっちだ!
俺はここで円が数日で戻ってくる事気が無い事を知る。
「とりあえず! 今まで色々遠慮してたけど、かーくんの足も治った事だし、ビシビシと面倒見るからね!」
夏樹は俺の腕をがっしりと掴むとそのまま引きずるように俺の部屋に向かう。
「いや、ちょっと、夏樹! もっと円の話を詳しく!」
「ハイハイ、元気だそうね」
「いやそうじゃなく、天! ウンウンって頷いてる場合じゃ、ちょっと待てええええ!」
一体この二人の話は本当なのか?
円は俺と別れる気なのか?
俺の頭の中でそんな不安が渦巻いていた。
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