第235話 陸上部長距離部員の物語
「ラスト一本!」
「「はい!」」
日が傾き、夕方近くになっても強い日差しが届く中、1000m×7本、ラストの掛け声。
設定タイムは3分15秒……だけど……。
「ラストは全力で行くよ!!」
「「は、はい!」」
そう言うと私は手を叩きスタートする。
最後の力を振り絞り先頭をひた走り皆を引っ張る。
負けてられない……その思いだけでここまで走り続けている。
汗汗汗汗汗汗汗汗
よだれよだれよだれよだれ
鼻水鼻水鼻水鼻水
身体から出るあらゆる体液にまみれ、ひたすら走る。
私達長距離部員はそれらにまみれながらトラックを、ロードを走り続ける。
女子高生といったら、一種のブランドのようなもの。
皆でカラオケ行ったり、プリクラ撮ったり、ファミレスでダベったり、そして遊園地に行ったりする。
ネズミと戯れ、絶叫マシーンで大はしゃぎしたり、今なら海に行ってカッコいい人にナンパされて、一夜の過ち……etc。
それなのに、ああそれなのに……何で私はその貴重な、貴重なこの時間に、汗にまみれて走っているのか?
お金なんて一円も貰えない、その時間バイトにつぎ込めば、今頃海外旅行にだって行けたかも知れない。
お化粧品も一杯買って、トレーニングウエアではなく可愛いワンピに可愛い靴、何でも買えて女子高生らしくお洒落で可愛い生活が出来たのに。
何で私は……何で私は!
走っているのか?!
一番にゴールすると一度膝に手を当て呼吸を整える。
私の後にゴールした部員がフラフラと芝生に入りへたり込んだ。
辛い辛い辛い辛い、とにかく辛い練習。
長距離の『練習』に楽しい事なんて一秒も無い。
息は切れ、心臓は破裂しそうになる。
全身に乳酸が溜まり披露困憊……。
でも長距離はそこから練習と言っても良い、そんな状態でさらにもう一本、さらに全力で。
毎日毎日限界迄、いや限界さえもを越えていく。
ある者は泣き、ある者は倒れ、過呼吸で失神する者もいる。
そんな過酷な練習、それが今の私達のメニューだ。
そして……その練習メニューを作っているのが……あの宮園 翔だ。
子供の頃から陸上をやっている者で、宮園 翔を知らないのはもぐりだって位の有名人。
今でも燦々と輝く彼の小学生日本記録は今後破られる事は無いだろうっていわれている。
そんな有名人が、スターが私達の練習メニューを作っているのだ。
でも……でもでも、最初は全くこなせなかった。
鬼のようなそのメニューに私達は驚愕した。
去年の夏合宿の終わりから始まった彼の練習メニュー、そのあまりにも冷酷で酷い内容に私はメッセージで連日抗議した。
しかし彼はまるでひろ○きのように私の抗議をことごとく論破した。
それどころか、練習後の生活までも彼は指摘する。
食事や睡眠、休日の過ごし方に至るまで。
例えばこんなやり取りがあった。
『そんな時間はありません!』
彼の非情な練習メニューに、日々の生活にまで影響を及ぼメニューに私はメッセージでそう言って反論する。
『こないだ会った時、君は化粧をしてたよね? あと、髪もセットしてたよね? そういえばネイルも入ってたし、そんな事する時間はあるって事でしょ? そしてそれって陸上には全く意味無い事ですよね?』
『化粧は少しだけだし、髪もボサボサなわけにはいかないです!』
『ふーーん、じゃあ切れば?』
『そんなの酷すぎます!』
『だってさ、そんな無駄な事に時間を作れるら1キロでも多く走らないと、長距離は距離を走って走ってなんぼだよ、てかさあ、このメッセージ送れる余裕があるって事はまだまだ行けるって事だよね? それなら来週のメニューをもう少し増やそうか』
その答えに私はそれ以上何も言えなかった。
こんな感じで私のううん、私達全員の抗議を論破してくる。
ただ……彼はメニュー送って来るだけでは無い。
怪我をしないように、毎日の状況を聞いてくれる。
その度に個人のメニューを微調整してくれる。
彼だって練習しているのに、勉強している筈なのに、どこにそんな時間があるのだろうか?
そうなると、もう走るしかない、メニューをこなすしかない。
「はい立って! クールダウン2000m行くよ!」
「は……い」
息も絶え絶えの部員達が恨めしそうに立ち上がる。
私だって倒れたい。
そう思うも思うだけ、そんなわけにはいかない。
リーダーとして皆を引っ張らなければと、震える足をパンパンと叩き、芝生を走り始める。
何でここまで走るのか? どうして辛い思いをしてまで走り続けるのか?
それは……勝ちたいから、自分の限界に挑戦したいから、そして信じているから。
短距離チームで何か揉めているけど、色んな噂が飛び交っているけど、でも私達はわかっている。
彼にそんな時間はない事を彼の一番は白浜円ではなく陸上だって事を……私達は知っている。
「せ、先輩……辛い……です」
中等部の部長で、エースだった元つかさが、涙目で私にそう訴えてくる。
「……頑張るしかないよ」
彼女のおかげで彼女を含めた中等部女子長距離陣の入部のおかげで、高等部長距離チームのレベルが上がった。
そして1年には負けたく無いと2年生の子達も真剣に練習を始めたのだ。
「はい……」
つかさは辛さをこらえ振り絞るようにそう返事をした。
私も限界だった、でもそんな素振りも見せず、先頭をゆっくりと走り呼吸を整える。
それにしても……何でここまでするのか?
それは皆、知ってるのだ……宮園 翔の凄さを……。
私達は見てしまったのだ……彼の起こした奇跡を。
あの足で……あの怪我で……高校新記録を出した所を……見てしまった。
つい1年前、100m走るのに何度も転んでいた彼が、そんな彼が、そんな状態だった彼が走り幅跳びに転向した直後に空中を舞った。
飛ぶように、翔ぶように。
誰もが唖然とした、誰もが驚愕した。
そして半信半疑だった思いが、確信に変わった。
彼は言った……勝てるって、全国に行けるって……1年前私に向かってそう言った。
個人個人はまだまだだけど、このメンバー全員の記録が上がれば可能性はあるって、彼はそう言ったのだ。
全国女子高校駅伝……長距離選手の夢の、長距離部員の憧れの都大路が狙えるって、彼は確かにそう言った。
そして今が、この夏が正念場だとも。
遊んでいる暇は無い。
疑っている暇も無い。
例え学校のグラウンドが使えなくても、練習は休めない。
長距離に場所は関係ない。
道路でも公園でもどこでも練習は出来る。
皆フラフラだけど、恐らく皆、家に帰ってこっそり個人練習をする。
彼は言った。
とにかく距離を稼ぐ、長距離は練習するだけタイムが伸びる。
一番練習した者が勝利するって……そう言った。
だから私達は走る。
女子高生を、ううん、女子を捨てて走る。
長い髪も切り……全てを掛けて走り続ける。
今が正念場、そして来週からの夏合宿が本当の正念場になる。
こんなぐらいでへこたれている場合じゃない、もうすぐ合宿が、地獄の合宿が待っているのだから。
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