第234話 神戸の空
「まるちゃんお疲れえ、ちょっと休憩しようか?」
カメラマンにそう言われ私はマネージャーの元へ行き飲み物を受けとる。
「お疲れ様~~」
私の元マネージャーの藤堂さん、私が一時的に復帰したので、また付いてもらっている。
ちなみに三十路で独身で……彼氏募集……。
「まるちゃーーん、今、何を考えてたのかなあ」
「あ、ありがとう~~あっついねえ~~」
そう、この人は超能力と言ってもいいくらい、私の考えを読み取る。
私が辞める事もずいぶん前からわかっていた。
それをママにも事務所にも言わずにいてくれた。
私の数少ない味方で友人の一人だ。
「暑いなんてもんじゃ無いけど、よく平気ね、相変わらず汗もかかないし」
「シルエット崩れるから汗は止められるし、そもそも暑さは日頃から鍛えてるし、ここはまだ涼しいから」
私は冬物のコート着ながらマネージャーが用意したドリンクをストローで啜った。
私の後ろにはポートタワーが聳え立つ。
私は今神戸で雑誌の撮影をしていた。
「それにしてもどういった風の引き回し」
「それを言うなら吹き回しでしょ?」
真顔で指摘して、私はマネージャーから視線を反らし神戸の青い空を見上げる。
「くっ……相変わらずね、それで?」
「うーーん、まあ、一応アルバイト禁止だからねえうちの学校、でも甲子園出場で私に仕事を依頼してきたって事は、学校側から事実上仕事の許可が出たわけじゃない? だからとりあえず夏休みの間だけでも仕事しようかなって感じ?」
真っ青な空を見上げ私は誤魔化すようにそう言う。
「……そんなの貴女ならどうとでもなるでしょ?!」
「まあ……そうなんだろうけどねえ」
私は額に手をかざし燦々と照りつける太陽を薄目で見つめる。
今頃彼は何をしているのだろうか? 走ってるかな? それともまだ只野さんと揉めてるのかな?
この青い空は彼と繋がっている。
私の心も彼と繋がっている。
「わかってくれて……ないよなあ……」
多分……私の行動を彼はわかってくれていないだろう。
会長さんはわかってるみたいだったけど……。
ただ、あの人も彼が好きだから、彼に言ってはくれない。
むしろ好都合だと思っている。
チャンスだって……そう思っている筈。
彼女の考えをそう予想し、私はくすりと笑う。
あの人は、大変だよって会長や只野さん……彼を慕う女子達に言ってあげたい。
付きって、ううん最初からわかっていた。
彼は陸上にしか興味が無い。
走る事にしか興味が無い。
恋愛に興味が無い。
悪く言えば普通の人の心が無い。
あの人に憧れるのはいいけど、あの人を恋人にするのはおすすめしない。
私が距離を置こうって言って、自分の彼女からそう言われて、しかもライバルである人の応援をするって言われて、さすがの彼も一瞬ショックを受けていた。
でも……今は多分煩わしくなくなったって思っている。
これで陸上に集中出来るって……多分そう思っている。
彼には陸上しかないのだ。
それでも私と付き合ってくれたのは、彼が優しいから。
私に同情しているから……。
そして自分から陸上を取り上げた私に対する復讐。
誰よりも彼を好きでいる私に……全てを捧げ尽くせという彼のエゴ。
勿論それに気付いているのは私だけ……。
だから現状私以外に彼と付き合える人はいない。
「まあ……ただねえ……」
だから別に心配はしていない。
私が離れた事で、一時的な迷いはあるかもだけど。
寧ろ浮気心が出てくれた方が彼の人間性が増す、でもそんな事をすれば、結局只野さんのような事になるんだろうけど。
あの人を除いて。
私の性分なのか……中途半端で投げ出すのは大嫌いというか……。
芸能界を辞めるのも、すべての契約と仕事を終えてからだった。
それが無ければもう少し早く彼の元に行けたのだけど。
そんな私が彼と距離を置こうといった。
陸上に関しては問題ない、むしろ私がいない方がいい。
「ただ……」
相変わらず勉強はまだまだなのだ。
ようやく赤点を免れる程度で進級はギリギリのライン。
そんな状況で私が彼から離れるのは、無責任と言われても仕方ない。
だから私は今回ある人に頭を下げた。
彼の勉強を見てほしいと、頭を下げた。
そう……ラスボスに私は頭を下げた。
彼の事を何もかもわかっている人。
彼の目標でもある人物。
近付きすぎず遠すぎず、彼を周囲を俯瞰で見続ける女神のような人。
私はその人に頭を下げた。
私以上に全てを見通している彼女は、私のそのお願いを簡単に受けてくれた。
ただし……。
『そっかあ、じゃあそろそろ本気出しちゃおうかな』
彼女はそう言ってニヤリと笑った。
それが勉強の事なのか、陸上の事なのか……それとも……。
私は聞かなかった。
わかっているから。
もし、彼が彼女を選んだとしても、それは仕方がない事。
なんて簡単に割りきれる筈もなく、でも今の選択肢はこれしかない。
彼が幸せになる為の選択肢は……これしかない。
「あとはまあ、あのブラコンの妹だけど……まあ、あっちはいいか」
私の償いとして、彼女にも幸せになって貰わなければ……まあ、それは私じゃなくてキサラの仕事だから。
「ふふふ」
私は空を見上げたまま、ほくそ笑んだ。
「へえええええ」
そんな私を見たマネージャーはそう言って驚きの声をあげた。
「……な、なによ?」
「円って、普通に笑うようになったのねえ」
藤堂さんは感心するようにそう言う。
「なに言ってるの? いつも笑って……」
そう言うもマネージャーがどういう意味で言ったのか理解した私は、ニヤリといつもの作り笑いを浮かべて言った。
「まあ、わ、た、し、大人になったからねえ~~藤堂さんと違って~~」
胸に手を置きどやる私を見たマネージャーの眉間に皺が寄る。
「えーーーーどうせこの年になって彼氏なんて出来た事ありませんもの! まさか円に先を越されるとか! きいいいいいいいい!」
いつも冷静な彼女の弱点をつき文字通り地団駄を踏ませる。
「えっと、まるちゃんそろそろいいかな?」
「はーーーい」
発狂するマネージャーに持っていたペットボトルを渡し、カメラの前に笑顔で立つ。
明日は開会式……うちの学校の出場は明後日、出来るだけ多く勝って彼を焚き付けて欲しい。
それが彼の力になる。
その為に私はここに来たのだから。
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