第233話 意外と死ねないもんだよ


俺達は特に何も会話をせずに閑静な住宅街迄歩いてくる。


そしてよくある建て売り住宅の家の前で立ち止まった。


表札には只野という文字。


会長は表札を確認すると、少しの間を開けインターホンを鳴らす。


「……出ない……かな」


「親御さんは?」

 

「共働きって言ってたけど」

 俺にそう言うと再びインターホンを鳴らす。


「…………はい」

 3回目にインターホンから声が聞こえる。

 只野さんの声。

 俺と会長は顔を合わせとりあえず無事だとお互いホッとした顔をする。


 カメラはついていないタイプのインターホン。

 それに向かって会長が自分の名前を名乗った。


「あ、袴田です」


「え? あ、えっと……勝手に休んで……すみません」

 

「いいのよ、こっちこそ突然ごめんなさい、連絡がつかなかったから心配で、ちょっと話せないかな?」


「……えっと」


「ちょっとだけ、ね?」


「わかりました……」

 そう言うとインターホンから音が消える。


「ここまで連れてきて申し訳無いけど、ちょっと待ってて貰えるかな?」

 会長は俺を見てすまなさそうにそう言った。


「ですね」

 いきなり俺と会長があがりこむのもどうかと思う。


「まずは私が話しててみるわ、大丈夫そうなら呼ぶわね」


「わかりました」

 そう言うと俺はその場から少し離れ、隣の家の日陰に入った。

 少し古い木造アパートの壁に蝉が留まっている。

 そのジージーと鳴くアブラゼミの声が暑さを倍増させる。


 そのまま待つこと20分弱、首筋迄伝わる額の汗をカバンから取り出したタオルで拭ったその時、さっきまで煩く鳴いていた蝉の声が突如止んだ。

 その刹那、大きな叫び声が聞こえる。


「止めなさい!」

 会長の声が只野さんの家の二階から聞こえた。

 俺はカバンにタオルを突っ込み、只野さんの家迄走った。


 玄関の扉の鍵は掛かっていない。

 緊急事態だと俺は慌てて靴を脱ぎ、2階に駆け上がる。


「落ち着いて、大丈夫、大丈夫だから!」


「いや! 来ないで! もう、もういやあ!」

 2階に駆け上がると開いている扉からそんな声が聞こえてくる。

 

 俺は躊躇うことなくその部屋に入った。


「せ、せんぱい! な、何でここに!」

 只野さんは窓に背中を向け、鉄製の布切りバサミを持ち、会長に向けていた。


「か、翔君」


「……どういう状況?」

 俺はその場で立ち止まり只野さんから視線を逸らさず焦る会長にそう聞く。


「誤解だったって、だから何も心配しないで部活に来てって言ったら……それだけ言ったら」


「そういう……感じか」

 俺は会長にそう言うと只野さんに頭を下げる。


「ごめんよ、俺が言葉足りずで」


「そ、そうよ! 先輩が先輩が全部悪い! 私は、私は悪くない!」

 ぶるぶると震える只野さん、こういった場合こっちが冷静にならないと、どんどんエスカレートしてしまう。


「た、只野さん! 大丈夫、大丈夫だから! 誰も貴女が悪いなんて言ってないから?! だからまずそれを下ろしなさい!」

 ……なんて思ってる側から興奮状態の会長が只野さんに激しい口調でそう言ってしまう。


「は、恥ずかしい……そうよ、私なんかが……先輩となんて……」

 ボロボロと涙を流し始める只野さんはこっちに向けていたハサミを自分の首に向けた。


「ま、待って! だ、駄目!」

 その只野さんの姿にますます興奮状態になる会長。

 これ以上煽るのは危険だと俺は判断し、顔は只野さんから逸らさず目線だけ会長に向け言った。


「会長……ちょっと二人きりにして貰っていいっすか?」


「な、何を言って……そんな事!」

 勿論そう言うも、俺の真剣な顔を見た会長は何かを察したのか? 落ち着きを取り戻し俺を見て小さく頷くとゆっくり扉の方に向かい後退りを始めた。


 日頃は沈着冷静な会長もこういった場合はやはり慌てるんだなと、そしてそれが大事な所でミスをして勝てない要因なのかなと、こんな状況なのに俺はそう分析してしまい思わず笑みを漏らしてしまう。


「な、何がおかしいの! わ、私本気だから!!」

俺の顔を見た只野さんは真っ赤な顔で益々ヒートアップし自分の首にハサミの先を押し付けた。


「あーー、まあ、とりあえず聞かせてくれる? 理由をさ」


 俺は会長がゆっくりと部屋から出て扉を閉めたのを確認して再び只野さんに向き合い笑ったままそう言う。

 

 そして俺はこれ以上近づかないからと、その場に腰を下ろし、あぐらをかいて彼女を見上げた。


「死にたい、恥ずかしい……私なんかが先輩と付き合える筈無いのに……舞い上がって、皆に心配されて、噂になって……でもそれでも嬉しくて……」


「そっか……」


「恥ずかしい……陸上部の皆の前で泣いて、迷惑をかけて、先輩にも、部長にも」


「だから死ぬの? でもさあ、そこを刺しても死ねないよ、そこじゃ気道に穴があくだけだから、それだと俺が応急処置出来ちゃう」


「え……」

 彼女のぶるぶると震える身体に、その表情に俺は思いだし笑いをしてしまう。


「だ、たから何が可笑しいんですか! 私は本気ですから!」

 グッと歯を食い縛りハサミの先が彼女の肌を凹まして行く。


「いや、ごめん、そんな感じだったのかなって」

 クスクスと笑いながら俺は彼女に向かってそう言う。


「そんな感じだったって……何を言ってるんですか?!」

 首にハサミの先を当てたまま彼女は眉間に皺を寄せて俺にそう訪ねる。


 

「俺がさ」


「え?」


「俺が、だよ」


「それってどういう」

 俺は彼女に向き合い嘲笑しながらそう言った。


「去年さ誰かさんにそそのかされて、俺も死のうとしたんだよ、こうして薬を飲もうとしてさ」

 俺は手でビンを掴んで何かを飲む振りをする。


「ええ?!」


「そうやってブルブルと震えてさ、泣き泣き何度も口を付けては躊躇って、でも結局駄目でさ」


「……」


「そいつに人は簡単には死ねないって言われてさ、今考えても寒気がするほど情けなかったな~~」


「そ、そんな……先輩が」


「そうなんだよ、その通り人ってなかなか死ねないもんだよ……でも、少しでもそれが君の首に刺されば、君に傷がつけば、俺と会長は間違いなく死ぬよなあ、勿論後追いとかではなく、社会的にね」


「……」


「俺の人生も終わり、会長も終わり、二人で学校も辞めて、そして……もう二度と走れなくなる……まあ、そんなの君につけた傷に比べれば些細な事だけどね」


俺がそう言うと彼女の震えがピタリと止んだ。


そして


「…………いや! 駄目! そんなの……絶対に……駄目」

 彼女はそう言うとその場でポロリとハサミを足元に落とした。

 そしてそのままうずくまり、わんわんと泣き崩れる。


「……ありがとう……俺のファンでいてくれて、俺の走りを好きでいてくれて……」

 俺はゆっくりと彼女に近付くと、泣き崩れる彼女の背中に手を当てそう言った。


 

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