第230話 そう言えば昨晩は殆んど寝てなかった


「はい! みなさーーん、お久しぶりですの白浜円です」

 マイクを持った円は笑顔でカメラに手を振る。

 その円の表情を見て俺の中から複雑な感情が沸き上がる。


 そう……見ていた……俺はこの円の姿を、表情をずっと見ていた。


 俺はあれが円だって、ずっとそう思ってきた。


 明るく優しく気品に溢れ美しく気高く笑顔が絶えない。


 早朝の番組でずっとそんな円を見ていた。

 辛い事もくるしい事も、そこでリセット出来た。


 別世界の住人だったから、俺の怪我の原因だって事も忘れ……。


 しかし……円はその別世界から俺の前に突如現れる。


 その円はテレビとは全く違っていた。


 いや、同じだ、彼女は俺の前でいつも笑顔を見せていた。

 でも……今思えばそれは無理に笑っていたとわかる。


 この笑顔と同じだ。


 円の性格は暗く、クラスでは誰とも打ち解ける事はない。

 部屋で俺の子供の頃の写真を眺めるのが趣味……。


 そう……円は自分の心の奥底は明かさない、今でも……決して……俺にも。


 テレビの中と一緒だ……円は何重も仮面を被っている。



「似合いますか? 私の学校、城ヶ崎のの制服です~~」

 円はマイクを持ちながらバレリーナのように頭がぶれる事はなくくるりと回る。

 そして計算されたかのようにスカートがヒラリと舞い上がり円は慌ててスカートを押さえペロリと舌をだす。

 「えっと、今、私は皆との約束通り勉強を頑張ってます! 一応成績は良いんですよ」

 そう言うとマイクを持った拳を握り、腕を曲げ力こぶを見せつける。


 もしもこれが円じゃなかったらあざといとネットが荒れるであろうが、可愛さと美しさ、そして生まれもった気品という最強の武器を持つ彼女からはそんな気配は全く感じ取れない。


「そして~~今回私が臨時で復帰したのにはわけがあります! そう! なんとわが母校城ヶ崎学園がーーー今回甲子園に出場する事になりました~~」

 円は満面の笑みでマイクを持ったまま拍手した。


 そして拍手を手拍子に変えると「くーーもは、わーき」と自慢の美声、正確な音程で『栄冠は君に輝く』を歌う。


 円が歌い始め暫くすると、カメラマンの人は円から空に浮かぶ雲にレンズを向けた。


 そしてその直後「はいオッケー」と、いかにも業界風な格好のディレクターと思わしき人がそう声を上げる。


 その掛け声を聞いた円は満面の笑みから真顔に戻し歌うのを止めた。


「はい~~まるちゃんオッケー、さすが! いいね、完璧! じゃあ次は野球部のグランドにいきましょーー」

 ディレクターと思える人が指をパチパチと鳴らしながら軽い口調でそう言うと、円の周りにカメラの後ろで待機していた人達がわらわらと人が集まる。


 日傘を持った人が円の隣に立ち、メイクさんと思われる人が円の顔の汗を拭う。

 さらにマイクの位置を直す人、そしていつの間に用意したのか? 台本のような紙を見ながらディレクターと次のカットの打ち合わせを始める。


 テレビの向こうの世界が間近に……とても近寄れる雰囲気では無かった。

 華やかだったから……プロの仕事だったから……。


 円が遠くに感じ始める。


「──れ、練習しなきゃ」

 俺はもう興味無いとばかりに円達から目線を外し、フラフラとグラウンドの中を走り始める。

 他の部員はまだ誰も来ていない。


 走っているのは俺だけ、しかしマスコミは一杯いるのに、誰も俺には注目していない。


 テントにいたマスコミの人達は、円のテレビクルーを追うように俺を気にする事なく、ぞろぞろと競技場を後にする。

 

 さっきまでいた学校のお偉方も円達と一緒に出ていった。



「ようやく落ち着ける」……と、俺は負け惜しみを口にしながら軽くランニングをした後、ストレッチを始める。


 いつも練習前には動的ストレッチを行うのだが、俺は芝生の寝転がり膝を抱えて静的ストレッチを始めた。


 何故だか無性に空が見たかったから。


 宮古島の海のような青い空……大きな雲がゆっくりと動いていく。

 天国はここには無い……天使もろとも消え失せてしまった。


 喪失感と空虚を噛みしめながら、俺は円の真意を考えてみようと試みる……。


 一体何故……。


 身体を横にし、足を大きく開く。


 そしてそのまま目を瞑った。


『はい! ここは野球部のグラウンドです! 野球部の皆はまだですが、実は昨日のヒーロー、投打に活躍したツーウェイプレイヤー、二刀流橋元勇君がランニングしてますよ! おーーい』

 円はテレビの時とは違う、俺に対してだけ見せていた笑顔で橋元に向かって手を振った。


「や、止めろ!」

 俺は遂に我慢出来なくなり、思わず円向かってそう叫んだ。


「えーー? そんなに嫌?」


「……え?」

 俺のその声に、円とは違う返事が頭上から聞こえてくる。


 目を開けるとそこには会長が、どうやら俺はストレッチをしながらいつの間にか寝てしまっていたようだった。

 しかも会長の太ももを枕にして。


「う、うおっ!」

 俺は慌てて飛び起きる。

 そんな俺を見て会長は少し呆れた顔になった。


「グラウンドで寝るとか呆れる。しかもこの暑い中、何? 随分のんびりした自殺?」


「い、いや、す、すまん」

 俺は慌てて起き上がろうとするが、会長は俺の額を押さえ起き上がるのを阻止する。


「ふふふ、円さんに振られたから当て付け?」


「は? ふ、振られてねえし!」

 何度か起き上がろうとするも、その度に額を押さえられ起き上がれない。

 俺は仕方なくそのままの態勢で反論する。


「えーーそっかあ、残念~~」

 会長は全く残念そうに見えない笑顔を俺に向けた。


「……そう言えば、会長成績は?」

 俺は半分誤魔化すように気になっていた会長の成績を聞く。

 

「ん? 知らないの? ネットで見てよ……んふふ、決勝進出した」

 会長は一度膨れっ面になるも直ぐに微笑みながら俺に向かってピースする。


「おお!」


「そして……最下位……」

 二本の指が折れ曲がり、指と一緒にうなだれる。


「そ、そっか……」


「直した筈なのに、スタートでまた躓いた……悔しい……決勝で舞い上がってた。でも次は……次は貴方がいる……だから」

 会長はそう言いキラキラとした目で俺を見つめる


「……うん、そうだな」

 俺は会長を見つめゆっくりと頷いた。

 そう、次は俺の……俺の番だ……俺の走り幅跳びの全国デビュー戦だ。


 負けない……あいつにだけは、絶対に……。

 


 


 

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