第211話 宮古合宿1日目その4(この世の者とは思えない姿)


 円と二人、ジュースで乾杯をする。

 たいまつに照らされ、まるで円の瞳が燃えているように見える。


 うるうるとした可愛らしい瞳に見つめられ、俺の頭から湯気が出そうなくらいにこのシチュエーションに興奮する。

 酒も飲んでいないのに酔ったように頭がくらくらする。

 だって、あの円と、白浜円と二人きりで……まあ、こんなシチュエーションいままで何度もあったけど……。

 やはり恋人になったといういのは俺の中で劇的な変化を遂げている。

 この女の子が……この可愛い女の子が……俺の恋人。


 円はどう思っているだろうか? そんな事聞ける筈もなく俺たちは黙ったまま暫く二人でゆっくりと暗くなっていく海を眺める。

 

 そして飲み物がほぼなくなり、辺りが暗くなった頃メイドさんがオードブルを運んで来る。

 始まるのが少し遅いと感じたが、通常なら食前酒でまったりする時間なのだろう。


 メイドさんは丁寧に俺たちの前にお皿を置いた。

 シンプルだけど高そうなお皿の中心に大きなホタテの貝柱、その上に薄切りのゴーヤ、さらにキャビアが乗せられていた。

 そしてその料理を中心にまるでお皿に絵を描くようにソースや野菜が添えられていた。


 食べるのが勿体ないぐらいの料理をナイフとフォークを使い切り分けゆっくりと口に運んだ。


 キャビアのねっとりした食感、その後少しゴーヤの苦味が走るが甘いソースがそれを中和する。

 そして最後にホタテの香りが鼻から抜けていく。


 美味しい……けど……。


 続いてメイドさんはサラダを運んで来る。 

「海ブドウのサラダでございます」

 沖縄名産の海ブドウ、海藻の一種でプチプチとした食感を楽しむ。

 聞いた話だと暖かい場所で取れる為、低温に弱く冷蔵庫に入れるのは厳禁だとか、なまものなので思わず入れたくなってしまうが、冷やすとしぼんでしまうとか。

 その海ブドウがふんだんに乗っているサラダが目の前に置かれメイドさんが取り分けてくれる。


 レタスやパセリが入っているのでサラダと言っているが、実際はマグロやイカやエビ、タコにホタテと海鮮類の方が多い、サラダと言うより刺身と言ったほうがいいかも知れない。

 

 俺はその目の前に置かれた色取り取りのサラダを口にする。


『ああ、これは宮古の宝石箱やあああ』

 なんて言葉が出るくらい美味しいのだろが、今の俺にそんな余裕はない。


 今まで何度も一緒にご飯を食べた。

 美味しいものを一杯食べた……。

 しかし、円との食事で味がしなかった事が2度あった。

 一度目は北海道での食事だ。


 まあ、そりゃそうだ、あの時俺は死のうって……そう思っていたんだから。


 そして……今が2度目……緊張してどんどん味がしなくなってくる。


 この緊張は……高級なホテルでの食事だからではない……目の前の円があまりに美し過ぎて……でもない。

 まあ、ある意味……美し過ぎるのも理由の一つなんだけど……。


 そう……俺は今夜の事が気になって仕方なかった。


 だって、ここに来ることを俺は了承しているのだ。二人きりの旅行を了承しているのだ。

 今回俺はここへ無理やり連れて来られたわけじゃないのだ。


 つまりは……食事の後の事を考えると、俺の緊張感がどんどん増幅してくる。


 そんな俺の心の中を知るよしもないメイドさんは、構わずスープを運んで来る。

 目の前に置かれた琥珀色のスープを口に運ぶ。


 メイドさんは燕の巣のスープと言っていた。

 本日の料理は多国籍料理らしい……。


 スープの中に春雨みたいな物が入っている……燕の巣は始めて食べた。


 高級具材という事は知っている。

 多分美味しいのだろう……しかし、塩気は感じるが、やはり味がしない。

 そんな事よりも、手汗が凄くて銀色に輝く高そうなスプーンを落としそうになる。


 円が言っていた通りだ……本当に自分はヘタレだってこの時つくづくそう思ってしまう。

 

 それにしても俺が始めての彼氏な筈なのに、この円の余裕はなんなんだろうか?

 やはり人生経験が違い過ぎるのだろうか?

 芸能界という大人の世界で生きてきたからだろうか?


 さすがに嘘はついていないとは思う……円も……俺と同様な筈……。


 俺の目の前で姿勢正しく、そして美しい所作で食事をする円。

 多分俺はこの姿勢、所作を見て円の事を好きになったかも知れない。


 姿勢正しい女の子は昔から好感が持てる。


 そして、そろそろ満腹感が近付いて来た頃メインの肉料理が運ばれて来る。


 宮古牛に塩を振っただけにシンプルなステーキだった。

 美味しい肉にソースはいらない、料理人がそう言っているくらい今までの料理とは違う盛り付けだった。

 

 お肉大好あき円はゆっくりとナイフを肉に差し入れていく。

 切るのではない、肉の間に差し入れ取り分けるのだ。


 それくらい柔らかな牛肉だった。

 

 そしてその小さく取り分けられた肉がゆっくりと円の口に入っていく。

 一瞬円の赤い舌がちらりと見えた。


 お肉の美味しさのせいか、今までずっと澄まし顔だった円の表情が綻んだ。


 うわわわわわ……。


 俺はその表情を見た瞬間、思わず声を上げそうになる。

 まるで幽霊でも見たかのように背筋が冷たくなったからだ。


 好きな人を、恋人を前にこの反応はおかしいと思うだろ。


 でも、この世の者とは思えないものを、まるで幽霊や神様でも見たような……そんな気持ちに、感覚になったのだ。


 ドレスアップした円は可愛く美しく、そして清廉で清楚で端麗で妖艶で……。


 どんな言葉を重ねても表現出来ない程だった。


 円の美しさに南の島での旅というデフがかかり、いつもの数倍、いや数百倍パワーアップしてしまっている。


 もう、完全に無敵モードで「あれ私なんかやっちゃいました?」って言っている異世界の主人公のようだった。



 このあとデザートやコーヒーが運ばれてきたが……全く覚えていない。


 円との会話もメイドさんの言葉も覚えていなかった。


 そして俺が我にかえったのは円の一言だった。


「じゃあ……お風呂入って早めに寝ようか」

  

 その言葉に俺は……頭がクラクラし、倒れそうになるのを必死に堪えていた。





 

 

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