第207話 浪漫旅行
高速を出るとハイヤーは羽田空港の正面ゲートに到着する。
時間が無かった為、お土産屋もレストランも見ずに俺達は優先ゲートに入った。
預ける手荷物は無いのでそのまま保安検査を通過する。
座席はプレミアムクラス、一応機内で軽食が出る予定だ。
他の航空会社ではファーストクラスがあるのだが今回の行き先では設定されていないとか。
経由便ならばと円は少し考えていた。
相変わらずの金銭感覚にこの時少し引くが、有名人故の事なので仕方がない所なのだろう……。
搭乗時間が迫ってなければラウンジでお茶も出来るらしいが何も買う暇もないくらい保安締め切りギリギリで通過した俺達は急ぎ搭乗口に向かう。
飛行機に乗る事に慣れている円はスタスタと迷う事なくスマホに表示されている搭乗口に到着する。
到着すると既に機内への乗り込みが始まっていた。
俺達は優先搭乗出来るが円は少し離れた場所で立ち止まった。
「え? 乗らない?」
「そう、最後に乗るの」
「なんで?」
「行けばわかるよ」
プレミアムクラスは優先搭乗が出来るが円はあえて最後に搭乗すると言う。
俺達は目立たないように少し離れた場所で最終案内を待ち最後に搭乗する。
「なるほど……」
プレミアムクラスのシートは飛行機の前方、乗り込みも前方のドアから。
つまり最初に搭乗するとその後に搭乗してくる人全員に見られる事になる。
行き先は離島、円が滞在している事がバレたら逃げる場所はない。
俺達はそそくさと乗り込み、広い高級そうなシートに座りベルトを締めた。
「着替えとかどうするの?」
今日は部活帰りで、しかも練習していない為、練習道具一式を詰めたバッグを持っているので俺の着替えは一応ある。
しかし円は少し大きめのポシェットだけで殆んど手ぶらの状態だ。
「向こうで買うよ」
「そか」
一応離島とはいえ、小さな島ではない。
一通りの生活必需品はあるのだろう、
「円は行った事あるの?」
「石垣なら撮影で行ったけど、ここは無いかな、だから楽しみ」
「……」
「何?」
「撮影って……水着ですか?!」
「違うわよ!」
「そ、そうなんだ……」
「もう……そっか、でも水着も買わないとね」
俺を見て少し照れた表情で笑う円。
円の嬉しそうな顔に俺も嬉しく、そして楽しくなる。
でも、多分円なら当然海外にも行った事あるだろう、いくら離島とはいえ所詮日本なのだ……恐らく俺に気を使ってそう言ってくれているのかも知れない。
海外遠征とか……もしも怪我が無かったら行けたのだろうか……今後行けるのだろうか?
そんな事を思いつつ外を眺める。
出発準備が整った飛行機は軽いショックの後、バッグするように動き始めた。
海外には行って無いが、北海道に沖縄とこの1年の間に2回も飛行機に乗った。
それでも飛行機に慣れる事はなく、緊張が背筋を走る。
窓の外には羽田空港のターミナル、地上で働いている人達がこっち見て手を振っていた。
これから3時間以上のフライト、俺はここから見えるこの先の景色を想像し、期待が高まって行く。
北海道の景色は素晴らしかったのだろうが、俺の記憶では灰色で薄暗く殆んど覚えていない。
沖縄の景色は色濃く、綺麗な海の青さと円の水着の色が今も鮮明に残っている。
円との関係に比例するかのように俺の中で見える景色が変わっていく。
付き合ってから見る景色は、俺の中でどんな色に見えるのだろうか?
『ひゅううううううううう』という音が聞こえ始める。
エンジンがかかったのだろう。
続いて『カシャリ』という音で室内の明かりが一瞬フラッシングする。
さらに逆方向も同様にエンジンがかかる。
いよいよ離陸するのか? 客室内ではモニターにて緊急時の説明を放送している。
そして飛行機はガタガタと音を鳴らして走り始めた。
客室乗務員の人達が最終チェックに動き回っている。
暫く地上を走り乗務員の人も含め全ての人ががシートに着席すると「まもなく離陸致します」とのアナウンスが流れる。
その言葉で更に緊張が走る。
飛行機の緊張、円との二人での旅行の緊張……。
俺は窓から目を離すと真っ直ぐに正面を見つめた。
そんな俺の緊張を察したのか? 円はそっと俺の手を握った。
円は俺を見て天使のように微笑む。
可愛い円のその笑顔を見て……俺は更に緊張してしまう。
二人きりの旅行だから、付き合って始めての二人旅だから。
まるで新婚旅行のような、そんな……錯覚に陥る。
飛行機は滑走路に到着すると一度停止した。
そして一瞬の間の後に轟音をとどろかせ、短距離走の加速のように一気にスピードを上げる。
かなりの振動が身体を伝わる。
思わず円の手を強く握ってしまう。
そして走り幅跳びでジャンプした時のように唐突にふわりと浮かぶような感覚になった。
チラりと外を見ると窓の向こうには東京の景色が広がる。
スモッグがかかったよな灰色の景色が見えている。
その景色を見た途端突如俺の中で罪悪感が襲って来る。
こんな事していいのだろうか? 俺達は今、完全に逃げているのでは無いだろうか? そんな思いが頭を過る。
只野さんとの誤解を解かないで、円と二人で旅行に行くなんて……。
でも……多分円はわかっているのだろう。
今は何をしても逆効果という事を。
恐らく只野さん自身もわかっている筈だ。
多分少し間を置こうって事なのだろう。
多分……。
俺がいると、ましてや円と二人で陸上部にいる事で、只野さんは意固地になってしまうかも知れない。
だから今はこれでいい。
飛行機はグングンと高度を上げていく。
いつも下から見上げている雲が直ぐ目の前を通り過ぎていく。
隣に座る円は正面を向き目を閉じていた。
長い睫毛が振動でフルフルと揺れている。
俺も正面を向きそっと目を閉じる。
機体は軽く右に傾きさらに高度を上げていく。
俺達の今後の不安を振り切り期待を乗せ南の島に向かって……大空を飛んでいく。
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