第200話 俺と円の恋愛物語
俺は円のマンションにいる……。
うん、記憶が飛んだわけじゃない……しっかり覚えているのだが。
見慣れた円のマンションのリビング。
最近こそこそと入るようになったが、今日は円と一緒に入った。
決してテレポートや未来の不思議な扉で飛んできたわけじゃない。
カラオケ店に押し込んできた円は唐揚げを咥えていた俺を見るなりつかつかと近寄ってくると、両手で俺のほっぺを両方からパチンと叩いた。
勢いあまって咥えていた唐揚げがテーブルの上に落ちる。
しかしそんな事に構わず円は俺の腕を掴み俺を引きずるように部屋の外へ連れ出した。
妹に聞いていた剛腕……痛いほどに強く腕を掴まれあっという間に廊下に放り出される。
「只野さん、詳しいことは明日にでも、申し訳ないけど今日は一人で歌ってね、代金は払っておくから」
扉の外からチラリと只野さんが見えたが顔は青ざめブルブルと震えていた。
す、すまない……。
「さ、とりあえず行くわよ」
「あ、えっとこれは」
「いいから、話はマンションで聞くわ」
「あ、はい……」
円はそう言うと俺の話を聞かずに俺の手をしっかりと握り受付に行くと代金を払った。
困惑する店員をよそに俺の手を引きさっさと外にでる。
外は夕暮れ、生暖かい空気が身体に纏いつく。
でも、それよりも円から俺に向かって発している生暖かい空気の方がよっぽど気になる。
一体なぜあそこに? まさかGPSでも仕掛けられてる?
でも、俺にそんなことを聞く勇気はなく、円も俺の話を全く聞く気がない。
円は駅前のタクシー乗り場に俺を連れて行き、そのままタクシーに乗った。
運転手さんに行き先を告げ一切喋る事なくマンションに向かい今に至る。
時間にして20分もかからなかっただろう。
しかしタクシーの中は永遠ともいえる時間だった。
俺はその時自分の身体をもって相対性理論を体感した。
いや、まあただそんなことを想像して現実逃避しているだけなんだが……。
円は現在お茶を入れている最中。
俺は取り調べ前の容疑者状態だ。
でもさ……俺何か悪いことした? 俺はただ普通の生活ってのをしてみたくて、円と付き合うにあたってそういうこともこれからしていこうと前向きに検討した結果只野さんに協力して頂いただけであって、これはけっして浮気とかそういう後ろめたいことでは……。
「お待たせ」
「はい! 全然待ってません!」
円がコーヒーを持ってリビングに入ってくると同時に俺は背筋をピンと伸ばしそう返事を返した。
さて、どうするか……
俺と円の駆け引きが始まる……のか?
とりあえず、円に黙って他の女の子と遊んだことは悪いかもしれない。
でも、陸上部の後輩とカラオケに行っただけなんだ。
それって普通……じゃないのか?
そもそも円と普通の高校生活をするために、円に普通の女子高生というものを経験させてあげたいと俺はそう思って今回行動していた。
彼氏として、円の為にしたことを咎められるのはおかしいんじゃないだろうか?
よし! ここは男を見せる!
つべこべ言うな! 俺に黙ってついてこい!
ビシッと言ってやる!!
俺はソファーに深く腰かけ胸を張って言った!
「えっと……ごめんなさい」
「ふーん、自覚あるんだ」
「いや、まあ」
円は真顔のままそう言うと、いつものように綺麗な姿勢、美しい所作でコーヒーを一口飲む。
その姿を見て俺は慌てて座り直し、姿勢を伸ばした。
「とりあえず飲んだら?」
「あ、うん」
「今日は一杯飲んでそうね」
「いや、そんなことは」
カップを持とうと身体を前屈みにすると、チャプチャプとお腹がなる。
その音が聞こえているのか、円が一瞬呆れた顔をした。
そして二人の間に再び沈黙が訪れる。
どうする? どうすれば?
付き合うってこういうものなの?
もっときゃっきゃっウフフするんじゃないの?
俺と円の恋愛物語が、ラブコメが始まる筈じゃなかったのか?
俺の中で不安が渦巻く。
するとそんな俺を見かねたのか、円はコーヒーカップをテーブルに置くと真っ直ぐに俺を見つめて言った。
「私怒ってるの」
「え、あ、うん」
「失望もしてる」
「あ、はい」
「でもね、多分翔くん私がなんで怒ってるかわかってないでしょ?」
「え? そ、それは……俺が円には内緒で只野さんとカラオケに行ったからで、で、でも聞いてくれ、俺は決してやましい理由で行ったわけじゃ」
「違うよ」
ようやくいいわけが出来ると思ったが、円は俺の言葉に被せるようにそう言う。
「え?」
「そんなことじゃ怒らないよ、ちょっと悔しいしヤキモチも焼くけど」
「え? じゃ、じゃあなんで?」
「じゃあさ逆に聞くけど、なんで急に只野さんを誘ったの?」
「え?」
「言ってあげようか?」
円は全てわかっているかのようなしたり顔で俺を見つめる。
「そ、それは」
「私の為でしょ?」
「え?」
「私とデートした時のこと考えてしたんでしょ?」
「な、なんで?」
「わかるよーー、今までそんなことしたことなかったのに、私と付き合って急にそんなことするなんてさあ」
そうだった……円ってこういう人だった。
全てを見切っているというか、芸能界という百戦錬磨の魔窟で子供の頃から鍛え上げられていた観察力、そうしばらくシリアスなことが無かったから失念していたが、円はそういう人なのだ。
円に隠し事やサプライズは出来ない。
「でもね、怒っているのはそこじゃない」
円は続ける、俺の考えていることがわかっているかのように手に。
「そこじゃ……ない?」
「翔君……唐揚げ食べてたでしょ」
「いや、あれは彼女があーーんってしてきて、つい」
「あーーんしてたんだ」
円は不機嫌な顔で俺を睨み付けた。
「あ、いや」
そうだった、円が扉を開いたとき俺は唐揚げを咥えていただけで、あーーんのシーンは見られていなかった……やぶ蛇……。
「まあ、それはとりあえず置いといて、翔君あの唐揚げを、あの大皿を食べる気だったんでしょ?」
「え?」
思わすそこ? と思ったが円の次に言った言葉で俺はその意図を直ぐに汲み取った。
「もう満足したの?」
「…………」
「高校新で翔君はもう満足したの?」
「いや……」
「そんな程度なの? 貴方の3年間の悔しい思いはそんな程度だったの?」
「で、でも……俺は……円に少しでも恩返ししたいって、円と普通の高校生らしいことを」
「そんなのいらない……そんなこと期待してない」
「そんな……」
「わたしはね……そんなことして欲しくて貴方と付き合ったわけじゃない、貴方の側で、貴方の姿を見たいから……活躍する姿を見たいから、彼女っていう特等席で見たいから、彼女としてううん、身内として貴方の手伝いをしたいから……翔君と付き合ったの。
貴方と普通のことがしたいからじゃない……貴方の陸上の邪魔をしてまで……そんなことしたくない……」
円はじっと俺を見つめる。そのその大きな瞳に涙をたっぷりと浮かべて。
俺は多分受かれていたんろう、そして安心していたんだろう。
円はそんなことしている場合か? と、そう言ってる。
失った3年はあまりにも大きい……時間は限られている。
「そうだね……ごめん」
俺がそういうと円は立ち上がりゆっくりと俺に近付く。
そして、俺の隣に座ると両手を差しのべ俺の頭を軽く持ちゆっくりと自分の胸に引き寄せた。
円の柔らかい感触と円の甘い匂いが俺を包み込む。
「でも……嬉しかったよ」
そして甘いささやきが降り注ぐ。
円は俺に夢を追いかけろと言っている。
自分のことは二の次でいいと。
でも、本当にそれで良いのだろうか?
俺はずっと円に甘えてきた。
今もこうして甘やかされている。
この後もずっと……こうやって円に甘やかされていて、それで本当に良いのだろうか?
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