第199話 体育会系のカラオケってだいたい盛り上がる
只野さんとカラオケ店に入り受付を済ませる。
彼女が会員カードを持ってのを見るに、ここには常連の店なのだろう。
受付から部屋へと続く細く薄暗い通路。
慣れているのか堂々と歩く彼女の後ろをキョロキョロとしながら付かず離れずに歩く。
慣れていないとはいえ、腰を落とし怯えながら歩いている自分の姿がガラスに映り、少々情けなく感じる。
早く部屋に付かないかなと思っていると「先輩はいこれ」と言われおもむろにコップを手渡された。
コップ? なんで? と一瞬疑問に思い彼女を見ると只野さんは「どれにしよっかなあ~~」と言いながら小綺麗なドリンクサーバーを前に飲む物を悩んでいる。
そこでとようやく部屋に入る前にここでドリンクを入れて持っていくのだとの気が付く。
そういえば、受付の時フリードリンクとかフリータイムとか言っていたような……。
もしも俺がいつか円を連れてこういうところに来たとして、恐らく受付の時フリードリンクやらフリータイムなんてことを言われ、なんのことやらさっぱりだっただろう。
こういうところで只野さんのようにスマートな対応をすれば、円も俺のことをカッコいいって思ってくれるかも知れない。
そうだ……いつか円と二人で来た時の為に、帰りに俺も会員カードを作っておこうとそう決めた。
「うーーん、あ、先輩お先にどうぞ」
何を飲むか悩んでいた只野さんは決めきれず俺にそう言ってくる。
俺はドリンクバーの前に立ちさすがにドリンクバーくらいは知ってるよと、飲み物のスイッチを押そうとしたが……今まで見たこと無いこの新品? のドリンクサーバーは正面にディスプレイがありどこにもボタンが見当たらない。
まるで大きいスマートフォンのような画面のあるドリンクサーバーに俺は思わず固まってしまう。
「あはははは、先輩何飲みます?」
俺が戸惑っているのを直ぐに気付いた只野さんは笑いながらそう言った。
「あ、えっと……じゃあ烏龍茶」
「はーーい」
彼女はポンポンと軽やかに画面をクリックし烏龍茶を表示させると笑顔で俺にコップを置くように指差した。
「あ、えっと……」
「違いますよ先輩、こっち」
俺がコップを置いた場所が違うと、彼女はコップを置き直し画面をクリックすると琥珀色の液体が注がれる。
「あ、ありがと……ございます」
ボタンもコップの置く場所もわからないなんて……もう情けないやら恥ずかしいやらで先輩なのにおもわず敬語になってしまう。
「いいえ~~じゃあわたしは~」
ドリンクバーさえも使いこなせない俺のことを気にすることなく彼女は散々悩んだ末に、複数のボタンを押してなんだか怪しい色のジュースを作り始めた。
え? この機械混ぜられるの? というさらに恥を上塗りする言葉をのみこみ、彼女の手に持つ深い緑色のジュースに鮮烈を感じながら俺たちは部屋に向かった。
205号室……地下なのに2階? なんていう疑問が浮かぶが只野さんはそんな細かいことは全く気にすることなく部屋の扉を開けそのまま中に入る。
彼女がなんの躊躇もなく入って行った部屋の入口で、俺は恐る恐る中を覗き込む。
部屋からは少しカビと埃の匂いがした。
そして噂に聞いていたが、やはり狭い。円のマンションの浴室よりはやや広いが、そこにソファーとテーブルと大きなディスプレイ、そしてカラオケの機械がところ狭しと並べられていた。
俺はまるで投獄される囚人にように恐々と部屋に入る。
中は薄暗く、ディスプレイとテーブルの上に置かれているカラオケの機械の端末が煌々と光っている。
只野さんは持っていた飲み物をテーブルに置き、ソファーに座ると直ぐにテーブルに置かれたメニューと思わしき物を見始める。
「先輩何か食べます?」
「え? あ、う、うん」
ハンバーガー屋でも何も食べなかったのに、ここでも食べないのはさすがに悪いと思いそう返事をする。
すると只野さんが嬉しそうにパラパラとメニューをめくると、パーティーメニューという欄を指さす。
タンパク質もあるが、圧倒的に糖質と油質が多いそのメニューに俺は思わず怯んだ。
練習を1日サボれば取り返すのに3日かかる。よく言われる言葉だ。
それと同様に、これだけの糖分を取れば無駄な脂肪がどれだけつくか……そしてそれを取り返すのにどれだけの時間がかかるか……。
単純計算で脂肪1キロ落とすには、約7000キロカロリーを消費しなければならない。
長距離と違い短距離特に跳躍競技は練習量が必ずしも成績と結び付くわけではない。
練習のしすぎもまたマイナスに働くこともある。
でも、遊ぶときは遊ぶのも必要ではないか?
そしてそれは円の為でもある……。
俺はそう思い彼女の誘いに誘惑に乗ってしまった。
「いえーーーーーーーい!」
「い、いえい」
「声がちいさあああい、いええええええい!」
「いえーーーーい」
注文が終わると、只野さんはマイクを握り弾けたようにそう声を出す。
城ヶ崎学園では無いが、悪い伝統のある学校では先輩のしごきともいえる意味のない声出しなる儀式がいまだに残っていると聞く。
声出しとは、先輩が百メートル以上離れた場所に立ち、新入生が大きな声で生年月日やクラス、そして目標等を喚くように発する。
声が小さければやり直させられ延々と声出しを強要される。
はっきり言って百害あって一理なし、ただのしごきでしかない。
まあ、今はそんな事とは全く真逆の1年が上級生に対しての駄目だしに、俺は思わず笑ってしまう。
そして、只野さんも見た目は普通の生徒なのだが、やはり陸上部員、普通の生徒とは違ういわゆる体育会系なのだなと……俺は彼女を見てそう思った。
そして、曲がかかり彼女は元気よく歌い出す。
俺の知らない曲、最新の曲なのだろうか? 正式な振り付けかわからないが、彼女は片手をヒラヒラと振りながら、ステップを踏みながら、軽やかに踊りそして歌う。
楽しそうに、嬉しそうに……。
そして曲の終盤、扉をノックする音と共にさっき注文した品物がはこばれて来る。
大きな唐揚げにフライドポテトにチョコのかかったお菓子にポップコーン。
揚げ物の匂いと甘ったるい匂いが部屋に充満する。
只野さんは店員さんが部屋に入って来ると同時に歌うのを止め俺の隣にそそくさと座る。
俺に見られるのは平気だが店員さんに見られるのは恥ずかしいのか? と思わず笑ってしまう。
「なんですか?!」
「いや、上手いなって」
「嘘、ばかにしてるんでしょ?」
「してないしてない」
「本当に? じゃあ次先輩歌ってください」
そう言うと只野さんは俺にカラオケの端末を押し付ける。
「いや、俺……曲とか知らないし」
「なんでもいいんですよ!」
「なんでもと言われても……」
「もう、乗り悪いなあ……」
自分ばっかりと思ったのだろう、可愛く頬を膨らませ俺の顔をじっと見つめる只野さん。
俺が困った顔をしていると何か思い付いたのか? 突然いたずらっ子のようにニヤリと笑うと、先ほど運ばれテーブルに置かれているパーティーメニューの中から唐揚げを掴み俺の顔の前に持ってくる。
「じゃあ、せめてあーーん」
「え? えええええ?」
「はい、せんぱーーい、あーーーん」
いやいや、ダメだろ? でも……さっきから断ってばかりだとさすがに悪いと俺は差し出された唐揚げを一口頬張る……と、その時唐突に部屋の扉が開いた。
まだ何か頼んでいたかと? 俺は唐揚げを半分口にしたまま開いた扉の方を見ると、そこには…………俺の彼女の……円が、額に汗を流し眉間に皺を寄せその場に仁王立ちし、蔑んだ目でじっと俺を見つめていた。
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