第193話 したたかな人


 夏休み開始と同時に私と翔君は陸上部に復帰する。


 練習前に皆の前で翔君と二人で頭を下げた。


 初めての共同作業……初めての御披露目、なーーんて事を考えている余裕は無かった。


 でも、意外にあっさりと受け入れられた。

 まあ、全員が好意的ではなかったので、どちらかといえば生暖かい空気で迎えられた感じはする。


 バカップル認定? と、言うより私達の関係を聞くに聞けないって感じなのか? とにかくクラスの連中よりかは、皆遠慮してくれていた。



 練習が始まる。本日いつもの場所にキサラ先生は居ない。

 部長も生徒会とインターハイの準備で今日は遅れて参加だと聞いている。


 翔君はいつものように一人で楽しそうに練習を開始する。

 自粛中も翔君はずっと一人で楽しそうに練習していた。時々私も練習の手伝いをしていたけど一人でもキツイ練習を楽しそうにしている姿を見て、本当に陸上が好きなんだと感心させられる。


 まあ、そもそも今の陸上部にいる男子は翔君のみなので、陸上部に復帰しても基本的に一人で練習するのは変わりない。


 翔君が軽い体操をした後に颯爽とトラックを走り出すと、さっきまでの生暖かい空気は一転、皆熱い視線でチラチラと翔君の姿を追い始める。


 走り幅跳び高校日本記録保持者という……今までとは違った目線なのだろうか? 今までとは違う熱い視線で翔君を追う。


 そんな周囲の視線を見て私の中で今までとは違う妙な感情が芽生える。

 

 見て見てあれ、私の彼氏~~はーと♡

 

 なんて能天気な考えに、私は思わず苦笑してしまう。



「円さーーん、走基用のミニハードル出しておいてくださーい」

 そんな格好いい自慢の彼氏を恋する乙女宜しくボーッと見ていると、数人の部員の娘達が私に手を振りながらそう声を掛けて来る。


「はーーい」

 ウォーミングアップ中の同級生にそう声を掛けられた私はにこやかに返事を返した。

 そんな普通の頼み事が凄く嬉しく楽しい。

 彼氏が出来て部活が出来て、なんか普通の女子高校生をしてるって気分になる。


 私は浮かれ気分でスキップするように倉庫に入ると、そんな気分は一瞬で吹っ飛んだ。


 私が倉庫の奥に入った途端、倉庫の鉄の扉が音も立てずに閉まった。


 私は唐突にまっ暗闇の中に落とされる。

 闇の中に一人……一瞬閉じ込められた? 嫌がらせ? もしかしたら、そこの物陰から「げへへ」って屈強の男性が私を……なんそこまでは思わないけど、私はこの冷静に状況を精査した。


 そして直ぐに暗闇の先、扉付近に人の気配を感じた。


「誰?」

 私がそう呼ぶと……パッと倉庫の灯りが点灯する。


「どもーー」

 そこには、袴田灯の姿があった。

 ユニフォーム姿の彼女は、私に向かって左手を上げ、めんどくさそうにそう挨拶をする。


「……何かしら? 手伝ってくれるの?」

 そんな彼女に驚く素振りを見せずに私は冷静を装いそう言ってみる。


「まあ、1年なんで手伝うのはやぶさかでは無いんですけど、ちょっと円……せんぱいとお話がしたくて」


「……話ならこんな所じゃなくても、教室や部室、ファーストフードやファミレスで出来るんじゃない?」

 悪意たっぷりの先輩呼びに私は気づかない振りをしてそう言ってみる。


「いやあ、白浜円とファーストフードなんて恐れ多くて」

 そんな謙遜とも取れる発言をしているが、彼女の表情からはとてもそんな事を思っているとは思えない。


「それで話って」

 そう言いつつもこんな所に人を閉じ込めてるのだから、話し合いと言っても拳で語らうって意味かもと、私は彼女に喧嘩なら誰にも負けないわよ? という目付きで睨み付けながらそう言った。


 しかし彼女は両手を上げそんなつもりはないと態度で示す、


「とりあえず、翔先輩と付き合い始めたらしいですね、おめでとうございます……」

 彼女はほくそ笑みながら祝福の言葉を呟くように言った。


「……ありがとう……なのかしら?」


「そうなんじゃ無いんですか?」


「そう……とは?」


「いいんですよ? まんまとしてやったりって顔して頂いて」


「……何が言いたいのかしら?」


「だから、おめでとうございますって言ってるじゃないですか」


「だから!」

 埒の開かない会話にイラっとした私は、そう言って語気を荒めると、彼女は怒りに満ちた表情で私を睨み付けながら言った。


「うまいこと行ったよね、翔君の怪我をだしにしてさあ、まんまと付き合えて、先輩の優しさにつけこんで」


「……」


「あははは、図星?」


「何を言ってるのかわからなかったから」

 本当に意味がわからない……一体何を言いたいのか?


「惚ける気? じゃあ言ってあげる……貴女はずっと機会を狙ってた。先輩と恋人になる機会を狙い事故の責任を取るって言って先輩の元に近付いた。そして逆に自分の為に芸能界を辞めたという責任を先輩に押し付けたんでしょ?!」

 唐突に語り始める灯さん。うーーん、惜しい気はするけど……。

 微妙な推理に私は思わず戸惑った……ひょっとして……この娘ポンコツ?

 お姉さんは聡明なのに、なんか残念……まあ、でもこの位のポンコツ加減が可愛いさを感じさせるのよねえ……。


「ふふふ、図星みたいね」

 彼女は腕を組み胸を張り得意気に笑って見せた。


「えっと……私……引退はしてないんだけど……」

 一応休みの状態……まあ、自分的には今のところ戻るつもりは無いんだけど……。


「……え?」


「あとね、元々翔君は芸能人としての私は気に入ってたのよ、でも責任を取るなんて言って近付いた事で私の事を憎んだりし始めちゃったのよねえ」


「ええ?!」


「だから私から近付いた事はむしろ彼と仲良くしたいって思っていたのなら寧ろマイナスなのよね」


「う、嘘、嘘よ」


「嘘って言われても、実際翔君からそう言われたし」

 初めから恨まれる事前提で近付いたんだし。

 もしも、翔君と仲良くなりたいって思っていたなら……こんな近付き方はしない。

 彼の側に居ることで私はどんどん不利な状況に陥るのは初めからわかっていた事。

 現に妹さんの拒絶はある程度予想していたけど、まさかあんな事になるとは思っていなかった。

 

 それでも、嫌われても恨まれても……彼の側にいたかった。深い考えなんて無い……付き合いたいなんて全く考えていなかった。

 自分が幸せになろうなんて全く考えていなかった……。


「じゃ、じゃあなんで翔先週は……憎んでる人と付き合うなんて言ったのよ?!」


「えーーー? それは…………私が可愛いからじゃない?」


「か!」


「可愛くてえーー、お金も持っててえ、翔君が大好きだから、彼もぉ私の事をーー好きになってくれたんだと思うの~~翔君も~~また日本一になったし~~私達ってえ、理想のカップルになれたって感じよねえ~~あははは」

 

 もう思いっきりバカっぽく、思いっきり能天気な演技で私は彼女にそう言った。

 でもこれってある意味、灯さんから宣戦布告をされたようなものなのだ。

 だったら徹底的に煽ってそして彼女を叩き潰さなければならない。


「ううううううう」

 私が煽った事で彼女の怒りが頂点に達する。

 彼女は真っ赤な顔で両手を前に出し私に向かって来る。


 腕ずくなら負けないと……私の首を掴もうとしてくる彼女の腕を軽く掴み、そのまま軽く腕を引きながら足を払った。

 彼女はそのまま勢い良く高跳びのマットに落ちていく。


「ひ、ひいいい!」


「えっと、ごめんなさいね、そろそろ機材を出さないと誰か入ってくると思うから」

 私はそう言うとミニハードルのセットが入ったケースを担ぎ上げ、扉を開け外に出る。


「ま、負けない! 勝負はまだついてない! まどかあああああ」

 後ろからのその声を思いっきり無視して私は彼女を見る事なく扉をそっと閉じた。


 薄暗い中から外に出ると眩しい光に思わず目を細める。

 目の前を翔君が額に汗を流しトラックをゆっくりと走っている。


「敵はまだまだ多そうだなあ……」

 その、変わらない美しい走りに私は思わずため息をついた。


 ここでは彼はヒーローなのだ……皆彼の走りに見とれている。


 人を好きになる理由なんて一杯ある。

 

 顔がいい、スタイルがいい、性格がいい、優しい、声がいい、歌が上手い、運動が出来る。

 そんな様々な理由があると思う。


 でもそのどれもが切っ掛けに過ぎない。


 日本一のランナーから、日本一のジャンパーになった彼。

 誰もが憧れるだろう、陸上をやっている物なら特に。

 私も初めはそうだった。

 でも違う……そんな事は切っ掛けに過ぎない。

 

 私は知っている。彼の本質を……彼の優しさを、そして彼の思いを。


 ちょっと子供で情けない所もあるけれど……でもあの真っ直ぐな思い純粋な思いが彼の本質。


 私は彼の為に生きよう、彼を救おうって……そう思っていた。

 でも……今は違う……今は彼と共に生きようって、そう思っている。

 彼を救いたいって思っていたのに、いつの間にか私が彼に救われていた。


 私は人を心から愛せないって……ずっと……そう思っていたから。



 彼の走りに姿に魅了されているだけの、そんな上っ面だけで好きになった人達になんて私は負けない。


 日本一の彼の世界一に、私はなるって……そう決めたのだから。



 

 

 


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