第189話 恋愛初心者


 円を自分の部屋に連れ込む……いやいや、今さらでしょ? 何を俺はドキドキしてるんだ?

 今まで散々円のマンションで二人きりだったのに。


「ど、どうぞ」

 そう言ってドキドキしている事を悟られ無いように、円を部屋に誘う。

 円は俺の部屋に入るなりがっかりした表情に変わった。

 え? 何? 汚い? 狭い? 臭い?

 そう思って俺は慌てるが円は俺の予想とは全く異なる言葉を口にする。


「……私の写真がない……」


「……開口一番それですか?」


「だって、私の部屋には恋人の写真で一杯なのに」


「俺の小学生の時のだけどね」


「なのに翔君の部屋に私の写真がないってどういう事?!」


「なんでだよ?」

 そもそも円と写真なんて撮ってないし。

 ほら休んでいるとはいえ一応芸能人だしそういうのってうるさいでしょ?


「だってだって、翔君私のファンなんでしょ?」


「──え?」


「テレビで私の事ずっと見てたって」


「だだだだだ、誰がそんな事?!」

 俺は慌てて円に近付くと肩を両手で掴む。

 円は言ってはいけない事を言ったのか? 俺から目を反らししまったというような顔に変わった。


「キサラが天ちゃんから聞いたって……」


「いや、そ、それは!」

 おい天! お前キサラ先生に何を言ってるんだ? 


「あははは、天ちゃんも元々は私のファンだったんだよねえ、もう、兄妹揃ってツンデレなんだから~~」


 円に口からツンデレなんて言葉が出てくる事に少し驚くが、今はそんな場合ではない。

「い、いや、天の事は知らなかったし、俺もファンってわけじゃないし」

 俺はなんとか誤魔化すように円にそう言い訳をする。


「ふーーん、じゃあなんで天ちゃんに見るなって言われてたのに私の事……見続けてたの?」

 円の表情がおちゃらけた表情から真面目な顔に一転する。


「そ、それは……」


「……憎かったから?」


「ち、違う!」


「……じゃあ、なんで?」

 グイグイと俺に近づきさらに顔を寄せてくる。

 距離が近い、顔が近い、いい香りがする。

 誰もいない家、二人っきりの部屋……二人を邪魔する者はここにはいない。

 

「そ、それは……」


「それは?」


「…………は、初めて会った時、あの公園で……凄く可愛いなって……そう思って……事故とは関係なしに……ずっと気になってたから……」


「へえ~~、じゃあつまり翔君って、私に一目惚れしたんだ」

 からかうようにそう言う円に、俺は素直に返事を返す。

「…………うん」


「……そ、そかそか……あはははは、なんか改めて言われると照れるね」

 そう……俺は初めて出会った時、円の事を知らなかった。

 だから、こんなに目茶苦茶可愛い子が普通に公園にいるんだって……俺はそう思っていた。

 ずっと女子に興味なかった、それよりも陸上ってずっと思っていた。

 だから突然現れた天使に俺は格好いい所を見せようってそう思った。


 それで事故に遭った。


 でも、円は自分のせいだと一貫して言い続け、弱かった俺も好きな気持ちとは裏腹に心のどこかで円の事を恨んだりもいた。


 だからリセットしたかったのだ。

 このチグハグな関係に、チグハグな感情を一度リセットしたかった。

 この気持ちが同情なのか恋なのか、それを知りたかった。

 

 俺がそんな事を考えていると、部屋をキョロキョロと物色していた円は本棚を見つめて言った。


「ねえねえ、卒アルとか見せてよ!」


「え? あ、うん……いいけど」

 俺は円の横に立ち、本棚から小学校の卒業アルバムと、そして小学生時代の陸上の写真を挟んでいるアルバムを取り出す。

 今どきアルバムって古いかも知れないけど、フォームの確認の為に引き伸ばしたり連続写真を作り確認をしたかったので、わざわざPCからプリントアウトし作成していた。

 

 その他にもデータとして貰えない写真や、大会の時の他人が撮った写真、大会関係者の人が撮ってくれた表彰式の写真なんかも一緒に挟んである。


 円はプレゼントを貰った子供のように嬉しそうに俺からその資料兼アルバムを受け取ると、何の躊躇いもなくベッドに腰を下ろしアルバムを広げた。


「うわわわわわわわ、お、お宝が?!」


「お宝って……」


「いやあああん、かかかか、可愛いい可愛い過ぎる、小学生の時の翔君……うへへ」


「──えっと……」

 ご馳走を置かれた空腹の犬のように、ヨダレを垂らしそうな顔で俺の小学生の時の写真を食い入るように見ている円に俺はほんの少しだけ、ほんのほんの少しだけ……キモいって思ってしまう。


「ああああああ?! 今キモいって思ったでしょ! ち、違うから、翔君の小さい頃が可愛いって思っただけだから! 小学生の男の子が好きなわけじゃないから!」

 どう違うのかよくわからない言い訳をしてくる円に俺は思わず笑ってしまう。


「ああ、もういいよ! どう思われても」

 円は頬を膨らませ涙目でそう言うと、俺のアルバムに視線を戻し、愛しそうな表情で再び見始める。

 そんな円の横に俺もゆっくりと腰を下ろした。

 彼女と二人でアルバムを見るって、なんかいいなあ……。


 しかもそれが白浜円だなんて……そう、俺の彼女はあの白浜円なんだ。


 こんなシチュエーションを夢見ていた。

 その為に俺は頑張った。こうやって白浜円と付き合う為に。


 もしも円と付き合ったとして、それが世の中に、マスコミにバレた時当然俺は一般男性って言われる。

 宮園翔という名前は出てこないただの一般人。


 現に今、そう言われている……らしい……。

 だから俺はそう言われない為に頑張った。いや、頑張っている途中だ。


 まだ俺は高校新記録を作っただけのただの一般男性。

 白浜円の相手には、まだ……ふさわしく無い……。

 

 今はまだ……。


「どうしたの?」

 円は心配そうに俺の顔を覗き込む。


「ううん、なんでも……大丈夫」


「そっか……」

 俺の考えている事を悟ったのか、円は気を使うようにそう言うと再び嬉しそうな顔でアルバムに釘付けになる。


 しかし、次のページを捲った直後、今度は浮かない顔で再びアルバムを見る。


「どした?」

 俺がそう聞くと、円は一枚の写真を指差す。

 俺と夏樹がメダルを持って抱き合っている写真だった。


「あ、それは……違うそういうんじゃ……」

 それは初めて大きな大会で二人揃って優勝した時の写真だった。

 あまりに嬉しくてつい抱き合ってしまった時の写真……。


「ううん、大丈夫……ただ……なんか悔しいなって」


「悔しい?」


「うん……夏樹さんと翔君って、どこかで深く繋がってる気がする……それが悔しい」


「……繋がってる……か」

 そうかも知れない……夏樹とは最近またよく顔を合わせるようになった。

 しかし事故に遭った時から今現在まで、夏樹とは昔程言葉を交わす事はなくなっている。


 でも、なんとなくわかる。言葉なんて交わさなくても、今何を考えているの

か俺にはわかる気がする。夏樹も俺の今年をわかってくれている気がする。

 

「……だから、私少し焦ってる……夏樹さんに、やきもちも妬いてる……翔君と付き合ってる証が欲しくて……翔君にとって私が一番って証拠が欲しくて」

 

 この間の事を、俺が円の誘いを断った事を気にしている。

 でも、違う……違うんだ。


「……えっと……あのね円、そう思ってくれるのは嬉しい、俺だってそういう事に興味がないわけじゃない、ただ……」


「ただ?」


「俺……女の子と付き合うの初めてだから……その、好きな人との恋愛をゆっくりと……楽しみたいっていうか……」

 俺は……隠していた本心を円に告白した。


「……ぷ、ぷぷ、あははははははは」


「わ、笑うなよ」


「あはははは、ふふふ、そっか……それで……良かった」


「良かった?」


「うん……私と付き合う事後悔してるんじゃないかって、夏樹さんの方がいいんじゃないかって……あれから……そう思ってたから」


「そ、そんなわけない、さっきも言ったけど、夏樹は憧れであり目標でありそして姉貴でもあるんだ……」


「でもさあ、世の中には妹が好きだとか、姉が好きだとかって趣味の人もいるみたいだし」


「俺をそんな変態と一緒にしないで、俺が好きなのは……その……円だけだから」

 照れくさい、でも不安そうな円の為にも俺ははっきりとそう言った。

 すると円は少し考えた後、笑顔で立ち上がる。


「……ねえ、デートしよっか」

 円は俺に手を差しのべそう言い出した。


「え? 今から? ど、どこへ」


「どこでもいいよ、翔君とさ……普通に歩きたい」


「いや、でも……一応自粛中だし」

 俺と円はこの辺じゃ有名になりつつある。

 だから今まで以上に躊躇してしまう。


「大丈夫大丈夫、行こう!」

 円は構わず俺の手を引っ張った。


 その握られた手の感触に、付き合って初めてのデートをしようと円に言われた事に……俺はわくわくしていた。


 円とキスをするよりも、それ以上に関係を進める事よりも、俺はドキドキしていた。


 だってこれがずっと夢見ていた事だから、これをしたくて俺はずっと耐えてきたのだから……。

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