4部1章 世間知らずのお嬢様と陸上バカ

第183話 俺と円の新しい物語


「さ、サンキュー」

 俺はそう言って彼と握手をする。


「世界を狙うならイギリスの僕の陸上スクールに入らないか? と言ってはりますのでご考慮を~~」

 通訳のセシリーは最後にそう訳して、彼と共にこの場を後にした。


 100mの元世界記録保持者、そして100m200m400mリレー走り幅跳びの金メダリスト。

 彼は年齢により衰えるを見せる中、突如短距離から走り幅跳びに転向して再び金メダルを獲得したレジェンド中のレジェンドだ。


 そんな雲の上に人から指導を受けさせて貰った。


 これで自信がついた。


 ずっと夏樹に憧れて、夏樹に追い付きたくて陸上をやって来た。

 でも、自分の身体では世界で戦うには到底無理だって薄々は感じていた。


 でも認めたく無かった。目標を失いたく無かったから。

 


 子供の頃から夏樹と一緒に坂をかけ登り、階段をかけ上がり、小川をジャンプしたりしていた。

 ジャンプ力では天性バネを持つ夏樹には敵わない。

 でもスピードは走るスピードは俺の方が速かった。


 夏樹と一緒に遊んで手に入れたバネ、そこに自分の走るスピードが加わればもしかしたら幅跳びだったら……なんて事を考え始めた矢先……俺はあの事故に遭う。


 

 そして俺は夢を目標を希望を失った。


 さらに学校で孤立し、唯一の理解者でもある妹にも愛想を尽かされ、どん底にまで落ちた俺は北海道で全てを終わらせようと円と共に旅をした。

 

 でも俺は終わらせる事が出来なかった。

 

 多分俺は諦めきれなかったのだろう。まだ走れるかもしれないという希望を完全に捨てる事が出来なかったのだろう。


 だから終わらせようって、そう思い俺はあの足で無理やり100mを走った。


 あの時俺はたった3歩で転んでしまった……完全に諦めたとあの時そう思った。

 でも、あの状態で3歩走れた事に俺はむしろ意外に思っていた。

 

 100m、俺の歩数は中等部の時で56歩、身長が伸びたので今は恐らく50歩前後になるだろう。

 3歩から50歩、ほぼ不可能に近い


 でも走り幅跳びの助走距離は40m前後、恐らく歩数は20歩を切るだろう。

 3歩から20歩……これも不可能に近い数字だが、50歩よりは遥かに可能性を感じる。

 自分の利き脚は幸いな事に怪我をしていない左足だ。しかも怪我のお陰で以前よりも左足の筋力は上がっている。


 怪我をした足以外のトレーニングはずっと続けている。


 もしかしたらって……俺は僅かな希望が芽生えかけていた。


 この身体を100mとは言わない、せめて40m運ぶ事が出来たなら……。


 夏樹と共に鍛えた左足を踏切板まで運ぶ事が出来たなら……。


 でも、そんな僅かな希望に為に大きなリスクを背負うわけにはいかない。


 そんな僅かな可能性の為に、手術をして、もしこれ以上悪化したら、そう思ってずっと考えないようにしていた。


 でも、円は言った。全ての責任を負うって。

 始めは信じられなかった。 口先だけだってずっとそう思ってきた。

 いつかは捨てられる、いつかは俺から離れて行く。


 でも半年以上彼女と接していくうちに、段々とその言葉を信じられるようになった。

 彼女は俺を裏切らない……って、そう思えるようになっていった。


 だから言ってみた。自分の可能性を、手術をした後の可能性の事を……。


「そか、じゃあ……ちょっと見て欲しい物があるの」

 そう言って円は俺に数年かけて調べた足の手術に関する資料を見せられた。

 最新医療や治療方法や、まだ認可されていない技術、スポーツ選手の怪我と治療に関するレポートうあ資料をずべて見せてくれた。

 全て俺の為に準備してくれていたのだ。


「なんで隠してたの? この間一週間休んでいたのってこれの為?」


「うん、これを見せると貴方は迷うって思ったから……確実に治せる方法を見つける迄は黙っていようって……でも、貴方が自分でそう決めたなら、私は応援する。出来るだけの事はする」


「で、でも、もし失敗したら……俺はそれが怖い……」

 情けないってわかっている。でも、自分の将来が、一生がかかっている。


「わからなければとことんまでも調べればいい、私も一緒に調べる。でも……最後の決断は翔君がするしかない、私は翔君の決断を尊重する……そして、その後どんな事になっても絶対に貴方を守る……一生償う……」

 円は目に涙を浮かべ俺にそう言ってくれた。

 俺はその円の表情を見て、思いっきり頭を殴られたような気がした。


 円はとっくに覚悟を決めている、俺と会った時からずっと……でもなんで? なんでこんなにも……俺なんかの為に……いくら自分のせいだとしても……ってそう思っていた。



「はん? ばかね、わからないんだ? あんたひょっとして鈍感難聴主人公?」

 ある日の手術や足の事の相談ついでに、俺が何気にそんな事をキサラさんに聞くと、彼女に呆れた顔でそう言われ一蹴された。


 意味がわからない……と、俺はキサラさんのその言葉の意味を調べてみた。

 どうやら……相手が自分に好意を抱いているのを知りながら、そんな言葉を聞きながら、わざとなのかスルーする男の事をそう言うらしい。


 好意……俺の事が好きって……事? え? 円が?


 そうなの? そうなのか……。


 円は俺の怪我の責任を取る為に、そして俺に同情しているからだってずっと思っていた。

 妹以外の皆そうだって、ずっと思っていた。

 走れない俺を見て、それらしい事を言って同情してるって……ずっと思っていた。


「ええええ? マジで?」

 そう思った瞬間、円が憎い……という心の片隅にあった俺のそんな黒い思いが吹き飛ぶ……ああ、俺って単純だ。


 でも誰だってそうだろう? 嫌われているって思ってた相手が実は自分に好意を抱いていたからなんて知ったら、思わず好きになったりするだろ?


 そしてそれが最後の後押しだった。

 円は俺を裏切らない、円は俺の事が好き……。

 この2つが決め手だった。


 俺はその時思った。もし手術が成功したら……そして走り幅跳び転向がうまくいったら、俺に対する円の枷を取り除く事が出来たら……その時は俺から告白しようって、そう決めた。



 そしてすべては上手く行き俺は円に告白した。


 それがまさかの拒絶。俺はあの時頭が真っ白になった。


 そして……まさかの逆プロポーズ……。


  

 あの後は滅茶苦茶だった。

 

 記録会とはいえ公式の大会だったので、偉い人から滅茶苦茶怒られ、その後学校でも呼び出しをくらい、インターハイは出場選手と顧問と手伝いの数人だけの遠征となり、俺は罰として山のような課題とレポート提出を命じられたのだった。




 そして……今、円のマンションで課題のノルマを終わらせ、ようやくホッと一息ついた所から俺と円の新たな物語が始まる。



「あ、あのね翔君……結婚はまだ出来ないからと、とりあえず……私達付き合うって事で、恋人同士になるって事でいいんだよね?」

 円のマンションのリビング、いつものようにコーヒーを出しながら円は俺に照れながらそう言う。


「え? あ、うん、そ、そうだね……」

 

「えへへへ、じゃ、じゃあとりあえず……その、これ……」

 円はそう言って俺にそっとある物を渡す。

 

「………………ええええええええええ?!!」

 それを見て俺は大声を上げてしまう。


「ご、ごめんなさい……で、でもまだ……赤ちゃんは早いって思うから……」

 円は俺に円形の型をした物が入っている四角い物を手渡した。


「これって……ええええええ?」

 い、いきなり?! 

 あまりの展開に俺はまた頭が真っ白になる。


 世間知らずのお嬢様と陸上しかしらない俺の……二人の物語が新たに始まった。

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