第164話 キサラ先生の言葉
円が陸上部? マネージャー?
一体どうしてこうなったのか? 俺は理解出来ないでいた……。
陸上部に復活する為に、事前に会長と打ち合わせはしていた。
しかし、キサラ先生や円の話は一切出て来なかった。
「じゃ、じゃあえっと、ここにいる皆は殆ど知っていると思うけど、一応挨拶して貰えるかしら?」
気を取り直した会長は、俺との事前の打ち合わせ通りにそう言った。
「あ、はい、えっと……色々ありましたが戻って来ました、暫くは歩くだけの練習になります……えっと宜しくお願いします」
挨拶をもっと色々考えて来たけど、あまりの事に全てが吹き飛んでしまった。
そして部員の皆も突如現れた新任教師と元有名人に、今はそれどころではないという雰囲気で呆然としていた。
『パチパチパチパチ』
ただ俺が挨拶を終えると目の前に立つ灯ちゃんが満面の笑みでの拍手した。
その拍手の音で催眠術を解かれた様に皆も俺も落ち着きを取り戻す。
「えっと……一応春休み前にも話しましたが新1年生もいるので改めて言っておきますと、えーー男子陸上部と女子陸上部は今年から併合となりました。そして男子は彼を含めて現在4人です。ちなみに全員短距離です。ただ今日は休みで居ませんので……えっと練習は……」
会長は歯切れ悪く説明をすると顧問のキサラ先生を見た。
「ん?」
なんかキサラ先生の顔がうっとりしているのは気のせいだろうか? それはまるで恋する乙女のような表情だ……いや、でも違う、目だけは違った。
先生の目はギラギラとしていた。
それは獲物を捕らえる鷹のように鋭い目だった……。
キサラ先生のその目を見るに部活への本気度が伺える。
「えっと……ご指示は?」
いつもの強気な会長はどこへやら? キサラ先生から発せられる独特のオーラのような物に気圧されている様子だ。
「そうね、とりあえずいつも通りの練習を見せて貰おうかな?」
「あ、はい、そ、それじゃ各ブロック長中心にウォーミングアップを開始して」
「んーー? 各ブロック?」
会長がそう指示をすると、キサラ先生は不思議そうな顔で会長の指示を復唱する。
「え?」
「あーーごめんなさい、いつも通りって言っておいて、でもさあ、陸上って個人競技だよねえ? 種目もそれぞれ細かく分類されてるよね?」
「そうですけど……えっと……何がおっしゃりたいのですか?」
「いやね、例えばさあ、今3つのブロックに別れてるじゃない? まあ、多分短距離、長距離、投てき、だと思うけど」
「その通りですが?」
「うん、でもさあ……皆同じウォーミングアップで良いの?」
「え?」
「いや、例えば短距離ブロックで言うと走る人と跳ぶ人がいるよね? その人達が一緒に同じウォーミングアップっておかしくない? 長距離ブロックは中距離と長距離の人がいるよね? 投てきはやり投げと砲丸投げと円盤、それぞれ全然違う競技だよねえ? 特にやり投げって短距離要素が強いって聞いた事あるのだけど?」
「そ、それはそうですが、でも纏まりって物が」
「うーーん、それ必要?」
「チームワークは必要だと思いますけど」
「でも陸上ってさあ、個人競技よね」
「それはそうですけど」
「そもそもさ、試合の時皆一緒にウォーミングアップする?」
「競技の時間がまちまちなのでするわけ……」
会長はキサラ先生にそう言われハッとした顔に変わる。
「何の為の練習かって事よね? 本番を意識して練習しなければ意味なくない?」
「……それは」
「中等部で陸上部に属してない新入生が入部して来るのは明後日から、つまり今日ここにいる人は全員経験者って事よね? つまりは全員試合に出た事のある者達って事よね?」
「……はい」
「それで揃ってウォーミングアップする必要性ってある? それぞれ違う競技なのに?」
「……」
会長は何も言えなくなってしまう。
「今日の練習メニューはそれぞれわかっているのよね」
「……はい」
「じゃあ、そうね今日は1時間後にメインの練習を開始しましょう。それに合わせてそれぞれウォーミングアップしなさい」
「「は、はい……」」
部員達は会長や周囲をキョロキョロと見回し、覇気の無い返事をする。
「体育会系ってこんな気の無い返事をするの?」
「はい!」
そう言われ皆が揃って大きな声を出し、それぞれが素早く散っていく。
「あーー、それぞれって言っても上級生は下級生にアドバイスをするのよ?」
「は、はい」
2年3年、主に3年の女子が声をあげる。
「そして下級生も……その上級生の意見が違うと思ったらちゃんと言うのよ」
「え?」
下級生、主に2年生が驚きの表情でキサラ先生を見つめる。
「意見は交換するものよ」
「……」
「お返事は?」
「は、はい!」
そう言うと再びグラウンドに散っていく、そしてそれぞれウォーミングアップを開始し始めた。
「オッケー」
キサラ先生はニッコリ笑うと会長の頭を撫でた。
「明日からはメイン練習の開始時間を皆に知らせて、それに合わせてウォーミングアップを終わらすように通達すれば良いかな?」
「は、……はい」
会長は複雑な表情でキサラ先生に返事をした。
「ごめんなさいね」
「いえ……大丈夫です、じゃあ私も行きます」
「そうね、あとは宜しく」
「……はい」
そう言われ心底悔しそうな顔をする会長、会長のこんな顔を俺は見た事が無かった。
でも今キサラ先生が言った事は何も間違っていないって思う。だからあの強気な会長でもなにも言い返せなかったのだろう。
そしてそれは俺も前から疑問に思っていた事だ。
でもウォーミングアップは全体でやるって事が俺の中でも当たり前になっていた。
「それで俺は?」
「貴方は言われなくてもやる事はわかってるでしょ?」
「まあ、やれる事は殆ど無いので」
「あら、じゃあ貴方が円の教育をすれば丁度いいわね」
「「え?」」
俺と円が同時に聞き返す。
「だって、ここにマネージャーっていないでしょ? 誰かが教えないとねえ」
「いや、で、でも」
「陸上ってよく知らないけど、マネージャーがやるような事はあるんでしょ?」
「いや、まあタイムを読み上げたり、記録を記載したり、機材の準備したりする人は必要だと」
野球部マネージャーのように洗濯とかはしない。実際してるかは知らないけど……。
「ふーーん、じゃあマネージャーいない時は誰がやってたのかなあ?」
「え? それは主に1年生とか」
「ふーーん1年は競技者じゃないの」
「いや……あ、そう、後は怪我してる人とかがやってたりしてます」
「あっははははははは」
俺がそう言うとキサラ先生は突如笑い出す。
「え?」
「じゃあ丁度いい、今の貴方はマネージャーじゃない!?」
「え?」
「そもそもさあ、怪我をする時点で失格なのよね、まあどうしようもない事もあるけど、怪我の原因ってのはその殆どが本人や指導者の不注意なのよ?」
「いや、でも」
俺が納得いかない表情で彼女を見るとキサラさんは優しい表情でしかし厳しい目で俺を見つめながら言う。
「私は陸上の事は知らないけど……そうね、例えばさ舞台で穴を開けて、スタッフに大迷惑をかけて仕方ないで済ませられる? 何千人ってファンに迷惑をかけてしょうがないって言える?」
「それは……陸上とは……」
「なんでも一緒でしょ? 怪我の殆どは自分の不注意……そしてそれによって周囲に迷惑をかける……もしかしたら本人だけでなく誰かの人生までも変えるかも知れない……それが貴方にはわかっていない、だから」
「キサラ!」
円がキサラ先生に怒りの表情で声を荒げいつもの名前を呼んだ。
「……そうね……ごめんなさい、少し言い過ぎたわ」
キサラ先生が俺にそう言って素直に頭を下げた。
「いえ……」
「じゃあ、とりあえず円にマネージャーの仕事を教えておいてね、私じゃわかんないし~~」
キサラさんはにこやかな表情で手をヒラヒラとさせ木陰に置かれているベンチに座ると、再び目を爛々と輝かせ皆のウォーミングアップの様子を見始めた。
「えっと……気にしないで、ね?」
「……う、うん」
円は笑顔でそう言ったが、キサラさんのその言葉は俺の心に強く突き刺さっていた。
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