第162話 やりたかった事を……
制服姿で円と二人、手を繋ぎ並んで街中を歩く。
平日昼間、閑静な住宅街を抜け静かな公園に二人で入った。
「とりあえず誰もいない」
俺はキョロキョロと周囲を見回しそう呟く。
有名人の円、今日は変装もしていない。
「こ、こんな人気の無いところに連れ込んで……な、何をするつもり!」
「……」
「冗談よ?」
「わかってるっつーーの」
円のわざとらしい演技に俺は苦笑する。
そして一度深呼吸をすると感慨深げに円と繋いでいるお互いの手を見つめる。
今までずっと円の腕は俺の腕に絡まっていた。でもそれは付き合っているからでも、仲が良いからでもなく、俺の介助の為だった。
そして今、俺と円は手を繋いでいるだけ。
腕も身体も触れあう事は無い。今までと違い二人の間に距離が出来てしまっているのだ。
でも多分二人の距離は変わっていない……いや……むしろ少しだけ近づいたのかもしれない。
今、俺と円は手を繋いでいる。そしてこれは介助の為ではない。
俺と円の現在の関係、俺と円の距離。
勿論赤の他人ではない。この1年ずっと過ごして来た。
友達以上恋人未満、ある意味妹よりも、家族よりも深く過ごして来た。
だから俺が一人で歩けるようになっても、俺と円の関係は0にはならない
手を繋げる関係、ここが始まり、これからの始まり。
そして俺は今からある事を円に告げなければならない……。
「座ろっか」
何も言わず黙って突っ立っている俺に円は少し不安げな面持ちでそう言う。
「いや……立ってたい」
しかし俺はその提案にそう言って首を振る。
「そ……」
ようやく立てるようになったのだ、ようやく普通に歩けるようになったのだ。
円と二人で公園に佇む、しっかりと地面を踏みしめて。
そして……。
「それで……翔君はこれから……どうするの?」
痺れを切らしたのか円から話を振ってくる。
「うん……とりあえず……リハビリはまだまだ終わらないし、今はやっと歩けるようになっただけ……でも、やっぱり俺は走りたい……だから陸上部に入るよ、今度は選手として……」
俺にはそれしか無いから。
「そか……うん、そうだね」
円は複雑そうな顔で俺を見つめる。
でもこの先……円と並んで歩くには、何かが必要なのだ。
彼女は有名人……俺はただの一般人。
そして今日の本当の目的、俺はそれを言わなければいけない。
「だから……俺の事はもういいよ」
「え?」
「大丈夫だから……」
「それって……」
「うん……卒業の本当の意味、今日で円から卒業って意味……」
「ははは、治っちゃえば……もう用無しって事……」
円は力なく笑う、こうなる事はわかっていた。でもそれは違う誤解だ……いや……ある意味誤解ではないのかもしれない。
そうとらわれても仕方ない。
「いや……これからも勉強とか助けは欲しい……でもさ、これからは一日中付きっきりでいる必要はなくなる。だから今まで俺の為に使っていた時間を自分の為に使って欲しい……これからは円のしたい事をして欲しいんだ。 俺の為の高校生活だけじゃなく、自分の為に自分のやりたい事をして欲しいんだ」
「無いよ……やりたい事なんて……」
円は困惑した表情で俺を見つめる。
「た、例えば……戻りたいって思わないの?」
芸能界、テレビの世界……俺の手の届かない世界……。
「それは無いよ……それにそんなに甘いもんじゃない、学業に専念って言って1年で戻ったりしたら……」
「……そか……だよね」
「うん」
そう聞いて俺は少しホッとした。
勝手なものだ……そんな自分が情けなくなってくる。
円と繋ぐ手のひらが熱くなる。
お互いの身体の熱が手のひらから伝わってくる。
円の手が微かに震えていた。
俺はやっぱり残酷な事を言っているのだろうか?
でも、円にだってしたい事が、やりたい事があるんじゃないか?
「じゃ、じゃあ……部活……とか?」
「特に……無いよ……」
円は繋いでいた手を振りほどく。
その時俺にとてつもない喪失感が襲ってくる。
今なら訂正出来る。今ならまだ取り戻せる。円とずっと一緒にだらだらと過ごす幸福を……でもそれじゃ駄目だ駄目なんだ。
円はまるで体重がないかの様にふわりと一歩後ろに下がると困っている俺をじっと見つめた。
何か言いたげな顔、でも円何も言わずそのままうつ向くと何かを考え始めた。
俺もどうしていいかわからず黙って彼女の様子を見ていると、暫くして円は顔を上げを俺を見てニッコリと笑った。
「……うん、そうだね……翔君も忙しくなるし……私も……自分のやりたい事……探してみる」
円は笑顔でそう言った。でもそれは俺の為にと言っているかの様に聞こえた。
ずっと俺の為に過ごして来た。
1年もの間、いやそれ以上の間ずっと……俺の為に生活してきた。
だから今回も俺の為にと……円はあくまでもそう言っているのだ。
でも、それでも良いって俺は思った。
決して別れるわけじゃない。これからだって勿論連絡も取るし勉強だって助けて貰わなければならない。
だけど、それ以外の時間は自分のやりたい事をして欲しい……だからこれで良いって俺はそう思う事にした。
「うん」
少し寂しいけど、でも……俺は少しだけ安堵した。
これで……また一歩……近付ける、近付く事が出来るから……。
◈◈◈
そして新学期、高校2年が始まる。
2年でのクラス替えは無い。
俺は一人で教室に入る。俺が一人で歩いている事よりも円と一緒じゃない事に周囲がざわつく。
俺から少し遅れてギリギリに円が教室に入ってくる。
昨日はあれから言葉を交わす事は無かった。
やっぱり怒っているのだろうか。
そして相変わらず橋元とはギクシャクしている。
円も変わらずクラスでは孤高を貫いていた……そして俺に話しかけてくる事もなく。
そうなると俺もクラスでまた一人に、でも俺は慣れている、ずっと孤独には慣れている……いや慣れていた。
でも……今は……。
俺は放課後になると、円から逃げるよう教室を後にした。
自分から言い出した事なのに……つくづく自分の情けなさが嫌になる。
でも仕方ないと俺は気を取り直し競技場に向かった。
今日から陸上部に入部し練習に参加する。
今度はコーチではなく競技者として……正式に高等部の陸上部に所属する。
とはいえまだ走れるわけではない。
今はとにかく歩くだけだ……それでも競技場であの草とゴムの匂いの中で歩ける事に俺はわくわくしていた。
今日行く事は事前に会長とは打ち合わせ済みである。
皆には内緒にしてある、勿論灯ちゃんにもだ。
今日改めて皆の前で入部の挨拶をする……って事だ……ったのだけど……
「えっと……」
俺は会長を、いや今日は部長と言っておこう。
陸上部部長の袴田岬は、部員全員の前でなんとも言えない表情のまま俺の隣に立っていた。
この表情……そう、中等部時代、俺と初めてここで顔を合わせた時と同じ表情をしていた。
自分の力ではどうする事も出来ない、戸惑いの表情。
そして袴田部長をそんな表情にさせている人物がいた。
それは……俺、ではない。
俺のさらに隣にいる人物のせいなのは確定的に明らかだった。
「どうもーーー今日から陸上部の顧問兼コーチに就任した、長津田如月でーーす、キサラ先生って呼んでねん♡」
ものっすごくバカっぽく自己紹介するキサラさん……いや、キサラ先生。
えっと……そういうキャラで行くんだ……。
まあ、学歴の良さは皆の知る所、だからこれくらい砕けた方が親しみ易い……のか?
そしてさらに……驚く人物がキサラ先生の隣に立っていた。
「それでえ、この娘がマネージャー兼コーチ補佐の」
キサラさんは満面の笑みでそう言うと……その人物の肩に手を置き自分の前に押し出す。
「こ、こんにちは……白浜円です。そ、その……自分の……自分のしたい事をしに来ました。よろしく……です」
キサラ先生に肩を捕まれ全面に押し出された円は、テレビでも見た事の無いくらい緊張した面持ちで、恥ずかしそうに皆にそして隣に立つ俺に向け、そう……自己紹介をした……。
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