3部2章 自分の行く道

第159話 終わりの始まり。


 車椅子に乗ったお兄ちゃんが美人の看護師さんに押され手術室に入っていく。

 お兄ちゃんは手術室の扉が閉まる寸前、私と円に向け親指を立てサムズアップした。


 格好つけて、バカ兄貴。



 入室後、20分程経つと準備ができたのか手術室のランプが点灯する。

 私と円は二人で手術室前の椅子に腰かけ呆然と手術中の表示を見つめる。


 何故円がここに……なんて思ったが、この手術の全ての準備を整えたのは円。


 円はこの有名病院の入院手配、様々な新技術を輸入し担当医師と打ち合わせ、更には海外から専門医まで連れてきて医師団を結成させるというとんでもない事をやってしまう。


 円はこの日の為に1年以上を費やしてきたそうだ。

 入学前から、受験勉強をしながら、そして学校に通いながら情報を集め、全て精査し今出来る最高の医療を技術をお兄ちゃんに提供した。


 手術の内容を両親の代わりに聞いたが、正直説明を聞いても私にはちんぷんかんぷんだった。


 悔しい……勉強に受験に必死な自分が、お兄ちゃんの世話も出来ない自分が歯痒い。

 負けている……私は完全に負けている。顔以外……。


「今日はおとなしいね」

 隣に座る円は手術室を見たまたま私にそう言った。


「当たり前でしょ」

 ここは病院、円と喧嘩をするわけにはいかない。


「心配?」


「……当たり前でしょ」


「そうね……」


「円は心配じゃないの?!」


「やれる事は全てやったから……」


「だから失敗しても良いと?」


「意地悪ね、そんな事思うわけない……」


「……ごめん」

 そのときバタバタと手術室から看護士さんが出入りする。

 私は不安を隠すように膝の上で両手を握った。

 

「ふふ、素直ね」


「ふん」

 二人の話が止まると辺りが静まりかえる。

 静けさと同時に不安が込み上げる。

 早く終わって欲しい……でもちゃんと終わって欲しい。


 ただ事故で駆けつけた時よりは安心できる。


 あの時は頭が真っ白になった。心臓が締め付けられた。

 そして命に別状がないと聞いて心から安堵した。

 でもまさかその後こんな事になるなんて思ってもいなかった。



 お兄ちゃんはその命を助かった命を自ら捨てようとした。

 


 あんなに弱いお兄ちゃんになったのは私のせいでもある。


 うちは両親が忙しく私とお兄ちゃんは小さな頃から常に二人でいた。


 だから私とお兄ちゃんはお互い共存した。


 お互いを頼り励ましあって過ごして来た。


 そのせいで私とお兄ちゃんの間には普通の兄妹以上の信頼関係が作られていた。


 そして、その信頼関係を壊したのは……隣に座るこの女だった。


 お兄ちゃんはこの女を憎んでいた。それと同時に恋もしていた。それは見れば見ていれば直ぐにわかった。 

 お兄ちゃんは自分がどんな状態になっていても、こいつを見続けていた。

 

 私が止めてと言ってもお兄ちゃんはこいつをこそこそと見続けていた。

 あんな目であんな顔で……。


 多分それでお兄ちゃんは精神状態を保っていたのだろう、落ちぶれた自分を全てこいつのせいにして。

 そしてそれ以上に恋心を抱いてずっと見ていたんだろう。


 そんなお兄ちゃんを見ていてふと心配が過った。


 もしも二人が出会ったらどうなってしまうのだろうって……偶然に事故の日のように再び出会ったら。


 こっちから連絡を取る事は出来ない、円の母親の弁護士に止められている

 

 でも偶然出会ったら?


 ううん、大丈夫……お兄ちゃんと彼女は違う世界にいる。

 一人では中々出掛けられないお兄ちゃんと円に接点はない……。


 そう思っていた。そう安心していた。

 

 でも、違った……。


 こいつはこいつ自らお兄ちゃんの元にやって来た。

 そして私とお兄ちゃんの間に入り込んで来た。


 私とお兄ちゃんの信頼関係を破壊した。


 狡い、卑怯だってそう思った。

 そして悔しかった……なんで? ってなんでお兄ちゃんはこいつを? ってそう思った。

 

 

 お兄ちゃんはこいつが好き、でもまだこいつを憎んでいる。

 だから……今、その足枷を外そうとしている。


 互いにスタート位置に立とうとしている。


 それが始まったのだ。


「天ちゃん大丈夫?」

 

「……大丈夫に決まってる……」


「でも震えてる」

 そう言って円は私の手の甲に自分の手を添えた。


「さ、さわる……」

 その手を弾き飛ばそうと思った。

 でも、出来なかった。


 円の手は私よりも震えていたから。

 円の手は私よりも熱かったから。


 円に手を添えられて……私は安心してしまったから。


「円……私はあんたが嫌い……」


「知ってる」


「お兄ちゃんだって、あんたの事憎んでる」


「……知ってる」

 円はそう言って私の手を握った。

 

 暖かい手……そしてその手は、いや、身体は小刻みに震えている。


 お兄ちゃんが手術室内に入ってから1時間が経過する。

 中から時折カチャンカチャンと音が聞こえる。

 手術の音なのか? 私には全くわからない。


 時間が全然進まない、永遠とも言える時。


 手術はまだまだ終わらない。


 でも多分、私は終わって欲しくないって思っている。

 終わった所で何もかも元には戻らないのだから。


 お兄ちゃんの足も、私とお兄ちゃんの関係も、何もかも元には戻らないのだ。

 

 そして……始まる。


 この手術が終わったら……始まってしまう。

 お兄ちゃんとこいつの関係が。


 お兄ちゃんの新たな人生が……。


 その時私はどうなる?


 お兄ちゃんは私を必要としてくれる?


 この手術が終わったら……円とお兄ちゃん、なっちゃんとお兄ちゃん、そして……私とお兄ちゃんの関係はどうなるのだろうか?

 

 

 

 

 




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