第152話 まだまだこれから
「納得してくれた?」
さっきまでの殺気は既に消えた。
その態度は私に勝ったとそう言っている。
嫌な顔だ。翔君の事は何でも知っているとでも言わんばかりの自信に満ちた表情に私は苛立ちを隠せないでいた。
でも確かに、彼女に比べれば私と翔君の関係は始まったばかりだと言わざるを得ない。
彼女と翔君は兄妹同然とも言える時間を過ごしてきたのだから。
だけど、そんな事で負けているようじゃ、ここで彼女に言い負けているようじゃこの先やっていられない。
私は一人の人生を変えようとしているのだ。
責任を果たそうとしているのだ。
生半可な気持ちでは無い。一人の人生を変えるには自分の人生を全て費やす覚悟が必要。
私はその覚悟を持って今ここに来て、そして彼と接しているのだ。
時間の長さではまけている。
でも、深さでは負けていない……。
彼の為になんとか彼女を説得しなければ……と、そう思った時私の頭に一つの考えが浮かんでくる。
「ふふふ」
簡単な事だった。何故こんな簡単な事が思い浮かばなかったのだろうか? と、私は思わず笑ってしまう。
「何がおかしいの?」
さっきまで勝ち誇っていた表情で私を見ていた夏樹さんは、私が突然笑いだした為に不機嫌そうな顔に変わった。
ここでお互いの表情がオセロの様にひっくり返る。
そう、そうなのだ。夏樹さんは恐らく困っているのだ。
だからこのタイミングで……私に、声をかけて来たのだ。
「おかしいよね、だって、何故その話を私に言うの?」
「何故って貴女が……」
やはり言葉が止まった。今まではっきりと答えていたのに、ここで初めて彼女は口ごもった。
それを見て、その夏樹さんの態度を見て私は確信した。
「それは、翔君に言うべきじゃない? 翔君が嫌だと言えば私には何も出来ない、無理やり手術なんて受けさせられないのだから」
そう、そうなのだ彼女はそれを、その事を翔君に言えない。いや、言った所で、今希望満ちている翔君に、やる気を出している彼に相手にしては貰えない。いくら幼なじみでも、だから彼女は私にそう言って来たのだ。
「だからそれは、貴女が仕組んで……」
「そう、つまり、私の勝ちって事でしょ?」
「これは勝ち負けとかそう言う事を言ってるんじゃない」
「そうね、でも彼が納得して彼が手術を、治療を受けるって言うのを、今更私が止められる筈無いよね? 家族だと言っている貴女が翔君を止めるのが筋なんじゃない?」
「そこまで貴女の作戦?」
「だったら?」
「貴女を放置していたのは私のミスって事ね」
夏樹さんは首を振りつつコーヒーを一口啜った。
私も冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
危なかった、完全に言い負けていた。でもとりあえず一発返せたと思う。
とりあえず一旦落ち着こう……そう、これは喧嘩ではない。
彼女の話を聞いて私はそう思った。
二人の意見は対立している。でもお互い翔君の為に考えているって事では同じなのだ。
どうすればいい? 今翔君は私の味方だ。でも、この先はわからない。
夏樹さんと天ちゃんが二人で翔君を説得すれば、翔君はまた流されてしまうかもしれない。
そして……夏樹さんもまた……私が人生を変えてしまった一人なのだ。
どうすればいい? 彼女を説得するにはどうすればいい。
そんな時部屋の外からノックの音が聞こえてくる。
「はーーい」
夏樹さんがそう言うと扉が開いた。
「なつきいい? お風呂入んなさ、あらお友達?」
夏樹さんにそっくりの女性、一瞬お姉さんと思ったがその口調から母親と思える人物が顔を出す。
「あ、お邪魔してます」
「いいええ、夏樹が友達連れて来るなんて珍しい……えっと、でもどっかで会ったかしら?」
「……わかったから、入るから」
「ハイハイ」
私に気を使ったのか夏樹さんは立ち上がるとそう言って母親と思わしき人物を追い返す。
時間はもう深夜に近い……私はとりあえずここまでかとそう判断し、中途半端になったが帰ろうかと思ったその時、夏樹さんは挑戦的な目で私を見下ろしながら言った。
「とりあえず一度お風呂に入って仕切り直そっか?」
「……え?」
「着替えは私のでいい?」
「え? ちょっと待って、え?」
「話はまだまだこれからでしょ、時間が無いから一緒に入りましょ」
そう言うと夏樹さんは手早く着替えを用意する。
「いや、えっと……」
お風呂? 確かに今日は1日歩き回ったので身体は汗でべたついている。
でも一緒にって……えええ?
「ふふふ、自信無いの?」
戸惑う私に夏樹さんはニヤリと笑いながらそう言った。
カチーーン、は? 誰に向かって言ってるの? 確かに見た目夏樹さんのプロポーションは良さそう。でも私だって負けていない。
「いいわ」
私はそう言うと立ち上がり夏樹さんに対峙した。
私達の第2ラウンドは、何故かお風呂場に移行する。
彼女は一体何を考えているの?
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