第153話 ここにもまた一人


 さすがだ……多分合宿で慣れているのだろう。

 自分の家のお風呂場って事もあって、脱衣場であっさり着ている服を脱ぐとさっさと浴室に入って行く夏樹さん。


 まあ、私もね、まだ小学生だったとはいえ、あのキサラと一緒に地方を回っていたし、一緒にお風呂に入った事も一度や二度ではなかった。

 今考えるとゾッとするけど……。


 でも、一瞬見たけどさすがのプロポーション、筋肉フェチの翔君が大好きそうな身体。

 容姿には自信がある。でも、翔君が好きかどうかで考えると自信は無い。

 彼女は彼の憧れの人なのだから……。


 それを見せつけようとしているのだろうか? そう思うと脱ぐのを躊躇う


 まあ、今更躊躇している場合じゃない。

 私は髪を纏めると、一気に服を脱ぎ、一応用意して貰ったタオルで身体を隠しつつ浴室に入った。


 夏樹さんは身体を軽く流し、私を一瞥すると「どうぞ」と言って浴槽に入った。

 そしてニコニコと笑いながら私を見つめる。


 うーーん、なんか品定めされているようなそんな目線で見られているような……。

 とりあえず恥ずかしがっている場合では無い、一応汗を流し身体を軽く洗う。

 そして彼女の隣に、恐らく一般家庭の割には大きな浴槽に身体を沈めた。


「昔、ここに3人で入ったんだよね、あまねっちと、かーくんと……」

 

「へえ……」


「今は流石に無理だよね」


「高校生3人でお風呂とかどんな関係よ」


「あははは、勿論大きさ的にって事だよ」

 それだけ歴史があるとでも言いたいのだろうか? お風呂なら私だって入った事をあるし……言わないけどね。

 それにしても、彼女の目的は一体なんなのだろう? いまいち彼女の考えが読めない。

 こういう時は回りくどい事はせずストレートに攻めるしかない。


「それで……この目的はなんなの?」

 

「目的ねえ、どうもさ、円さんは色々と考えすぎな傾向があるね」


「考え無しで行動するなんて愚の骨頂でしょ?」


「そうかなあ、アドリブって大事だと思うけど?」


「アドリブだって経験の積み重ねでしか無いわ」


「そう、じゃあこうするとどうなる?」

 夏樹さんはニヤリと笑うと唐突に私の胸を触って来た。


「ひ!」

 その瞬間私は浴槽の端に後退りする。

 湯船からお湯がザブザブと外に漏れ出す。


「あははははは」

 してやったりと、夏樹さんは屈託の無い顔で笑った。


「な、何を」

 まずい、これでは完全に夏樹さんのペースだ。

 お風呂に入らせたのはそういう事かと、私は後悔した。


「それじゃ、のぼせる前にディスカッションの続きを始めよか」


「……いいわ」

 ディスカッションというよりもディベートだろう。

 そんな細かい事は言わないが。


 自宅のお風呂場、優位に立った状態でそう言ってくる辺り、やはりこの人は侮れない。

 スポーツで鍛えた精神力なのだろう。

 走り高跳びって競技は駆け引きが重要だと聞いた事がある。

 相手にプレッシャーをかけたりするのは得意って事なのだろうか?


 まだ決め手は出していない、どこかで勝負をかけてくる筈。

 どこまでも油断出来ない相手。


「かーくんの足をある程度治す、完全には治らない、当然リスクも高い、それでもやるって言ってるのは何故」

 

「彼をもう一度走らせてあげたい、彼だって走りたいって思ってる筈よ」


「そして以前の様に走れない事を知る事になる」


「それでも走れないよりは……」


「ふふふ、言い訳多いよね、かーくんて……逃げる事とか人に頼る事ばかり考える、でもあれって昔からで今更治るとは思えない、そしてね、唯一逃げなかったのが陸上なの、100mって言う競技なの」

 また昔話? 彼がそういう性格なのは私だって知っている。


「だからそれをまた」


「私達競技者って、完璧を目指すの……中途半端な考えであんなに練習出来ない、だから限界まで行くと引退する……頂点を極めれば極めた人程、きっぱり辞めるんだよね」


「彼だってまだ極めたわけじゃ……」


「そうね……そしてもう以前よりも良い走りは出来ない、小学生の時よりも早く走りはしない、手術をしても彼の完璧だった頃のパフォーマンスには到底及ばない……それをあえて教えてあげる必要なんて無いと思わない?」


「で、でも」


「パンドラの箱に残っていた最後の希望ってある意味残酷なのよね」


「夢を見せるなって言いたいわけ?」


「夢は他で見せてあげたい、可能性のある夢を」


「それって何よ?」


「指導者としてのかーくん」


「指導者って、そう簡単になれるわけ無いじゃない」


「なれるよ、簡単に」


「どうやって」


「自分の子供の指導者なら簡単になれるでしょ?」


「え?」

 唐突にとんでもない事を言い出す彼女に私は思わず聞き返す。


「才能ある子の、そうね例えば、お父さんが元100mの記録保持者、お母さんが走り高跳びのトップ選手でバスケのオリンピック候補、その二人の子供なら、なんにでもなれそうじゃない?」


「は?」

 あまりの突飛な意見に、何を言ってるのか私には一瞬わからなかった。


「野球でもサッカーでも、体操でも、なんでも出来そうな子供が授かると思わない?」


「ちょっと待って貴女は」


「私とあまねっちはそんな話ばっかりしてたよ、かーくんが怪我をしてから」


「そんな、人は競走馬じゃないんだから」


「そうね……でも、それが夢って事じゃない? 可能性の高い将来の夢、今からかーくんを走らせても決して見れない夢を子供に託すの」


「ばっかじゃない? 子供が親の言う通りに育つとでも思ってるの?」


「理想と現実の違い位わかってる、でも可能性のある未来だとは思うけどね、少なくとも今からかーくん走らせるよりも、ね」


 頬を赤らめそう言う彼女、その顔を見てさっき思った自分の考えが頭に浮かぶ。

 一人の人生を変えるには自分の人生をかける覚悟が必要だと。


 そんな狂った考えを持っている人が、わたし以外にいるという事に驚きを隠せないでいた。


 彼女は彼の子供を産み育てる事まで考えているのだ。


 狂っている……そしてそうさせたのは、こんな考えを持つようにしてしまったのは他でも無い自分なのだ。


 ここにもまた、自分の被害者がいた事に、私はどうしていいのかわからなくなってしまった。


 

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