第136話 全てが手に入る


「ただいまあ……」

 扉を開けると見た事も無い広さの玄関が広がる。多分僕の部屋よりも広い……。

 ウォークインの下駄箱、大理石の床、ホテルの入り口に飾られる様な花。

 テレビでも見た事も無い世界がここにあった。

 

 灯ちゃんは廊下の先に向かって大きな声でそう言うも、当然誰の返事も無い。


「あれえ? いないのかなあ?」

 ……どこか白々しいセリフに聞こえる……。

 灯ちゃんは大理石の扉開けそこから真っ白いフカフカのスリッパを取り出すと僕の前に差し出した。

 僕はのそのそと靴を脱ぎ、玄関を上がりスリッパを履くと灯ちゃんは僕の手を握った。


「こうすればいい?」


「あーー、うん……ごめん」

 杖を玄関に置くと、灯ちゃんに手を引かれそのまま廊下を歩く。


 杖を玄関先に置くと、足を取られない様に慎重に歩く。

 綺麗な絨毯が敷かれる廊下を家とは思えない距離をゆっくりと歩き、部屋の中とは思えない豪華な扉を開くと……そこはとんでもない大きさのリビングだった。

 生活感の全く無いリビングには高級そうなソファーと高級そうなテーブルがいくつか並んでいるだけ。

 そのテーブルにはリモコン置かれれいるので恐らくは全て格納されているのでは? と推測出来る。

 

「景色だけは良いんですよねえ」

 部屋に入ると灯ちゃんは部屋の電動カーテンのスイッチを押した。

 軽いモーター音と共にカーテンが開く。見た事も無い程の大きな窓ガラス、そしてその向こうには円のマンションの景色よりも凄い景色が広がっていた。


 円のマンションが東京タワーなら、こっちはスカイツリー、そのくらいの差を感じる。


「まあ、3日で飽きるんですけどね」

 一度は言ってみたいセリフだ。


「凄いね……」


「あははは、お茶を持ってきますね」


「あ、うん、お構い無く」

 とんでもなく広いリビング、そしてとんでもない景色、何か色々と錯覚してしまいそうになる。


 僕は外が一望出来るフカフカのソファーに腰を下ろす。

 何か神にでもなった様なそんな気分になる。


 その景色を眺めていると、僕の中の不安が少しずつ消えて行く。


 円に捨てられるかも……という不安が……。


「せーーんぱい! どうぞ!」

 景色に見とれていると、灯ちゃんは僕の頬っぺたに冷たい物を押し付けた。


「うお!」


「スポドリで良いですか?」


「あ、ああ、うん」

 こういう時は紅茶かコーヒーじゃない? とは言えず、僕はそれを受けとる。

 灯ちゃんは同じスポドリのキャップを捻りながら、僕の隣に座った。


 いつの間にかラフな格好に着替えている灯ちゃんの肩が僕の肩に密着する。


「えへへへ……こうやって好きな人とこの景色を眺めるのが、夢だったんですよねえ」

 

「ふーーーん…………え?」

 今……なんて? 僕は一口飲んだスポドリを吹き出したくなるのをこらえ、景色から灯ちゃんの方に視線を移した。


「あはは」

 灯ちゃんは笑顔で僕を見る。

 これって……告白? いや、好きにも色々あるし……。


 戸惑う僕を見て灯ちゃんは真剣な顔で僕に向き合うと、太ももの上に手を置く。


「先輩はあいつと付き合ってるんですか?」


「え? いや、付き合ってはいない……」

 あいつが誰かとは勿論聞かない、そして勿論付き合ってはいない。


「じゃあ……好きなんですか?」


「……」

 灯ちゃんにそう聞かれ、僕は即答出来なかった。

 そう聞かれ、様々な感情ぐるぐると頭を過る。

 

 喜怒哀楽……愛しさ、憎さ、感謝、裏切り。


 円に対する思い……好きとか嫌いとか……そんな単純な話ではない。


「先輩って、真面目ですよね」

 灯ちゃんはじっと僕の目を見つめ、そう言った。


「真面目……そうかな……」

 

「ですよ、ここは嘘でも、嫌いだって言えば良いんですよ」


「言ったらどうなるの?」

 僕は真っ直ぐに灯ちゃんを見つめそう聞き返す。


「先輩の欲しい物が……全部手に入りますよ」

 そう言うと灯ちゃんは僕の肩に手をかけ、そのまま僕を押し倒した。


「あ、灯ちゃん?」

 僕の練習メニューを忠実に守っていたのか? 灯ちゃんの腕の力強さにあっさりと押し倒される僕。

 灯ちゃんは押し倒されソファーに寝転ぶ僕の上にのし掛かる。


「先輩……」

 恍惚とした表情で灯ちゃんはゆっくりと僕に顔を近付けてくる。

 逃げられない……でも……逃げる意味なんてあるのか?

 僕はさっきの灯ちゃんの質問をもう一度自分に投げ掛ける。


 そして自問自答する。


 円だって今頃……だったら僕だって……。

 僕は灯ちゃんの首に手を回し、そのまま灯ちゃん自分に引き寄せようとしたその時、突然ソファーの後ろから声が掛かった。


「はーーーい、そこまでーー!」

 その声に僕は我に帰る。


「おおおお、お姉ちゃん! きょ、今日は遅いんじゃ!」

 灯ちゃんはその声を聞いた瞬間、物凄いスピードで僕の上から起き上がる。


「斎藤さんからメッセージもらって帰ってきたの」

 ソファーの背もたれに手を置き中腰で僕たちを交互に見つめ笑いながらそう言う生徒会長兼女子陸上部キャプテンの岬。


「いらっしゃい、宮園君」

 そして僕に向かって満面の笑みでそう言う岬……でも目は全く笑っていない。


「お、お邪魔してます……会長」

 僕はソファーに寝転んだまま、会長に向かってそう挨拶をした。


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