第133話 聞いてないよ


「モテモテですなあ」

 円は僕に向かって少し不機嫌にそう言った。


「モテてないし」


「え~~~~女子に囲まれて随分とご機嫌だったんじゃない?」

 嫌味にも感じる円のセリフ、でもあの子達は僕に興味があったわけじゃなく、ダイエットに興味があっただけ。

 そしてよくもそんなセリフを僕に向かって吐けるなと、そう思ったが橋元だけじゃなく何万人とファンがいたであろう円にそう思うのは少しおかしい。


 いや、それでもやっぱり橋元との行動は気になる。

 その場で断るって思っていたのに、一瞥して終わりと思っていたのに。

 僕の前での裏切り行為……いや、別に僕と円は付き合っているわけではないし、円は僕の物でもない。

 そんな事はわかってはいる。いるんだけど……色々と府に落ちない。


 ああ、僕は何を思っているんだ……。


 この不安な気持ち、そう、これは妹を失うかもって思ったあの時と同じ気持ち。

 違う、これは……決して恋とかじゃない。


 僕は円を必要としている。 それはこの際認めよう。


 そして対等な立場になりたいとも思っている。


 でも……対等な立場になって……それから?


 まさか告白するとか? 


 僕と円はそんな関係ではない……お互いにそれを求めてはいない筈。


 でも、だけど……それに興味がないわけではない。

 むしろ……。

 

「そ、そういえば、今日橋元と二人で教室を出て行ったよね、な、なんかあったの?」

 もうこうなったらあえてストレートに聞こうと、僕は問題を解きながら何気なく聞く。


「…………」

 返事がない……ただの屍のようだ……いや、違う、そうじゃない。

 僕は目線を参考書から円に移した。


 円は……焦った顔をしていた。どこか挙動不審な、そんなわかりやすい狼狽えかたをしている。

 あのいつも冷静で物事に動じない円らしくないその不審な動きに僕は思わず動揺する。


 え? ま、まさか本当に?。

 しかし、ここまで聞いて引き下がることもできず、僕は円に再度問いかける。


「えっと、円? どうかした? 橋元に何か言われた?」

 すると円はゆっくりと僕に振り向くと、ニッコリ笑う。


「えっと……別に、なんかこの間応援ありがとうって言われただけで……」


「だけで?」


「あ、うん、それだけ、特には……あ、ほらほらそんな事より、この問題、ここ重要だから」

 そう言って問題を指差すと無理やり勉強モードに切り替えた。


 円の不審な行動、そしてこの誤魔化し方に僕の不安は膨れ上がる。

 まさか……でもだとしたら? そう……僕には彼女を止める権利はない。


 僕はそれ以上、円に聞く事は出来なかった。


 

 ◈◈


「せーーーーーーんぱい!」

 翌日、帰宅する際、ついに灯ちゃんに捕まってしまう。


「あ、おひさ」


「あ、おひさ……じゃないですよ! どうしてメッセの返事くれないんですか?!」


「い、いやあ、僕も色々忙しくてね……」


「陸上部の皆が先輩を待ってるんですよ!」


「待ってる?」


「そう、ほら見て下さいよ私の体型」

 灯ちゃんは着ていたジャージのチャックを下ろしユニフォーム姿を僕に見せつける。

 可愛い後輩に、いきなりそんな事をされたら大抵の男子は動揺するだろう。

 でも、ユニフォーム姿なんて慣れている僕は、平然と彼女を見つめる。


「へえ、引き締まったねえ、今なら体脂肪率10台前半でしょ?」

 身長や骨格にもよるが、体脂肪率は一般男子で10~19%、女子で20~29%が標準とされている。

 しかし、競技にもよるが陸上選手の体脂肪率は男子で10%以下、女子で20%以下じゃないと全国クラスには入れないとさえ言われている。


 特に女子は脂肪が付きやすいので、体脂肪率を落とすのはかなり大変な作業を要する。

 これはダイエットの時にも言ったが、ダイエットとは体重を落とすのではなく、脂肪を落として筋肉を増やす事であり、体重を落とすのは減量である。


 陸上競技に減量の意味は殆んど無い。柔道やレスリング等、体重により階級が変わる様な場合は必要だが、陸上に関して減量は悪影響でしか無い。


 基本陸上のトレーニングは過酷だ。そんなトレーニング故に、水分を落とすとあっという間に脱水症状になりかねない。

 なので、水分を落とさず脂肪を削ぎ落とし筋力を上げる事が大事となる。

 特に短距離はそれが重要で、脂肪というのは短距離にとっては重りにしかならない。

 長距離、マラソン等長い距離を走る場合は体脂肪を落とし過ぎると走りに影響が出たりもするので一概に落とせば良いって物でも無いのだが。


 短距離でも落としすぎると練習や生活に影響してくるので試合に合わせて調整をしたりする。


 灯ちゃんの身体は夏合宿の時よりも一回り以上引き締まっていた。


「体型もそうですけど、皆の記録、凄く伸びてるんです!」


「……そっか、良かった」

 大会の結果は逐一確認していた。そしてそこで一部の子達が自己新記録を出している事も知っている。でもそれはほんの一握りの結果でしかない。

 長距離班は駅伝に向けてこれから本格的にトレーニングを開始する筈だ。

 

 僕の知らない、わからない情報を灯ちゃんから聞き胸を撫でおろす。


「先輩! 陸上の皆待ってますよ!」


「え?」


「先輩の事悪く言う人はもういないです!」


「そ、そか……」


「だから帰って来てくれませんか? お姉ちゃんも私も、皆先輩を待ってます」

 真剣な眼差しで灯ちゃんは僕にそう言った。

 近くで夏の終わりを告げる様につくつくぼうしが鳴き始める。

 

「うん、まあそのうち……」

 そんな風に言ってくれているのに、僕は心ここにあらずな状態でそう返事をしてしまう。

 なぜなら野球部のグラウンドで、1年生が走り始めたから……。

 でもそこに、橋元の姿は無かった。


 そして、さっき円からメッセージが届いていた。


『急用が出来たので、週明けまで勉強会は中止でお願いします、ごめんね、でも課題はやっておくように!(`・ω・´)シャキーン』


 シャキーン? いやそこじゃない……円の急用って一体……そう言えば今日教室での橋元の様子もちょっとおかしい気がしていた。


 週明けまで? まさか二人で?


「先輩? ねえ先輩?」


「え? あ、うん、何?」


「良いですか?」


「え? あ、うん」


「やったああ!」

 

 僕の前で諸手を上げて喜びを表現する灯ちゃん、やった? 何が?


「じゃあ日曜日、9時に駅前でね!」

 灯ちゃんはジャージのチャックを閉じると僕に手を振りながら美しい走りで陸上競技場の方に走り去って行った。


「え? 日曜日?」

 僕はその場で立ち尽くし呆然と灯ちゃんを見送った。

 円と橋元の事が気掛かりで、灯ちゃんの話を全く聞いていなかったので日曜日に駅前で何をするのか全くわからなかった。

 しかしその謎は直ぐに解けた。


 その場からいなくなた数分後灯ちゃんからメッセージが届く。


『先輩とのデート楽しみです! お洒落して行きます! ♡♡♡♡♡』


「……え? デート? は?」





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