第113話 絶叫


 唐突だが今、僕と円は野球場のスタンドににいる。


 全国高等学校野球選手権西東京大会準々決勝

 我が校は初のベスト8に進出した。


 僕の怪我により、陸上に見切りをつけた学校は……その後サッカー部と野球部に力を入れていた。

 そしてその期待を一身に背負った野球部は今年ついに甲子園まであと3つ勝てばという所までやって来た。

 

 そして現在うちの野球部の大黒柱となっているのは、橋元 勇、僕のクラスメイトだ。

 今や彼は1年生ながらエースで4番という怪物となりつつある。


 橋元の事は中等部の頃からよく知っている。彼は僕と同じ体育推薦でこの学校に入学した。

 でも橋元は当初それほど期待されていなかった。

 中等部1年の頃は目立った存在ではなかった。

 身長もそれほど高くなく、ギリギリレギュラーになれるかどうかという位置にいた。

 当初橋元は切り込み隊長宜しく先頭打者で内野安打を狙う、そんな打ち方だった。

 しかし足の遅さ故にあまり上手く行かず悩んだ末に橋元は僕に速く走るにはどうすればいいかと相談を持ち掛けて来た。

 僕もなんとかしようと彼に走り方を教えていたが、橋元は直ぐに僕の所に来なくなってしまった。


 後から聞いた話によると、僕と練習を始めてすぐ彼は膝に異常を感じる様になったそうだ。


 体育推薦、しかもギリギリのラインで入った彼はそれを隠しつつ練習をしていたが、すぐ監督にバレてしまう。

 嫌々ながらも監督に命じられ病院に行った結果……それは成長痛と判明した。


 そして彼はそれから信じられないペースで身長が伸び、現在は野球部の中でも一番の大男になった。


 以前に言ったかも知れない、才能とは身長だという事を。

 走り高跳び同様、野球も身長が高い方が有利と言われている。


 高い身長から腕を振り落とし投げる球は、とてつもなく打ちづらい。


 大きな体格を手に入れた橋元は、豪速球と遠くに飛ばす能力を手に入れメキメキと頭角を表し、今や全国に知られる様な選手になった。


 そんな存在になった今でも橋元は僕を気にかけてくれる。

 膝の痛みで一時は僕と同じような事になるかもと思ったからなのだろうか?

 

 そんな、いつも橋元から貰ってばかりの僕はせめて一度くらいは応援しようと、この試合日に合わせ1日、正確には2日早く合宿から帰って来たのだ。

 ちなみに円がなぜか声優もどきのような事をやっていたのか、結局詳しくは聞いていない。

 この後すぐに行く沖縄に絡んでいるようだけど……。



 準々決勝、相手は今年優勝候補だ。

 昨年の甲子園ベスト16、2年連続出場、過去春夏10回出場の強豪校。


 僕は朝から円と二人で橋元の応援に駆けつけた。


 駆けつけたんだけど……。


「駄目だね……多分」


「え?」


「全然駄目だよ」


「何が?」

 うちの学校に応援団はいない、チアリーダー部もない。

 なので学校の応援はブラバンが中心で行う。

 

 ブラバンや周囲の生徒を横目に、僕と円は少し離れた場所でグラウンドを見つめていた。

 そしてそこから練習風景を眺め僕は少し残念そうに言った。


「うちの学校は声出して走ってる……」


「駄目なの?」


「うん、あんなにだらだら走って、しかも大声で怒鳴って……なんの意味があるんだ?」


「野球部のウォーミングアップってあんな感じじゃないの?」

 円は麦わら帽子の位置を少し上げ選手を見返す。


「だとしたら意味ないね」


「ふーーん、そうなんだ」

 そんな円に僕は説明を続けた。

 

 だらだらと集団で走る意味なんて無い、それぞれのポジション毎にアップ方法は変わる筈、陸上で長距離と投てきが一緒にウォーミングアップするようなものだと。


 それに加え声を出すと呼吸が乱れる。集中力が散漫になる。


 相手チームは声なんて出していない。ランニング等は球場に入る前に終わらせていたのか、練習開始と同時にキャッチボールを始め、続いてノック、ベースランニング等でグラウンドの状態を確認していた。


 うちのチームはやたら声を出しランニング、そしてこれも大声を出しキャッチボール、適当にベースランニングをして最後にノックで終わらせていた。


「ベースランニングに真剣身が無いし……」

 なぜあんな大回りで回るんだ? ベースの蹴り方、走り方、全てなってない。

 そして走ってる最中まで声を出す始末。

 

 陸上部もそうだけど、部の歴史が古いと伝統とか言う名の、無駄な練習方法が跋扈したりする。

 遅刻や挨拶が無い等で先輩からしごきという名の制裁を受ける。


 例えば……腕を肩の高さまで上げそのまま1時間耐える。腕立て伏せ100回を大声を出しながら数を数え、一度でも声が小さければやり直させられる。うさぎ跳びや空気椅子等、そんな馬鹿丸出しの練習を強要したりする。

 

 根性練習なんて全く意味は無い、スポーツは科学なのだから。


 うちの学校は常に声を出していた。走る時も守る時も……でも声出しなんて全く意味はない。

 気合い? なにそれ美味しいの? スポーツに気合いなんて必要ない、むしろ無駄だって僕は思っている。

 

 スポーツは練習が全てなのだ。

 高校生という限られた時間、いかに効率良く練習するか、それが全てなのだ。


 強豪校、強豪チームはそれがわかっている。

 無駄な事は極力省く、いや、昔はそれで良かったのかも知れない。

 昔は根性練習で人を落としていく、そしてそこから残った者がレギュラーを掴む。

 選手が何百人といた時代ならそれが必要なのだろう、でも今はそうではない、そんな時代ではない。


 だからわかってしまう。

 練習内容で実力が僕にはわかってしまう……陸上部同様に。


 しかし、陸上とは違い野球というのはやってみなければわからない競技だった。

 全国クラスの才能があるとはいえ、橋元はまだまだ1年、彼のストレートはことごとく打ち返され毎回ランナーを出すが、要所要所で野手の正面に球が飛び、かろうじて失点を免れていた。


 僕が思っている程に圧倒的な戦力差はなかったからだろうか? それとも橋元の実力が思っていたよりも勝っていたのか、点は入らず0対0で試合は9回まで進んだ。


 盛り上がる応援、これはひょっとしたらなんて思っていた矢先……汗で滑ったのか、橋元が投げた力の無い球はど真ん中に。

 沸き上がる歓声と悲鳴の中、金属バットの高い音を残して打球はスタンドに吸い込まれて行った。


 それでも最後の力を振り絞り後続を抑え残すは9回裏、打順は先頭バッターから、一人出れば橋元まで回る。


 そして先頭打者の3年生は粘りに粘って四球を選んだ。


 ダブルプレーが無ければ橋元まで回る。

 盛り上がる歓声、僕も全身に力が入る。


「頑張れ頑張れ……」


 しかし、敵はここで初回から投げていた背番号10番に変え、温存していたエースを投入した。


 橋元に勝るとも劣らない速球、とんでもなく切れるスライダー、2番、3番をあっさりと三振に切って取る。


 そして4番橋元がバッターボックスに、僕は拳を握り締めた。

 応援しなければ、いつもの恩返しをしなければ……そう思うも声が出ない。


 橋元は初球から思い切り振った。

 打球はポールスレスレでファールスタンドへ、どよめくスタンド、そして続く球もファールになり、2ストライクと追い込まれる。


 一旦打席を外し、何度か素振りをする橋元、僕は息を思い切り吸った。

 

 そして……「うてええええええええええ! はしもとおおおお!」

 周囲の応援、ブラスバンドの音よりも大きな声が……僕の隣から発せられた。

 元アイドル歌手の声量は橋元の元まで届いたのか? 橋元はこっちを一瞬見ると、ニヤリと笑った。

 

 バットを何度か握り締め、再びバッタボックスに立つ橋元。


 そして、次の球を上手くセンター方向に弾き飛ばした。


 1塁ランナーは打ったと同時にスタートを切る。

 外野の深い所、とりあえず同点にと思ったその時……「アウト!」のコールが球場に響き渡った。


 センターから中継されたボールは、ホームではなく2塁へ送球、1塁ランナーがベースを踏む前に橋元がアウトになってしまった。


 その場でへたり込む橋元を他所に喜びながらホーム上に整列する相手チーム。


 チームメイトの何人かが橋元の元へ駆け寄り彼を抱き起こす。


 号泣する橋元……。


 よろよろと肩を抱かれホームに整列すると、ゲームセットの掛け声が掛かる。


 鳴り響くサイレン……。


 まだまだ暑い日差しの中、橋元の夏が終わった瞬間だった。


「……ごめんね」

 円はそう言うとポロリと涙をこぼす。

 彼女は僕の顔を見てそう言ったのだ……悔しそうな僕の表情を見て……。


 橋元がアウトになったからじゃない、野球部が負けたからじゃない……その僕の悔しい気持ちを、理由を、円は理解したから……。


 僕は膝の上でハンカチを強く握り締めている円のその手の上に自分の手を重ねた。


 円の手はとても熱くそして……少しだけ震えていた。

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