第111話 お約束?


 僕は新幹線の車窓から無気力に外を眺めていた。

 ……あっという間に後ろに流れる風景に人間の無力さを、そして走る意味ってなんだろうかと考えてしまう。


 そんな現実逃避の様な事を思ってしまう自分の、そんな情けない気持ちを押さえるように、僕はバッグから箱を取り出し、慎重に中身を手に取る。

 

 窓から差し込む日に照らされ、それはキラキラと光り輝いていた。


 手のひらに乗る大きさの、小さなガラス細工。


 円へのお土産くらいは買おうかと、駅前のお土産でチックそっくりのガラスで出来た犬の人形を買った。


 キラキラと光るガラス細工、はっきり言って安物だ。

 お金持ちの円がこんなので喜ぶのかなと不安に駆られる。



 でも、確信までとはいかないが、多分きっと喜んでくれるだろう……。



 僕は一人合宿を終え帰宅の徒についていた。


 昨夜、夏樹へのマッサージをあらぬ事と誤解され、大変な事になるところだった。


 先生は自分の引率時に大変な事をと嘆き、会長は怒りに満ちた表情で僕を蔑み、灯ちゃんはその場で泣き崩れた。


「いや、誤解だから!」

 何故か放心状態の夏樹を揺り起こし、事情を説明する。

 あくまでもマッサージだからと必死に説明したが、結論的には下着になるのはアウトって、事になった……。


 とりあえず、会長と灯ちゃんはそれで一先ず落ち着いたが、先生は学校に報告するとかなり息巻いていた。


 なので仕方なく僕は先生に耳打ちした。


「合宿先で泥酔は報告しなくていいんですか?」 

 先生は一瞬キョトンとした顔で僕を見つめる。そして何かを思い出したのか一瞬で真っ赤な顔になると……「と、とりあえず……今回は見逃してあげるわ、ただし貴方は……き、危険だから、明日帰宅を命じます!」


 元々とある予定で皆よりも早く帰る予定だったので、それが1日早まっただけだが、僕はその命令を素直に受け止め、帰宅を決断した。


 しかし中途半端に帰るわけにもいかない僕は、とりあえず朝までに残りの練習メニューを作り、徹夜状態で宿を後にした。


 ちなみに夏樹は今日の顛末を翌日詳しく聞く為にと、小笠原との約束があるとの事で僕とは別に帰宅する事になった。


 そんなわけで一人寂しく新幹線に乗るが……実は内心ホッとしていた。


 プレッシャー、環境、注目、妬み、嫌み、嫉み、そんな重圧から1日早く解放され、少し情けない理由だったが、僕は本当の所浮かれていた。


 1日早く円に会える……そう思ったら沸々と嬉しさが込み上げてくる。


 嬉しい? そうか、僕は嬉しいんだ。


 陸上競技に携わる嬉しさよりも、円と一緒にいる楽しさが勝っているのに気付き思わず笑ってしまった。


「円……」

 ただ……一つ気掛かりがあった。

 毎晩のように来ていたメッセージが、何故か昨日の夜は来なかった。

 昨晩は僕も色々あって、それに気づいたのは今朝の事なんだけど……。


 必ず『お休み』と円がメッセージを送ってくる。

 そして僕も『お休み』と、返信する。 それが夏休みの日課になっていた。


 一抹の不安が頭を過る。

 もしかしたら……。


 円は芸能界にいた。僕は陸上ばかりでそういった事には疎かったけど、でも円を知って、円に注目するようになってからは、色々と芸能ニュースが目に入るようになる。

 誰が誰と付き合っているだとか、結婚、不倫、離婚なんて情報も毎日の様に入ってくる。

 格好いい男性と美しい女性、きらびやかな世界、そんな環境の中に幼い頃からいたんだ……円もひょっとして……。


 いつもそう思っては……僕には関係無いとその思いを振り払う。

 僕たちは付き合っているわけではない。


 『円は僕のものではない』


 でも……だからと言って、誰かのものになるのには少し抵抗がある。


 いや、既にもう……誰かのものなのかも知れない。


「いや、別にそうだとしても問題はない、でもそうならそうとはっきりさせないと……ほら挨拶とかした方がいいよね」


 もしかしたら円は僕に気を使って、彼氏の存在を言わないのかも知れないし……。


「べ、別に……お土産を渡すだけだし、部屋の鍵も貰ってるから連絡しないで、そっと入ってもいいよね」


 脅かすだけ、早く帰ってきたよって、そしてお土産を渡す……ただそれだけ……他意はない。

 

 ま、そうは言ったけど、そんなお約束なんてあるわけ無い。


 僕は円を信じている……。


 と、思ってたのに……。


◈◈◈



「す、好きよ……貴方の事」


「好きだったら」


「愛してるわ」


 …………ええええええええええ!?


 そっと円のマンションに帰ってくると、僕は慎重に中に入った。

 そして音を立てずにリビングまで進み扉の前に立つと、何やら円の声が聞こえてくる。

 

 ……なんか誰かに好きとか、愛してるとか言ってるんですけど!?


 間違いなく円の声だ、映画を見てるとかの落ちじゃない。


 ま、マジか……ど、どうしよう……。

 入るか、それともこのまま外に出るか、そう悩んでいると……。


「キスして……」


「キスしてよ!」

 

「もっと激しくキスしてよ!」


 えええええええええええ!?

 は、激しくとか……。

 

 一体……中ではどんな状況に? 出ていった方が?

 いや、……駄目だ、このまま知らない振りなんて出来ない。

 

 彼氏いるならいるで……僕は覚悟を決めて……思いっきり扉を開けた!


 そ、そこには!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る