第109話 あんたにわかるわけない
小笠原はその場にふさぎ込む。
周囲は静まりかえっていた。
「はい! 練習続けて!」
会長の一言で止まっていた周囲の時間が進む。
「5本目行くよ!」
灯ちゃんがそう周囲に声をかけ練習を再開させる。
しかし跳躍チームは会長が声をかけても反応が無い。
小笠原も手と膝を地面につき下を見つめ動けなくなっている。
暑い為か、それとも冷や汗なのか……2度しか跳んでいないにも関わらず、小笠原の額からポツポツと汗が滴り落ちる。
決着はあっという間だった。
小笠原に続き164cmを見事な背面で跳んだ夏樹は次の166cmをパスする。
小笠原は怒りに満ちた表情に変わる。
確か166は小笠原の自己最高だ。
相手の術中にはまるかと、小笠原は気持ちを切り替える様に集中し見事に跳んだ。
ガッツポーズする小笠原に周囲が盛り上がる。
バスケ部なんかに負けるわけにはいかないと、周囲は小笠原を応援する。
しかし夏樹はそんな事はお構い無しに168cmまでパスをした。
そして、バーは170cmに、これはインターハイ決勝レベル、高校トップクラスの高さだ。
小笠原は夏樹が跳べないと踏んで170cmをパスする。
自己記録タイの166cmで恐らく勝ちを確信していた。
なぜなら164cmを跳んだ時、夏樹は一瞬顔をしかめ腰を押さえる。
それを小笠原に見られ、腰を痛めているのを知られたのだ。
跳べるわけが無い、そんな周囲の嘲笑を全く気にする事なく、バスケのユニフォーム姿の夏樹は、その高さをまるでダンクシュートでもするかの様に、はさみ跳びで跳んでしまった……マジか……エセル・キャサーウッドかよ!
以前夏樹は、やろうと思えばダンクシュート出来るって言っていたが、冗談じゃない気がしてきた……ちなみにバスケのゴールって3.05mあるんだけどね。
垂直跳びで1mは余裕で超える人間離れした夏樹の跳躍力に思わず呆れてしまうが、今はそれどころじゃなかった。
僕は落ち込む小笠原の元に近付く。
そして……「跳ばないのか?」落ち込む彼女にそう言い放つ。
「……は?」
うずくまる小笠原はそう言われしかめっ面で僕を見上げる。
「170はパスになるから172を跳べば勝てるぞ」
「何言ってんの? 跳べるわけないじゃん」
「どうして?」
「わ、私の自己新は166なんだよ、6cmも高くなんて……跳べる筈ない」
「6cmってこれだけだろ?」
僕は親指と人差し指の間で6cm位を示す。
「ば、バカ言うな!」
まあ、わかるよ、跳躍で1cm記録を伸ばすには、短距離のコンマ1秒速く走るよりも遥かに難しい。
「そうかもね、でも出来ないって思ったらいつまでも出来ない、勝てないって思ったら一生勝てないもんだよ」
「うっさい、あんたに私の何がわかるんだよ!」
「何がわからないって思ってるの?」
「……」
「何かあるんだよね? 知って欲しい事が」
彼女の記録はかなり波があった。調子というにはあまりにも差がある。
相手が強いと直ぐに諦めてしまう。
そして練習もサボる事が多い、しかしあれだけのジャンプをするには、才能だけでは無理、そもそも今落ち込んでいる様にかなりの負けず嫌いだ。
そこで僕は思った。彼女は何かを抱えているんじゃないかって、でもそれが精神的な事なのか? 肉体的な事なのか? そこまではわからない。
何かのせいにして、何かを諦めている。
その気持ちは、彼女の気持ちは僕にはよくわかる。
「言ったところで……あんたに何が出来るって言うんだよ」
「言ってみないとわからないでしょ?」
やはり予想はあたった、彼女は何かを抱えている。
僕は杖を置くと彼女と同じ目線の高さにするべく、片足を伸ばし座った。
「言ってみないとわからないよ」
そう言うと彼女は僕の顔を見て、そして僕の足を見る。
その哀れな姿の僕を今の自分に重ねたのか一瞬苦笑すると、真剣な顔で言った。
「…………わ、私、重いんだ……」
「おもい? 体重が!」
「うるさい! 重くねえよ! 生理だよ! 生理が重いんだよ……長くて辛いの
!」
彼女は少し恥ずかしそうに、でも真剣な顔で僕に向かって小声でそう言った。
この間も3年生が僕を困らせる為にそう言って午前の練習を休んだりしていたが、彼女のその態度はそれとは違った。
「……うーーん……じゃあさピルって知ってる?」
僕が小声で彼女にそう言うと、彼女は一転怒りの表情で僕を見た。
「あ? だ、誰が避妊の話をしてる?! こっちは真剣に話してるって言うのに!」
「いや、そうじゃなくて、低用量ピルってのがあるんだよ」
「な、なんだよそれ、避妊薬じゃないのか?!」
その言葉に周囲が再びこっちに注目する。
以前先生に頼み競技中における生理についての話をして貰った。
陸上は、特に長距離なんかは長時間走り続けなければいけない競技の特性上、生理やトイレの対処なんかが関係してくる時がある。まあ早い話が急に来たり、お腹を壊した時等だ。
棄権なんてそうそう出来ないなので対処しなければならない。
いつ行くのか、調子が悪い時どうするか、予めしておかなければ、しかし人間いつでもなんて無理、かといって試合の時間は決まっている、
まあ、そんな場合があったりするのだ。
要するにお腹の弱い人の中には、予め浣〇をする人だっている。
ちなみにドーピングの検査なんて人に見られながら(勿論同性の前)しなければならない。
そんな競技を見ているだけではわからない、表に出ないようなセンシティブな問題があったりする。
以前血だらけで走ったマラソン選手なんて人もいた。
そうなのだ、女子にとっては切っても切れない……毎月必ずそういう問題が出てくる。
早い人で4週間に一度、始まると長い人で1週間ほどその状態が続く。
だから試合と重なる事は珍しい事ではない。
ただ重い場合や長く続く時は他の病気が関連する場合もあるので注意が必要だ。
「病院には行った?」
「……病気じゃないもん」
「まあ、とりあえずどっちにしろ行かないと駄目だから、夏樹~~ちょっと来て」
「ん?」
僕はマットの上に座ってこっちをぽけーっと眺めている夏樹を呼んだ。
とことこと歩いてくる夏樹、とりあえず腰は大丈夫そうだ。
無表情で近くに来た夏樹に向かって僕は言った。
「悪いんだけど、夜にあれの説明を彼女にしてくんない?」
今は練習中、これ以上彼女一人に時間を割くわけにいかない。
「あれ?」
「そう、例のやつ」
「ああ、あれね、いいよ」
長い付き合いの夏樹とは、こういった時、あれで通じるので便利だ。
「な、なんだよ?!」
怪訝な顔で僕と夏樹を見る小笠原に笑って言った。
「まあ、ほら、僕にはわかるわけがないから」
笑いながらも少し嫌味っぽく僕は彼女にそう言う。
ちなみに、低用量ピルに関しては副作用等があるので、スポーツに理解のある医師と相談の上処方して貰い、よく理解してお使いください。
(誰にいってるんだ?)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます