第108話 一番の座は譲れない


 短い学生生活、友達と遊びもせず、本分でもある勉強もぜず、アルバイトの様にお金も貰う事もなく、恋人を作る事もせず……わざわざ運動部に、いや……部活動なんかをやっている殆んどの人は思っているだろう。


 ひょっとしたら……自分の中に何か特別な物があるんじゃないかって。


 朝起きて学校に通い授業を受ける。学生なら普通の事なんだけど、そんな周囲と同じ生活しながら日々をを過ごしていると何かモヤモヤとしてくる。


 自分は違う、人とは違う……何か特別な物を持っているって思いたくなる。


 そんな何かを確かめたくて、そんな曖昧な事を確認したくて、そんな感情を吹っ切りたくて、部活動をするのかも知れない。


 人とは違う何かを確かめたくて、こんな苦労をしているのかも知れない。


 陸上は、いや、全ての運動部はその殆んどが苦痛を伴う。

 誰も練習なんてしたくない。遊んで勝てるなら皆そうしている。


 そう……勝ちたいのだ、そして一番高い場所に登りたい。

 自分は特別だって思いたい。


 負けたくないのだ、自分に、相手に、記録に、そして……人生に……。



 夏樹と小笠原に注目する周囲。

 そのせいで、午後の練習はいつにも増して気合いが入らず、ただメニューをこなすだけ。


 でも今後の事を考えれば必要な事だと割り切り、あえて注意はしなかった。


 二人はそれぞれのルーチンでウォーミングアップを始める。


 既にウォーミングアップを終えてる小笠原は、軽くジョギングとダッシュだけ、夏樹は念入りにストレッチを始めた。


「かーくん背中押してえ」


「いや、僕足が」


「い、い、か、ら」

 夏樹に促され杖を脇に置いて夏樹の後ろに足を伸ばして座る。

 この体勢では力を入れて押せないがここまで来て貰った夏樹の頼みを断る事は出来ない。


「ぶうううう」


 どこからか(恐らく灯ちゃん)ブーイングが聞こえるがそれを無視して夏樹の背中を押した。


「な、夏樹……」

 夏樹の背中を触った瞬間、僕は思わず声が出てしまう。


「跳んだらバレるし先にね」


「いや、だ、駄目だろ?」


「もう言っちゃったし、なんとかなるでしょ?」


「だ、だけど……」

 今までずっと夏樹の身体のケアをしている僕、身体を触れば直ぐにわかる。

 そう、恐らく夏樹は腰を痛めている。


 以前から腰に爆弾を抱えている夏樹、でもここ数年はなんともなかった。

 しかし高等部になり練習量が増えたせいか、思えば最近マッサージをしてくれと言う回数が増えていた。


「平気平気~~」


「平気って……」

 無茶だ、いくら夏樹でも、僕はそう思った。

 もう何年も跳んでいないのだから。


 今更ながら止める事を考えた。しかし、どう言えばいいか悩んでいる間にウォーミングアップを終えた小笠原が僕と夏樹に近付いて来てしまう。


「どっちから跳ぶ?」

 バーの高さは1m50にしてある。

 棒高跳びと、走り高跳びはパスする事が可能で、走り高跳びは、パスをすると2cmずつ上がっていく。

 もし仮に同じ高さで共に失敗した場合試技数の少ない方が勝ちになる為、駆け引きが重要な競技だ。


「あ~~とりあえず164cmまでパスするからお先にどうぞ」


「64ってあんた本気なの?」


「170って言わないだけ、わきまえてるでしょ?」


「……そう、わかった、私も64までパスするわ」

 睨み合う二人、164cmは去年の都大会の上位入賞者とはぼ同じ記録。

 つまり、164cmを跳べれば全国に行ける可能性があると言うことだ。


 その二人の会話を聞いて、ハイジャンプチームの2年生が呆れ顔で14cmバーを上げる。


「まあ、まだ準備が終わってないようだから、先に跳んであげるわ」

 いつもならそのままにしている栗色の長い髪をピンクのゴムで後ろに結び、ポニーテールにした小笠原。

 試合でしかしないその髪型に本気を感じる。

 ポニーテールにすると、トレーニングウエアを脱ぎTシャツとランニングパンツ姿になる。

 白いランニングパンツからスラリと伸びる細くて長い足に、僕はついつい見とれてしまう。


 小笠原はテーピングを持ち、爪先に踵を合わせ、歩幅で距離を測る。

 バーの右側から横方向に数歩、そしてそこから直角方向に数十歩歩きテープでマーキングをする。


 中等部の時の彼女記憶は無い。まあ、会長以外誰も覚えていないんだけど。

 自分以外見えていなかった事を今更ながらに少し反省する。

 でも仕方ない、僕は必死だったんだ。

 


 小笠原は何度かバーの手前まで走り助走の練習をすると、マークしたスタート位置で目を閉じて深呼吸する。


 そして両手をバーに向け伸ばすと、手を軽く上下させて跳ぶ為のイメージを始める。


 イメージトレーニングは重要だ。自分がその目標タイムで走るイメージ、目標の距離を跳ぶイメージが沸かなければ、その記録を出す事は出来ない。


 腕を伸ばし背伸びをするように、何度か爪先で立つ小笠原。


 そしてイメージが固まったのか? 小笠原はゆっくりと目を開けると、助走を開始する。

 

 滑らかな走り、カモシカの様な軽やかな脚はグングンとスピードを増す。

 そしてバーの手前でバンっと地面を蹴って音を鳴らし踏み切った。


 横の動きから縦の動きに変化すると、今度は空中姿勢に移る。

 右腕がバーを越えるとそのまま上半身が腕の動きを追いかける。

 そして身体がバーの上を避ける様に反って行く。


 美しい跳び方、生意気な口を叩くだけある。


 バーを越えた身体がマットに向かって落ち始めると最後に足を抜く。


 マットに落ちて行く彼女は笑っていた。

 自己最高に近いジャンプ、どうだと言わんばかりの表情。


 マットに落ちるとぐるりと一回転してその勢いで立ち上がると片手を上げてアピールする。


「きゃあああああああ!」

 周囲から歓声が上がった。

 才能はピカ一、1年生であれだけの跳び方が出来るのだ、そりゃ上級生も何も言えない、部内でも一目置かれる筈だ。



「いってええええ!」

 僕が彼女にみとれていると、突然太ももに痛みが走った。


 振り返ると夏樹が不満そうな顔で僕を見ながらギュウギュウと太ももをつねっている。

 あ、あの……痛いんですけど……。


「全く、相変わらず足と才能にしか興味ないんだから」


「えええ?」


「いい加減足以外に興味を持ちなさい!」


「ひ、ひえい!」


「あははは、……じゃあ、かーくんが相変わらずの足フェチならさ」

 夏樹は僕の足の間から立ち上がると、僕を見下ろしながら言った。


「とりあえず、まだまだ、一番の座は譲れないよねえ」

 満面の笑みで僕を見ると、踵を返し軽くランニングを始めた。


 てか、誰が足フェチだよ!


 

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